前回の記事から一年以上開いてしまいましたが、心はずっと西遊記のそばにいたよ。
どうも、atこぶたです。
旅の後半、師弟の関係も深まっていきますね。
今回はドラマチックな場面は少ないですが、日常に潜む師弟のいちゃつきや弟子同士のかわいいわちゃわちゃに注目していきたいと思っています。
さて、今回も前回同様、この三冊から引用します。
①岩波文庫版 中野美代子訳「西遊記」
7巻(1993年)
②平凡社版 太田辰夫・鳥居久靖訳
「西遊記下」 (1972年)
③福音館文庫版 君島久子訳
「西遊記下」(2004年)
(①は明の時代の本「世徳堂本西遊記」、
「李卓悟先生批評西遊記」の完訳本、
②は明の時代の本をダイジェストにした
清の時代の本「西遊真詮」の完訳本、
③は一部のエピソードが未収録の部分訳本です。)
金光寺で宝珠が盗まれる
まずは、金光寺のエピソードからです。この話は地味なわりに敵の親族関係が入り組んでて説明が面倒くさい、という理由からか(?)、部分訳ではカットされることが多いです。③ではカットされているので、①②で見ていきます。
金光寺という寺にたどり着いた一行ですが、塔を汚し塔頂の宝珠を僧が盗んだという濡れ衣を着せられて苦しんでいました。
宝塔掃除を頑張る三蔵と見守る悟空
三蔵は、災いによって汚された宝塔を掃除しにいこうとはりきるシーンです。
まずは②
はりきって掃除に向かう三蔵かわいくないですか。かわいいよね。
「お供しますよ」と悟空に言われ、「それは結構だ」と三蔵は答えているわけですが、内心ほっとしてるんじゃありませんか??と脇腹をつつきたくなります。師匠、普段は掃除なんかしてないじゃないですか。
途中で「代わって掃きましょう」と申し出る悟空の過保護感もいいですよね。ずっとそばに付き添って、師匠が疲れてきたなというタイミングで声をかける。見習いたいスパダリ仕草じゃないですか。
で、結局自分でやるやると言い張ったのに、十階で力尽きてしまう三蔵、なんなんですかね。三歳児ですかね。
師匠に「代わりに残りの三層を掃き清めておくれ」と頼まれて「元気を振るっ」ちゃう弟子も、待ってました感あっていいですよね。たぶん、結構前から代わってあげたくてうずうずしてたんだろうな、という気持ちも読み取れます。
次は①
まず玄奘の衣装から注目してみます。「小袖の褊衫」とあるので袖口の小さい僧服を着ています。褊衫とは袈裟を着るときの下衣です。「しごきできりりと束ねると」という記載からおそらく襷がけをしているってことだと思います。三蔵の襷がけだよ、スーパーレア!
で、凛々しい格好をして「みなさんは、安心しておやすみくだされ。塔をお掃除してまいります」ですよ。
いつも守られてばかりの三蔵だけど、今日はみんなが休んでるときに頑張って働くんだぞ!という意気込みが感じられます。「お掃除してまいります」だよ。かわいいかよ、くそ。
こちらの悟空は「孫さまがお伴しますが、いかがですか」と提案してます。「孫さま」と自分に尊称を使いながらも、たぶん片膝ついて提案したんじゃないかなあという妄想さえ広がります。
三蔵が沐浴を済ませたのが20時頃、「へたりこんでしまった」のが午前0時頃なので四時間程度は掃除をしていたようです。結構頑張った方だと思いますね。四時間、そばにいた悟空は何かしゃべりかけてたんでしょうか。それとも真剣な玄奘の横顔をずっと眺めていたんでしょうか。
先にも言った通り、部分訳ではカットされやすいこの宝珠エピソードなんですが、なんと斉藤洋の「西遊記12巻」(理論社2018年)ではまるっと取り扱われています。
たぶんこの回の妖怪の親玉が龍王なので、天界に住んでるやつだって腐ってるのがいるじゃないか的な意味合いを強調するために選ばれた気がするのですが、この掃除のシーンかわいいので、見てみましょう。
