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もうわたしに小学生はない
もうわたしに中学生はない
もうわたしに高校生はない

わたしはおとなになってしまった
成人になって、5年が過ぎてもうすぐ25歳になる

わたしは四半世紀を生きることになる

わたしはもうふるくなっていく
なにかかんがえるとき、かこをおもいだしてかんがえる
そのかこはふるくさいおじさんの夢だ

もう10代の夢ではない

インターネットが当たり前になって生成知能も当たり前になる

あたしが思い出す景色は中学生になってインターネットが届いて、スマホがあって、やりとりしていた記憶

今の10代は産まれた時から身近にある
きかいちのうも同様にある

生成知能は私が22の時、GPTが現れstablediffusionが現れた
大人になってから現れた

思い出すのはそれのなかった子供の時のことばかりだ

わたしはもうふるくなっている
それを使うことはできても、それによって作られた社会を知らない
子供の時にそれで遊んでいない
コミュ二ケーションの取り方も、時代の空気も違うところで育った

それはあたしの頭に残って消えない

あたしは、だんだんじじいになっていく
それは肉体的にも精神的にもなっていく

かつてを懐かしむ時、年老いたと実感する

あたしは取り返しがつかなくなっていく

孤独になっていく

あたしの子供の時にはなかったもの
あたしの子供の時にはなかった空気

おとなになってから憶えた景色
それを比較してしまう

あらゆる過去に思い出補正がかかり世界は歪んでいく
歪んだ世界を好んでいく

わたしの未来は厳しく苦しいが、人類の可能性は常にワクワクで溢れている
まだまだ未完成の希望でぎゅうぎゅうになっている

相対的にみれば、未来は常によくなっているようにみえる

あたしのみらいも簡単になっているようにみえる
ただ、あたしが苦しいのはお金を稼げていないから
大人なのに稼げていないからだ
それだけで、社会自体はよくなっている
昔に比べてずっといい

それなのに苦しいのはお金を稼げてないからだ
それだけ
能力が足りないからだ

どうしようもないことだ
けれど、相対的にみればマシになっている

その能力さえ機械知能がいずれ無にすれば、更に苦しみは減るだろう
しかしその分、また別の苦しみがみえるようになって苦しくなるのだ

稼げてないと終わりだ
能力がないと終わりだ
評価されてないと終わりだ

過酷に思えるのはその部分だけだ

生活は向上し続けている
いいものが改良されさらによくなり続けている

それについていけなくなる
お金がなくて
能力がなくて
評価されなくて助けて貰えなくなる

それだけだ

それだけのことだ

そしてあたしは藻掻く
この人生を覚悟を持って使う

やってやる
あたしはえらんだみちをいく
取り返しは付かなくなっていく

それをえらんだあたしにあたしはせきにんをもつ




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