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西遊記どの訳が好きか―空三で読み解こう⑥ 

 前回の記事から一年以上開いてしまいましたが、心はずっと西遊記のそばにいたよ。

 どうも、atこぶたです。

 旅の後半、師弟の関係も深まっていきますね。
 今回はドラマチックな場面は少ないですが、日常に潜む師弟のいちゃつきや弟子同士のかわいいわちゃわちゃに注目していきたいと思っています。


 さて、今回も前回同様、この三冊から引用します。

  ①岩波文庫版 中野美代子訳「西遊記」

   7巻(1993年)

  ②平凡社版 太田辰夫・鳥居久靖訳     

   「西遊記下」 (1972年)

  ③福音館文庫版 君島久子訳

   「西遊記下」(2004年)

 (①は明の時代の本「世徳堂本西遊記」、

   「李卓悟先生批評西遊記」の完訳本、

  ②は明の時代の本をダイジェストにした

   清の時代の本「西遊真詮」の完訳本、

  ③は一部のエピソードが未収録の部分訳本です。)


金光寺で宝珠が盗まれる


 まずは、金光寺のエピソードからです。この話は地味なわりに敵の親族関係が入り組んでて説明が面倒くさい、という理由からか(?)、部分訳ではカットされることが多いです。③ではカットされているので、①②で見ていきます。

 金光寺という寺にたどり着いた一行ですが、塔を汚し塔頂の宝珠を僧が盗んだという濡れ衣を着せられて苦しんでいました。

宝塔掃除を頑張る三蔵と見守る悟空


 三蔵は、災いによって汚された宝塔を掃除しにいこうとはりきるシーンです。

 まずは②

 三蔵は沐浴をすますと、小袖の衣を着て、手には一本の新しいほうきを持ち、僧たちに向かい、
「みなさん、安心して休んでおられるがよい。わたしはこれから塔を掃除しに行ってくる」
 悟空、
「塔の上が血の雨で汚れ、久しく光を出さないようでしたら、ことによると、よくないものがいるかも知れません。わたくしがお供してはいけませんか」
 三蔵、
「そうか、それは結構だ」
(中略)
 三蔵は一階また一階と掃いて上り、七階まで掃き上ったのは、はや三更(十一時以後)のころおい、しだいに疲れてきた。悟空、
「お疲れでしたら、しばらくお休みください。わたくしが代わって掃きましょう」
 三蔵、
「この塔は何階だろう」
「十三階あるようです」
「どうしても掃きおえなくては、わしの願いが果たせぬ」
 そこでまた三層を掃いたが、腰はだるく足は痛むので、とうとう十階のところですわり込んでしまった。
「悟空、代わりに残りの三層を掃き清めておくれ」
 悟空は元気を振るって、十一階に上り、やがて十二階に上った。

 はりきって掃除に向かう三蔵かわいくないですか。かわいいよね。

「お供しますよ」と悟空に言われ、「それは結構だ」と三蔵は答えているわけですが、内心ほっとしてるんじゃありませんか??と脇腹をつつきたくなります。師匠、普段は掃除なんかしてないじゃないですか。

 途中で「代わって掃きましょう」と申し出る悟空の過保護感もいいですよね。ずっとそばに付き添って、師匠が疲れてきたなというタイミングで声をかける。見習いたいスパダリ仕草じゃないですか。


 で、結局自分でやるやると言い張ったのに、十階で力尽きてしまう三蔵、なんなんですかね。三歳児ですかね。
 師匠に「代わりに残りの三層を掃き清めておくれ」と頼まれて「元気を振るっ」ちゃう弟子も、待ってました感あっていいですよね。たぶん、結構前から代わってあげたくてうずうずしてたんだろうな、という気持ちも読み取れます。


 次は①

 沐浴をすませた三蔵、小袖の褊衫(へんさん)に気がえ、しごきできりりと束ねると、軟らかい長靴を穿きました。そしてほうきを一本手にするや、
「みなさんは、安心しておやすみくだされ。塔をお掃除してまいります」
 すると悟空、
「塔の上は血で汚されているということですし、おまけに久しく光を発していないそうです。へんなやつがいるかもしれません。夜風も寒いですから、お伴もなしで行ったら思わぬことが、起こるかも知れません。孫さまがお伴しますが、いかがですか」
 三蔵、
「よし、よし。たいへんけっこうだ」
(中略)
 次第にくたびれてきた様子に悟空、
「お疲れでしょうから、しばらくお休みください。おれさまが代わりに掃いてあげます」
 三蔵、
「この塔は何層あるのかね」
「十三層はあるようですぜ」
「なんとしてもてっぺんまで掃かなければ、わたしの願は成就しないのだよ」
 そこでさらに三層がんばったのですが、腰はだるくなる、脚は痛くなるで、第十層までしたところで、へたりこんでしまいました。
「悟空や、私の代わりにのこりの三層を掃いてきておくれ」
 悟空は元気をふるいおこして、第十一層にのぼり、やがてまた、第十二層までのぼって掃いておりましたところ、塔のてっぺんでなにやら話し声がいたします。

 まず玄奘の衣装から注目してみます。「小袖の褊衫」とあるので袖口の小さい僧服を着ています。褊衫とは袈裟を着るときの下衣です。「しごきできりりと束ねると」という記載からおそらく襷がけをしているってことだと思います。三蔵の襷がけだよ、スーパーレア!
で、凛々しい格好をして「みなさんは、安心しておやすみくだされ。塔をお掃除してまいります」ですよ。