この本は訳ではなくて「斎藤洋 文」になっているので、文章がやや異なりますが、原文と比べて斉藤先生がどこにこだわっているのかに注意しながら読んでみましょう。
みんなで行く流れになってたのを、悟空が!二人で!行くからって!二人きりがいいんだって、他の二人を厄介ばらいしてますよ。二人きりで掃除をしたい悟空、これは一つのポイントですね。
で、このあと二人で協力しながら掃除をするんですけど、ラブラブしてるかというとそうでもなくてw
「仏塔は高ければいいというものではない。そんなこれ見よがしな心根を御仏が喜ぶわけがない」と三蔵が話し、悟空は「高い塔を立てて近付きたいと思うほど天界っていいところでもないですよ」というイマイチかみ合わない会話を交わしています。
斉藤先生の西遊記はこういう悟空の天界に対する不信感みたいなのが垣間見えるところが現代っぽいなと思います。このエピソードに限らず斉藤版はかなりオリジナル展開が広がっていくので、ここでも塔掃除までは原典に近いんですがこの後の展開は原典とは大きく異なることになってきます。
あとね、細かいところだけど、原典ではさっきも確認したとおり三蔵は十層まで頑張って掃除したんですけど、こちらの本では三蔵と悟空が力を合わせて掃除したのは三層までになっていて、「先生、原作よりも三蔵はすぐ疲れて掃除を悟空に任せるだろうと判断したんスね」って感じがして、楽しいポイントではあります。
妖怪退治は悟空を指名する三蔵
掃除をしていた塔の上にはなんと妖怪がいて、その妖怪たちの親玉が宝珠を盗んだということがわかります。国王にそれを上奏して、寺の僧侶たちの濡れ衣を晴らすため、宝珠を取り返しに行くことになります。
国王は妖怪の親玉を捕まえるための相談を兼ねた宴会を開きます。
まずは②
たらふく食った八戒がご機嫌な様子に注目してください。
三蔵が迷いなく悟空を指定してるのが尊いですね。信頼厚き一番弟子です。
①ではこんな感じ。
八戒が行くと聞いた時の三蔵の台詞聞きました?
「八戒や、そなたはこのところまじめだの」
普段まじめじゃないって言ってるwwww
それでも悟空は「じゃ二人で行こうぜ」ってなるその八戒と悟空の相棒感も素敵です。
二郎真君との酒盛り
妖怪の親玉は龍王と娘婿の九頭駙馬でした。水中戦となるため、水が苦手な悟空は苦戦を強いられます。
そこへ通りかかるのが二郎真君です。このエピソードでは珍しく三蔵が攫われていないので、精神的にゆとりのある悟空の様子を見てみましょう。
まず①です。
般若湯は言わずとしれた酒ですね。
妖怪退治を一旦置いておいて、酒盛りするの、戦場でしか会えない絆っぽくて良いですね。
悟空は天界で大暴れしていた斉天大聖時代、二郎真君+飼い犬に負けた(?)過去があるのでその思い出話でもしたのかなと思うと、にやにやします。仲良くなってるじゃないですか。
ちなみに悟浄は三蔵と一緒にお留守番だから酒盛りには参加してません。かわいそうに。
②だとこんな感じ
①だと「今すぐ攻めこもう」という真君を兄弟が止めてる形だけど、②だと兄弟の台詞がなくなって真君が酒盛りを提案したことになっていますね。真君のキャラ設定としてどちらをとるか、って感じではあります。まあ、単に兄弟の台詞を削っただけかもしれませんが。
とりあえず悟空・八戒と楽しく酒盛りをする真君については解釈の一致しかないのでありがたいエピソードです。
これ以上弟子はいらねえと坊さんを追い払う悟空
二郎真君の協力もあり、宝を取り戻し、妖怪を捕まえた悟空たちを国王は大歓迎します。そして歓待を受けた後、寺を出発するんですが、そこの僧たちが感謝のあまりずっと一行の後をついてくる場面です。ちなみに「金光寺」という名前だったんですが、その名が良くないとして「伏龍寺」に改名しています。
まず②です。
まあ、いろいろ言いたいことあるんですけど、まずさあ、なぜ悟空が僧たちを追い払ったのかについてまず考えてみます?
