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YouTubeで食べていく
細すぎる
あまりにも頼りない

私はそんな頼りないことを考えている
配信をしてそれで食べていく
そんな途方もないことを考えている

就職はしないのか
正社員じゃないしても、アルバイトくらいしてみたらどうだろうか

そちらの方が現実的だ
そう考えて働こうとしていたこともあるが、面接が落ちた
といっても指で数えられる程度しかしていない

それで落ちて
ああ、私は無理だと思う

無理だと思って、配信を頑張る
そして、少し伸びた
だからなんだと思う

それで伸びて、増えてなんだ?
おまえは何をしている

登録者が350人を超えた
それくらいの数の登録者が集まっただけでもう、私はダメになってしまった

視聴者の数だけで言えば一カ月に1万人くらいはわたしのチャンネルをみている
それだけでダメになった
いいや、それは大きなことだがダメになった

食べれるとか食べれないという話ではない

私は強がっている
舐められないようにしないといけないと気を張っている
そして、自分を強くみせようとしている

謙虚さを失う
むしろ謙虚さを失うことが身を守ることと直結してしまっている

ナヨナヨとして人がよさそうなだけでは舐められてしまう

私は視聴者に恩を感じてしまっている
私は視聴者に猜疑心を持っている

矛盾している
と同時にバカになっていく

考える頭がなくなっていく
それは慣れ合いになっていく

たった350人集まっただけでこれだ
少し肯定されて褒められただけで、己を過大評価してしまう
己が正しいのだと思い込んでしまう

違う
己は、消去法でそうなってしまっているだけなのに

でもだからって、否定されるのも厭だ
肯定されても否定されてもだめになる

肯定されると嬉しいけどダメになる
否定されると悲しくてダメになる

あたしは、囲われている
誰かが心よく私のチャンネルを応援する
あたしはそれに応える

いいや、応えられないと気が付く
このままではダメだと覚悟する

あたしは貢献できてはいない
どこか無理やり配信しているようにみえる

とにかく配信しておけば登録が増えるだろうという打算的なところがある
これでは、何も生み出さない

あたしは、YouTubeを介して何が伝えたいのだろう
何を届けたいのであろうか

苦しい
ちゃんと届けたいものを準備するのはしんどい
準備したところで特にしなかった場合と評価が変わらないのも苦しい

ではどうすればいいのだ

私は本当に配信でいいのか

最近、配信しても登録者が増えなくなって来た

しかし他のチャンネルをみて比較すると、結局、運かと思った

それでも、私は配信をして覚悟を持って生きている

登録者350人超えないとみえない世界は確かにあった
それくらいになると、固定の視聴者が少しは出て来る
しかしそれらの賞賛も否定も苦しくなってくる

期待を感じるが、その期待通りの自分にはなれないとわかってくる

それで私を通そうとするがそうすると謙虚さが失われて強がりになってしまう

それでは、生きていけない

私は考える
私は配信のしすぎで疲れている

休んで己と向き合う
そうして求人募集をみているとああ、働きたくないだけか
と思えたその一心で配信してるだけなんだな

なあんだそんなことかと
それだけでがんばれていたんだと

けれど、己の空っぽさに嫌気が差して、そんな自分に視聴者がいることに嫌悪しているんだ

そうやって休んで勉強したり創作して、何か未だマシなものを伝えようとしているんだな

ああ、なんてかわいそうなやつなんだろう

私は即座に私の不憫を愛した
どの道、こノままでは無理がある

武器を揃えられない
今の装備で戦っても限界が来るだけだ
このまま戦って、装備品を集めるだけの資金が集まる保障もない

詰みではあったのだ

この装備でどこまでいけるだろうか
それはわからない
上手い才能のあるやつだったら、この装備でも空高く昇っていくのであろう

あたしはわからない
ある程度までは伸びるであろうし、案外装備を整えても差はないかも知れない

ただ、新鮮な体験が欲しいのかも知れない
それを配信で話したいのであろう

別に信者が集めたいわけでもアンチを集めたいわけでもないのだ

それは我儘だけれど、あたしは信者もアンチもいない感情を動かさない無の配信者でありたい

無でありながらそれで食べていきたいのだ

私は細すぎる

母と父、祖父と祖母、妹がいる

結婚してない無職の長男の私
細すぎる

あまりにも細い
配信でどうにかしたいとか細すぎて死ぬる

これから働くにしても細すぎる

もう終ってんだ
だったらやれるだけやってやるよといった

あまりにも無謀で草生えて枯れた

そんなことをいっていると舐められるから、覚悟をみせるしかなくなる

なんだこれというが、それが現実なのだ

そして、私は私を整理して休息を取る
考える

未だ文章は毒されていない
というより文章でだから正直でいられるのではないだろうか

そんな風に思えた
内省的になれる
それさえ侵食されてしまうであろうか

そうしたら私に居場所はなくなる
文章でさえ、誰かにとって都合のいいものに変わるのだ
私はいなくなるだろう

それが本当の死の時かと理解した

何も書かずにいれば死ぬだろう
己のどうしようもない、行き場のないそれを吐き出せたのが、文章と配信だったのだからもう終わりだ

ああ、なるほどだから別のアカウントを人々は作るのか

などとも思った

だからってなんだ
あたしはやるぞ

それだけだ


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