期待を捨てる

僕は高校時代から期待することをやめました。

それは高校まで、あらゆることに期待をしていたんです。誰かに優しくしたら優しくしてくれるのが当たり前。自分が尽くしたらその分帰ってくるのが当たり前。自分に期待をし続けて、いつか努力が報われると努力料より期待値が優ってしまったんです。

それでよく理想と現実とのギャップに苦しめられました。

こんな言葉がありますよね。

「期待を裏切られた」

僕この言葉をよく使っていたんですけど、これってすごく本質的ではない言葉だと今では思います。


期待とは、ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。
という意味です。

こう聞くと待つという行為が期待という言葉の意味なのに対し、多くの人が使う「期待しているよ」という言葉は、自分が思い描く相手の理想像を押し付けているように感じます。

だから自分が思い描く相手の理想像と違う結果になった時、「期待を裏切られた」という言葉が出てくるんです。

ですがこれを期待をやめてみるとどうでしょうか。
相手のありのままの姿を受け止め、相手のペースで物事を進めてもらう。
こうすれば期待を裏切られたという現象がそもそも起こらずに、相手に対して嫌悪感を抱く必要がなくなりますよね。

よく上がる例としては僕も過去にしてしまったのですが、恋愛でよく起こります。

自分がこんなに尽くしたのになんで尽くしてくれないの?
自分はこんなに愛しているのになんで愛してくれないの?

高いプレゼントをしたら高いプレゼントを買ってくれるだろう。
逆に言えば期待されてることを知っているから高いプレゼントを買わなければいけないのじゃないかとか、すごくバカげた感情を相手に投げつけている人はいないでしょうか。

サッカーをずっとやっていたので、チームスポーツである以上協力が必要不可欠になります。
僕は誰よりも雑用を一生懸命していました。
それはサッカーが下手くそだったので、せめてみんなの邪魔になりたくないと、みんなが嫌がることを一生懸命していたんです。それは自分を守るためでもありましたが、全ては期待していたんです。
こんだけ雑用をすればみんな認めてくれるだろう。監督も認めてくれてチャンスをくれるかもしれない。
毎日期待しながら生きていましたが、その期待通りの結果になったことは一度もありませんでした。

僕は過度な期待をした結果、そのほとんどが自分の理想像の押し付けだったことに気がつき、こんなに苦しむのは自分が期待をするからだ。
じゃあもうこれからは期待することをやめようと考え方を変えました。

チームメイトや先生、家族や自分に対して何も期待しなくなり、目の前の起こったことを淡々とこなすロボットになっていったんです。

当時はそれがすごく楽でした。損得勘定や喜怒哀楽が消えて、とにかく今にも逃げ出したいと思っていた僕にとっては、苦しい感情が湧いてこない日常がすごく楽だったんです。

しかしそんな生活が続くと、今度は何をしても楽しくないことに気がついたんです。
友達と遊んでも、ご飯を食べても何も楽しくないし何も楽しみもない。
これではダメだと思い、考えました。

期待をすることにはもう疲れたので、その期待に変わる何かを見つけようと、そこで僕が見つけたのが「信じる」ということでした。

よくこの「期待をやめなさい」という話をすると、コミュニケーションの一環で、なくなると困ることがあるという人がいます。確かにそれは間違っていないのですが、その話をされるたびに僕はその期待を「信じる」ことへと変えなさいと伝えています。

とにかく信じるんです。
目の前のことがどうなろうと、とにかく信じるんです。

例えば誰かに裏切られたと感じた時には、その人の環境や過去には疑いをもっても、その人自身に疑いをもってはいけません。
裏切られてもなお、その人自身は信じ続けてあげてください。

誰かに何かを教えたり、部下の成長を願うなら信じてあげてください。
その相手が自分が思うような成長をしなくても信じてあげてください。この人はきっと大丈夫。いつかわかってくれて大きく成長するだろうと。

そして自分を誰よりも信じてください。自分がうまくいかない時に、なんて僕はダメなんだと思うのではなく、きっと大丈夫。次やれば成功する。それでもダメでもきっと大丈夫。その次やればきっと成功すると信じてあげてください。

信じることというのは忍耐です。
並大抵の精神力では信じ切ることはできません。
しかし逆に言えば信じずに過度な期待をしてしまっているあなたは、精神的に未熟とも言えます。
その未熟さゆえに自分を傷つけてしまっているのであれば、忍耐力をつける修行だと思い、信じ続けてあげてください。

今を生きるとは、未来に期待をして今を生きることではありません。
今を生きるとは、未来を信じて今を生きるということです。

僕はあなたを信じています。
だからアドバイスもしませんし期待もしていません。だってあなたはあなた自身でより良い人生へと進んでいくと信じているからです。
その上で何かお手伝いできることがあれば言ってください。僕はあなたを信じているからこそ、全力でお手伝いします。

もし期待に疲れてしまった人
何事にも期待することをやめ、その分何事も信じる人生を歩んでみてはいかがでしょうか

SCHOLE  熊本  亜斗武

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?