まず、足手まといだよね。普通の人間はさ。妖怪と戦える能力ない人たちがいくらついてきてもまったく役に立たないからね。
それをさ、「いや弟子として孫さまがいれば十分なんですよ」と言えばいいのに、わざわざ虎を出して実地でわからせるあたりが「力ある者がない者に説明するとき、面倒くさいので理屈放り投げました」感がありますね。でも別に虎に襲わせたりはしてないので、ちゃんと手加減してるあたり優しいです。
そして注目すべきは「悟空は三蔵の手をひき」というところですね。空三クラスタはわずかな身体接触でも見逃しません。少ねえんだもん、ふれあってるところ。
虎がでてきて三蔵の足もすくんでしまったんですかね。だから手をひいたんでしょうか。
「手を引き、馬に鞭をあて」という文章の解釈に迷っているんですけど、
ア 手を引いて三蔵を馬に乗せたあと、鞭をあてて走らせた
イ 三蔵の手を引いて二人で駆け出し、馬も鞭をあてて走らせた
どっちだと思う?三蔵の足の遅さを考えると①かなと思うけど、別に三蔵の足が遅いとは書いてある部分ないしな。
二人で手をつないで走る師弟見たいなあ。別に妖怪に追われてるわけじゃないからそんなに必死に走る必要もないし、「ふふっ、速いな」「師匠、転けないでくださいよ」とか、くすくす笑いながら走る師弟が見たいです。
では①を見てみましょう。
こっちはアっぽいよね。どうも、そんな感じ。
でもこの立ち去り方の勢いの良さから、悟空の独占欲、感じられませんかね。
僧侶たちはどうせただの人間なのだし、一緒に西天までなんてたどり着けるわけないじゃないですか。どっかその辺で妖怪に喰われるのがオチですよ。だからついてきたいならついて来させても、そう遠くないうちにどっかで死んじゃいますよ、きっと。
でもちょっとの間でも他の人が三蔵を慕っているのを振り払いたいというか、おれたちだけの師匠なんだ、という排他的な欲望が現れている気がします。と私は思いますけど、どうですか。
木の妖精の美人局
さて、次も部分訳ではカットされることの多い、木の妖精が三蔵に誘いをかけてくるエピソードです。
美人局に怒る三蔵
茨道をめずらしく八戒がはりきって切り拓いてくれます。突風と共に突然現れた老人に三蔵だけが攫われてしまいます。
三蔵が目を開けると三人の老人がいて、「私たちは悪人ではありません」と言われます。仕方なく老人たちと詩を吟じたりしていたら、きれいな女が出てきて「二人はお似合いだから結婚したらいいじゃないか」と老人が無理に結婚させようとしてくる場面です。今までにこにこしていた三蔵が怒りだします。
まず①です。
美人局には「心を石のようにガチガチにして」冷たく接しながら、自分を探し回ってくれている弟子を思って涙が出ちゃう三蔵、かわいいじゃないですか。
でも、色仕掛けしてくる女には「一喝を食らわせ、席を蹴りたて」るということなので結構気が立ってますね。妖怪相手でもちゃんと嫌なことは嫌って言える三蔵くん、偉いです。伊達に女難に何度も遭ってきてないですね。
そしてまず「悟空や」と一番弟子の名を呼ぶところ、やっと弟子に会えた時に「悟空の手をと」るところ、ああ……イイ。抜群の信頼と安心感で頼りきってます。
②です。
②だと悟空の手を取る描写はないですが、基本的な流れは①と同じですね。「ついには美人局でそれがしをあやめんとするのは不届き千万」という歌舞伎のような威勢の良い台詞が三蔵から聞けるところがかなりポイント高いです。
散々苦労させられる黄眉大王(ただし知名度は低い)
小雷音寺で仏の姿に化けていた黄眉大王に捕まってしまうエピソードです。黄眉大王というのは知名度は低いものの、持っている秘密道具が強力なため、かなり手こずらされることになります。
それぞれの妖怪の強さについてはこちらの方のブログにかなり詳しく書かれているのでご参照ください。
寺についたらまずケンカ
まず寺についたところから。またまた師弟でけんかしています。
雷音寺というのは三蔵が目指す天竺の寺の名なので、三蔵は初めは天竺に着いたのではないかと勘違いをしています。
まず②です。
悟空はすでに寺には災いが潜んでいることを知っているので、通り過ぎようと提案するのですが、三蔵は仏があるのだから参拝すると言ってききません。
「悪猿め」とののしられているのに、笑いながら「まあよく見てください」と受け流す悟空、なんなんですか。すぐキレて天界で暴れていた人と本当に同一人物ですか?
