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あたしはあたし自身が世論に動かされているに過ぎない社会的な生き物なのだと実感する
世論はネット世論も含めるとする

それはコメント欄の流れでもあるし、社会一般の集合意識でもある

それに抗って反発したくなったり逆に従ったりして己を証明したくなる
社会の一部になりたくなる

そういった心理が働いて綺麗であろうとする

しかしそんなものも調べてじっくり考えてみると、どうしてあんなに熱があったのか、そこまで肩入れするほどのものだったのかわからなくなる

あの時はああいったけれど、今にして思えば違ったと気が付く

結局のところ、答えは先にならないとわからなかった

それでも選べと時間が私を急かすから、私は臨時的な答えを出した

いいや違う
その時は感情が動かされたから自然とあたしは動いた

明らかに自分が得をしなさそうなものを擁護したりする
損得関係なく誰かを庇える自分が好きだから?
それがあなたの信じたものだから?
何かを信じるとかバカみたい

何かを好きでいた気持ちが誰かを庇おうとする
それが炎上した時
何かやらかした時でさえ

けれど考え直してみるとわからない
そして擁護することはいいとしてそう自覚する必要があるように感じた

そことは別に考えなくてはならない部分があるのだとわかった
それはこれであれはあれなのだ

必ずしも道徳的にいいとはいえない
全てがいいわけでもない

1つ1つ解体して細かくみていって、その見解を並べてみる

ああ、これが私の思想か
とその形をみた時、幼少期の経験が私を未だ呪い続けているだとわかった

私は解体されたあたしの思考を読み取って
社会と合体したかがっている私をみた

何か今の時代に残しておきたいのか?ときいた

わからないと答えた
私はいつもわからないという

そして仕方がなかった
そうせざるおえなかったという
いつもお前は消去法で物事を決める

何を為せばよいのかときくが
答えてはくれないのだろう

力なき私は力を得たものにも、得ようとしているものにも、ないものにも何も感じなくなった

それらを意識したとき
あたしは強い劣等感を憶える

負けたくない
本当はあたしだって

敗北者をみると厭になる
勝者をみても厭になる
戦わないものをみても厭になる

それでもあたしは、やるしかなかった

何もかもが厭だった

優しさを向けられてそれに応えられないのが苦しい

私は欲張りで我儘で無謀だ

勝者をみると何もかもが憎い
敗者をみても憎い
戦わないものも戦っているものも憎い

それでもやるしかないのだ

この劣等感が消えない
失ったあたしが煩い
あの日のあたしはそうなる予定じゃなかったというし、もう取り返しはつかないといってくる

わかっているという
もうさんざんだ

悔しいなんてものではない
そんなものはもう知ってる
わかりきってる

だからって終われない
終ろうとしたこともあったけど
結局、続けた

その命自分から絶つことはなかった

世界はもう既にあたしを救っているが
あたしはあたしを呪い続けるのだなあ

ああ、あの時のあたしは一生あたしを許すことはないのであろう

その夢をみながら、あたしは抗い続けるのだ
あの夢を果たそうと心の何処かで願い続けるのだ

だからってなんだ
もうどうしようもないんだ

はやく楽にさせてくれ

お茶でも飲む
ああ喉が潤う

それさえ憎かった
栄養を何の成果もなしに補給して気持ちよくなっている自分が憎かった

だけど今はどうだ
美味いものを食べ美味いといい
人の優しさに触れ報いることもなく
のうのうと生きている

憎い
私が憎んでいた
何もしてない癖に快楽を得ている憎き者になってしまっている

こんなやつ許されない
あたしが許さない
あの時のあたしは死なない
ずっとあたしの中であたしを呪い続ける

わかってる
それでもやるしかないんだろ
わかっているよ

わたしはやるんだ
それだけだ

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