師匠と一緒にいることでいろんな感情を経験してちょっとオトナになっちゃってんですよね、わかります。
①でも同じ感じです。
①の三蔵の方が口が悪いですねw
こちらの悟空はニヤニヤしながら「おれさまを疑うなんて―」と言ってるので、ちょっと不良味が抜けてない感じですね。ニヤニヤ顔の不真面目感が良い味です。
閉じこめられた悟空はトラウマ発症
悟空が止めたものの、寺の中に入ってしまった一行は、結局妖怪に捕まってしまいます。
特に悟空が閉じ込められた饒鉞(シンバルのようにして音を出す仏具)は非常に厄介な代物でした。悟空が大きくなれば一緒に大きくなり、小さくなれば一緒に小さくなるのでほんの小さな穴もみつけることができません。にこ毛を錐に代えましたが穴もあきません。
①で見てみましょう。
悟空は三蔵の身を守っている五方羯諦などを呼出して、なんとかしろと詰め寄ります。
「あの師匠はな、おれさまの忠告をきかなかったんだから、殺されてもともとなんだ。」の言い草がヤバいですねw
ねえ、本心だと思います?
さっきのけんかの時は笑ってたのに、怒ってるわけないよね。
ここで思い出してほしいのは、悟空が天界で八卦炉に49日間、閉じこめられて焼かれた一件ですね。このせいで悟空の目は爛れて赤くなってしまいました。その過去から悟空は閉所恐怖症の可能性あると考えますけど?どうかな?
金角と銀閣の紫金紅葫蘆(いわゆる瓢箪)に閉じこめられたときは小虫に化けて、「溶けちゃったよ~」とか嘘ついて瓢箪の封を開けさせてその隙に飛び出るんですけど、その時と比べるとだいぶこっちは余裕がないんですよね。
瓢箪のほかにも羅刹女の腹の中とか大蛇の腹の中とか、悟空が「閉じ込められる」場面はかなりあるんです。中野御大が指摘してるようにそれは悟空の再生(生まれ直し)をしているという説もあるわけですが、今回注目したいのは、閉じ込められてこんだけ焦ってる悟空というのは八卦炉とこの饒鉞のところぐらいなんですよ。「息がつまって死にそうだ」という表現からは、閉塞感と恐怖を強く感じます。
たぶん、八卦炉も饒鉞も「自分が本気で出ようとしても出られない」という共通点がありますよね。おそらく、この饒鉞に閉じこめられたときに八卦炉のことが頭に浮かんだはずです。八卦炉のときも結局出られず、49日後に扉を開けられるまでずっと待つしかなかった。そういう恐怖体験があっての発言だろうかと思います。
②でも見てみましょう。
①では「妖怪退治は、それからのことだ。」の部分が、②では「師匠のことはそれからだ。」となっています。
まあ師匠がは妖怪につかまっているのだから一緒だと言えば一緒なんですけど、②の方が若干響きが強いですよね。師匠のことよりもまずは自分の身の安全を優先したいというのが明確に出ていて、恐怖の強さを感じます。
とにかく、このときの悟空は自分の恐怖で頭がいっぱいになってる印象です。
天性のバブみ
天界の二十八宿である亢金龍の活躍で悟空は饒鉞の外に出ることができます。外に出た悟空はさっそく黄眉大王を戦いますが、不思議な袋に仲間の神将たちとともに吸い込まれてしまいます。
①です。
三蔵の泣き声を「聞いて悟空も思わずほろりとなって」、「おれの言うことをきかなかったばかりにひどい目に遇っているわけだが、それでも孫さまのことを思う気持はあるんだな」とかさあ、もうこれママじゃん。
言うこときかない我が子に「ほら、ママが言った通りじゃん、やれやれ」って思いながらも。かわいいな、放っておけないなぁ、て思う時のやつじゃん。もうママだよ、悟空。
そしてまた、三蔵は「なんでもそなたの言うことをきいて、けっして無茶は言わないから」というできない約束をしてますけれども。(やっぱり精神が三歳児)
あと、注目すべきは後半ですね。師匠が助かればそれでいいじゃないかという亢金龍に対し、荷物も大事なんだという悟空です。
これは、三蔵が死なないことも大事だけど、それだけでもだめで、やっぱり西天への取経を続けさせないといけないという義務感が表れているのではと思います。まず出てくるのが「通行手形」ですもんね。とにかく三蔵に旅を続けさせないといけない、という使命感。その次に師匠が観音からいただいて大事にしている錦襴の袈裟、唐の皇帝からいただいた紫金の鉢盂の順ですからね。きちんと取経の旅にとって必要な順番になっているところが、にくい演出です。
②でもこんな感じです。
ここでも先に挙げた、「関所手形、錦襴の袈裟、純金の鉢」の順番は同じですね。
神将よりも先にまず一番に三蔵の縄を解く、弟子の愛情を感じてください……。
三蔵の苦難に涙する悟空
逃げたのを黄眉大王に見つかってしまった悟空は八戒、悟浄、神将たちと共に戦いますが、ふたたび謎の袋に吸い込まれてしまいます。悟空だけは逃げきれたのですが、三蔵の度重なる災厄に思わず愚痴ってしまう場面です。
まず②です。
「三蔵のことを考えて涙を流し」
そっかぁ……。三蔵が苦難に遭ってばかりいることを考えると思わず涙がでちゃうんだね。もう苦しみから救ってあげたいんだね。
愛じゃないか……。
ほら、これまでは「好きじゃん」って感じだったけど、もう悟空の感情が「愛」にまで高まっている様子が感じ取れませんかね。私は確信していますね。
次は①
「唐僧あわれ」で「悲さばかり」なんですよ。もうそろそろ苦難に遭うばかりの三蔵を見てられないというような気持ちでしょうね。
徹夜の連続で疲労が限界に達する悟空
まず小雷音寺についたのが一日目の日中。悟空が一晩中饒鉞に閉じこめられて亢金龍に出してもらったのが二日目の明け方。すぐに大王とたたかって捕まってしまい、二日目の夜に三蔵がぐすぐす泣いているのを悟空が耳にして助け出します。三日目の明け方に皆で逃げ出し、追いかけてきた大王と日が暮れるまで戦います。夜になって戦いに決着をつけるため、大王が袋で皆を吸い込んでしまい悟空が悲嘆にくれていたのが先程の三日目の夜。気を取り直した悟空が丸二日かけて上帝祖師のところから援軍を連れてきます。なのでおそらく六日目に再び援軍を率いて大王と戦いますが、やはりその援軍も袋に吸い込まれてしまいます。
今度も逃げおおせた悟空ですが、五徹してます。そろそろ疲れがたまってくる様子を心配しながら読んでいきましょう。
まず②
悟空はあまり睡眠を必要としない、という記載もありますが、さすがに五徹となると眠くなってくるようです。
援軍を連れて来てもすぐに吸い込まれてしまうので、めずらしく弱気になっている悟空がみられます。
①ではもう少し描写が細かいです。
私は、このしょげ返っている最強の悟空に対して、下っ端の日値功曹が「さっさと起きて助けを求めに行きなさい」と偉そうに指示するところがわりと好きなんですよね。誰かがやらなきゃいけない仕事なんだけど、ドSですよね。五徹でなおかつ精神的にもけっこうキテる相手に「さっさと動け」と叱る仕事。
元気なときの悟空にやったら怒鳴り返されそうですが、今回の悟空はマジでしょげかえっているので「はらはらと涙をこぼし」ます。
最強の神猿が「ああ、どうしよう」って泣いてるの悲壮感あって好きだなあ。
そして万策は尽きた六徹目
そして日値功曹から国師王菩薩に援軍を頼みましょうと提案された悟空はまた援軍をつれてきます。こちらは片道に「一日もたたず」と記載があるので、七日目くらいに戻って来れたのかなと思います。しかしその援軍もまたまた袋に捕まってしまいます。
万策尽きた悟空の様子です。もう精魂尽き果てた様子を見てください。六徹目です。
①です。
もう何もできないとすべてを諦めたときに、この最強の神猿はどうするかというと、泣きながら三蔵への独白をするんですよ。頭の中にはもう三蔵しかいないわけですよ。
かれの独白の内容としては「苦労は覚悟していたけれども、こんな妖魔がいるとは思わなかった、もう何もできない」というような感じですね。
こう見ると、今まで金角・銀角、紅孩児や牛魔王などとも戦ってきましたが、一番苦労してるの、この黄眉大王じゃない?知名度低いけれども。金角や独角兕みたいに吸い込む系の道具を使うんだけどね。映えないんだねえ。特徴が金の眉しかないもの。やはり敵役としても映えが必要なんでしょうねえ。
敵を倒した悟空がまずすること
結局金眉大王というのは、黄眉童児という弥勒菩薩の弟子でした。弥勒菩薩とともに金眉大王をこらしめ、童児は元の姿に戻り、菩薩たちは帰っていきました。
すべて解決したあと悟空が皆を助け出す場面です。まず②から。
これは常識的な流れですよね。みなの縄をといて、三蔵が神々に礼を述べて見送ってから、師弟で飯を食って出発しています。
(でもそれにしても六徹したあとの休憩が半日だけって酷じゃないですか。師匠、悟空のことをもうちょっと休ませてやってください)
①の描写は結構細かくてツッコミどころがあります。
まず悟空は神々たちを放っておいてまず三蔵たちの縄をほどいてやります。そしたら八戒が飯に直行し、師匠と悟浄にも食べさせて、「それからやっと悟空に礼を述べた」んだそうですw
妖怪が用意した飯は果たして精進料理だったのかどうかが気になるところですけれども、おそらく三蔵が文句言わずに食べているので、野菜だけのおかずとかを食べさせたんでしょうかね、わかりませんけど。腹減ってたからなんでもいいと思って三蔵も食べたのかもしれませんけれども。(だめです)
このときにも悟空は食べてないのが健気ですね。本当に寝なくても食べなくても大丈夫な漢です。
そして腹をとりあえず満たしてから、神々たちの縄をほどきにいってお礼を言ってるあたりが、なんとも西遊記「らしい」というか、その辺の八戒の描写のリアルさが好きです。
珍しく八戒が大活躍する稀柿衕
さて、次は八戒が大活躍する駝羅荘と稀柿衕のエピソードです。
悟空の容貌描写
まず駝羅荘にて、悟空の容姿を細かく描写したところがあるので、推しの解像度を高めるためにも見ていきましょう。
①です。
癆咳というのは結核のことですね。しだいに衰弱していく様子から名前がついているらしいので、とにかく悟空は痩身で、本当にガリガリなのでしょう。猿だからつぶれた鼻や顔が毛むくじゃらなのは仕方ないと思いますが、「そりゃ醜男かもしれませんがね」と言ってる悟空に萌えませんか?だってこの人、美猴王(美しい猿の王様)を名乗ってた人と同一人物ですからね。
②ではシンプル。
悟空は不平不満を述べるときにだいたい「口をとがらせる」癖があるので、その辺、かわいいです。
③は悪口のオンパレードw
「でこすけ野郎」、「鼻ぺちゃ」とか可愛い罵り文句のオンパレードですけど、「金つぼまなこ」とは?
デジタル大辞泉によれば「落ちくぼんで丸い目」らしいです。
痩せてることの強調の描写かなあ、と思います。
弟子はこんなことで死にません、という余裕の三蔵
駝羅荘で暴れていた妖怪は大うわばみでした。悟空と八戒が退治しに行きます。①も②も似た描写なので、①で見ていきましょう。
「なあに、大丈夫ですよ。外に出てみましょうか」の三蔵の肝の据わった様子、ぐっときませんか。きますよね。
うちの弟子はこんな程度では死なないんです、という絶対の信頼感。初期では馬から転げ落ちただけで泣いてたのに、旅に苦労にもまれて少々のことでは動じなくなってきました、凡夫の三蔵です。
八戒が山を拓くよ
さて、妖怪は退治しましたが、七絶山を越えるためには稀柿衕を通らなければなりません。稀柿衕というのは熟れた柿が落ちて、腐り、カビが生え……という状態でものすごい臭いがしています。妖怪を退治してもらった村人たちは感謝のしるしに稀柿衕を拓いて、一行を通してあげようと提案するのですが、距離が長すぎるので無理だろうと悟空が反対する場面です。
私の大好きな八戒の山拓きのシーンをぜひご覧ください。
まず③です。
食べ物さえもらえるなら、臭い仕事だろうがなんだろうがやっちまうぜ、っていう八戒の気の良さ、相当じゃないですかw
三蔵に「手柄を第一等といたそうが」と提案されても、まったくそんなことには反応せず、十分な量の飯が用意されるのかどうかを気にしているあたりも心憎い演出です。誉れよりも食い気を優先する男。誉れじゃ腹は膨れませんからね。
それと、八戒が必要とする飯の量を確実に悟空が把握しているというところもポイント高いですね。デキる上司的な感じ。
つぎは②
「笑っちゃいけねえ。さあこれから臭い商売だ」のやってやろう感、最高じゃないですか。私ここのシーン大好きです。
「けなげやあほう」の地の文の容赦のなさにも笑います。
①です。
ちなみに二石のお米は360Lですから、約200升。食堂とかで見るデカい炊飯器は調べたところ3升炊きみたいなので、あれが70個弱……。それと蒸しパンや饅頭もですよ。すごいな。めっちゃ食うな。そりゃ翠蘭(元嫁)の家を追い出されるわけだよ。
それと面白いのが八戒の台詞で化けるのが得意なものを挙げていくときに、「瘡かきの象とか、つるっ禿のブタとか」とかわざわざちょっと醜いものを提案するところですよね。べつに普通の象や豚でいいのに、つるっ禿のブタってなんですか?だいたいブタってそんなに毛むくじゃらではないと思うだけど、どこで「禿げ」と認定するんだろう。
同じ動物であってもちょっと醜い方が化けやすいです、という説明なんでしょうか。笑えます。
それと食べ物を大盤振る舞いしてくれる村人たちにもこころが温かくなります。ここの妖怪退治は一行にとっては楽勝だったけど、村人にとっては本当に困っていたんだろうし、だからこそ本当に一行には感謝していて、一般人には難しい道普請まで提案してくれたんだろうと思います。強力な人にとってはただの日常の延長くらいの出来事が、モブにとっては重大な変化で一生に一度あるかないかの出来事に感じられる、というようなエピソードの受け止め方の違いに私はぐっとくるタイプです。
そして、こちらでも「あっぱれ、このおたんちん」という地の文の容赦のなさ……。(もう、みんな!八戒には何を言ってもいいと思ってんだろ!私も思ってるけどさ!)
朱紫国で王の病気を直そう
まちの入口でまたケンカ
さて、今度は朱紫国です。まちに入る前に、またケンカップルがいちゃつきだすので、①②で見てみましょう。
読める読めないのやつ~。毎回やらないと気が済まないんでしょうか、この二人。
①はもうちょっと描写が細かいのでさらにおいしいです。
「見えるわけがない」とカッとしてどなりつけたくせに、悟空が「朱紫国」と読みあげてしまうと、謝るわけでもなくスン…と元に戻って「じゃあ、判子もらわねばな」となるの、いちゃつきが日常になりつつあるカップルぽくて好きです。いや、謝れよ。
悟空も別に「判子もらわねば」の後に「もちろんですとも」と答えてるし。この「もちろんですとも」ってちょっと言い方からして上機嫌ぽくないです?なんだよ、ちょっといちゃつけて機嫌良くなってんじゃねえよ、もう。この両片思いめが。
医学の心得があると嘘をつく悟空
朱紫国の王は病に伏していました。悟空が治療してみますと言い出したときの三蔵のあわてっぷりがかわいいので見てみましょう。
③はどシンプルに、さらっと書いてます。
②では少し描写が増えます。
「この性悪猿め」と師匠からののしられているのに、「お師匠様、あなたの羽振りがきくようにして上げようと思っているのに」とにこにこ受け答えする悟空の余裕っぷりにイイですね。
ののしられてもまったく傷ついてないですね。むしろちょっと面白がってますよね。ピンチのときには縋ってくるくせに、すぐ勘違いしてののしってくる師匠のこと、もう愛おしいと思っちゃってそうですよね。
そして①です。
「もう何年間もこのわたしとともにいるが」の言葉の重み、イイですね。もう何年も一緒にいるのかぁ。
裏を返せば、悟空と共にいた数年間、ただの人間の玄奘が病気になったこともないってことですよね。(妊娠したことはありましたけど)結構、病気には強い玄奘三蔵なのかもしれません。
「お師匠さまはご存じないでしょうがね、おれさま、ちょっくら民間療法の処方を知っているんですよ」という悟空の言葉の背後に「おれはお師匠様よりも長生きしてるんですよ、お師匠様の知らない過去があってもおかしくないでしょ」というほのめかしがあるのでは、とオタクは深読みしてしまいます。
玉竜の見せ場!薬のために小便するよ
そして、国王のために薬を作る悟空ですが、玉竜(馬)の小便が必要となります。玉竜が小便を出そうと必死になるシーンがかわいいので、見てみましょう。
まず①
悟空は笑って「じゃあ、いっしょに行くか」悟浄、「わしも行く」、の流れ、すごいかわいくないすか。
三人そろって小便をもらいに馬のところに行くの、すごい滑稽でかわいらしいです。で、悟浄結局一緒にきたくせに一言もしゃべらないしw「悟浄も大よろこびです」という一文に、ああ、良かったね、悟浄も嬉しかったんだね、と胸がほっこりします。
そして、馬が小便を出そうと「前やうしろにかかんだり、うずくまったりしながら、ギリギリと歯をくいしばって、やっとこさ絞り出す」という描写の細かさが非常にリアルで微笑ましい。
そして薬が大きすぎたかなと聞く相手、間違ってますよ、悟空w 八戒に聞いたらどんなでかい薬でも飲めますからねw
謎なのが、「三人、服のまんま、ぱったり寝てしまいました。」の文です。疲れてたという意味なのでしょうか?(三蔵はこのとき、人質として国王の元にとどまっています)とにかく、三蔵がそばにいないと別に服のまんま寝てもいいし、別に沐浴もしなくていいし、布団もいらねえし、みたいな人外の生活のテキトーさが感じられる文章だなと思います。
②では一言もしゃべらない悟浄は出番を削られてしまっていますw
こちらでは「帯も解かずに眠りについた」となっています。ちょっと待って。調べてみよう。
衣帯不解という四字熟語があります。
「あることに非常に専念すること。衣服を着替えることもせず、不眠不休で仕事に熱中すること。」
なるほど、この意味か。
つまり、薬を作るのに専念していたってことが言いたいわけですね。まあ、国王の病が治らなければ、三蔵はこの国を出られませんから、そういった意味でも集中して薬を作っていた、ということのようです。
③は①と②を混ぜたような訳になっています。悟浄はついていき、帯はとかない派です。
「この地を出立できまい」「さあ持って行け」「大きすぎるぜ」なんとなく悟空の口調がハードボイルドっぽいのがくせになります。
さて、今回はこれで終わりです。
空三にとって大きな事件はありませんでしたが、八戒の道普請が紹介できたので私は大満足です。
次の八巻ではまた女難にあったり、毒を飲まされて悟空以外の三人が命を落としかけたり……というエピソードがあるので、また時間をみつけて読み解きしていきたいと思っています。またお付き合いいただけると幸いです。