 いつも守られてばかりの三蔵だけど、今日はみんなが休んでるときに頑張って働くんだぞ!という意気込みが感じられます。「お掃除してまいります」だよ。かわいいかよ、くそ。


 こちらの悟空は「孫さまがお伴しますが、いかがですか」と提案してます。「孫さま」と自分に尊称を使いながらも、たぶん片膝ついて提案したんじゃないかなあという妄想さえ広がります。


 三蔵が沐浴を済ませたのが20時頃、「へたりこんでしまった」のが午前0時頃なので四時間程度は掃除をしていたようです。結構頑張った方だと思いますね。四時間、そばにいた悟空は何かしゃべりかけてたんでしょうか。それとも真剣な玄奘の横顔をずっと眺めていたんでしょうか。


 先にも言った通り、部分訳ではカットされやすいこの宝珠エピソードなんですが、なんと斉藤洋の「西遊記12巻」(理論社2018年)ではまるっと取り扱われています。
 たぶんこの回の妖怪の親玉が龍王なので、天界に住んでるやつだって腐ってるのがいるじゃないか的な意味合いを強調するために選ばれた気がするのですが、この掃除のシーンかわいいので、見てみましょう。
 この本は訳ではなくて「斎藤洋 文」になっているので、文章がやや異なりますが、原文と比べて斉藤先生がどこにこだわっているのかに注意しながら読んでみましょう。

 三蔵は言った。
「これから、わたしは仏塔を掃ききよめてまいります。悟空。ほうきを一本、借りてきてください。」
 悟空は立ちあがって言った。
「ほうきなら、本堂を出たところに、ちょうど二本、立てかけてありました。わたしもお手伝いします。」
 すると、悟浄は、
「それなら、わたしも。」
 と言い、八戒は、
「ええっ?みんなでやるなら、しょうがない。おれも……。」
 と言った。
 悟空はふたりに言った。
「おまえたちがきたら、騒ぎが大きくなる。どうせおれは、あとで仏塔を見てこようと思っていたところだ。おまえたちはここにいろ。」
 それでも立とうとする悟浄を手で押しとどめつつ、ほっと安心顔の八戒を横目で見ながら、悟空は三蔵に言った。
「さあ、お師匠様。まいりましょう。」

 みんなで行く流れになってたのを、悟空が!二人で!行くからって!二人きりがいいんだって、他の二人を厄介ばらいしてますよ。二人きりで掃除をしたい悟空、これは一つのポイントですね。

 で、このあと二人で協力しながら掃除をするんですけど、ラブラブしてるかというとそうでもなくてw
「仏塔は高ければいいというものではない。そんなこれ見よがしな心根を御仏が喜ぶわけがない」と三蔵が話し、悟空は「高い塔を立てて近付きたいと思うほど天界っていいところでもないですよ」というイマイチかみ合わない会話を交わしています。

斉藤先生の西遊記はこういう悟空の天界に対する不信感みたいなのが垣間見えるところが現代っぽいなと思います。このエピソードに限らず斉藤版はかなりオリジナル展開が広がっていくので、ここでも塔掃除までは原典に近いんですがこの後の展開は原典とは大きく異なることになってきます。
 あとね、細かいところだけど、原典ではさっきも確認したとおり三蔵は十層まで頑張って掃除したんですけど、こちらの本では三蔵と悟空が力を合わせて掃除したのは三層までになっていて、「先生、原作よりも三蔵はすぐ疲れて掃除を悟空に任せるだろうと判断したんスね」って感じがして、楽しいポイントではあります。


妖怪退治は悟空を指名する三蔵

 掃除をしていた塔の上にはなんと妖怪がいて、その妖怪たちの親玉が宝珠を盗んだということがわかります。国王にそれを上奏して、寺の僧侶たちの濡れ衣を晴らすため、宝珠を取り返しに行くことになります。
 国王は妖怪の親玉を捕まえるための相談を兼ねた宴会を開きます。

 まずは②
 たらふく食った八戒がご機嫌な様子に注目してください。

 杯をあげて国王、
「どちらの聖僧が兵を率い化け物対峙に行ってくださるのでしょうか」
 三蔵、
「一番弟子の孫悟空に行かせましょう」
 悟空は手を拱いてかしこまる。国王は尋ねた。
「孫さまに行っていただくとなりますと、どのくらいの人馬がいりますか」
 八戒、思わず大きな声をたてて、
「人馬なんぞいるもんですか。腹いっぱいいただいたところで、おいらが、兄貴といっしょに行き、苦もなくつかまえて来ますよ」
 国王、
「人馬が不要とあらば、なにか武器でもご入用で」
 八戒、笑いながら、
「わしら兄弟には、いつも使いなれた得物があるんです」

 三蔵が迷いなく悟空を指定してるのが尊いですね。信頼厚き一番弟子です。


 ①ではこんな感じ。 

 国王は酒杯を挙げながら、
「どちらの聖僧が兵をひきいて妖賊退治に行かれるのですかな」
 三蔵、
「一番弟子の孫悟空に行かせようと存じます」
 悟空も手をこまねいて、承知したとのあいさつをします。国王、
「孫長老が行くとなると、いかほどの人馬がお入用かな。そして、いつお出かけですかな」
 すると八戒、
「人馬なんぞ入用なもんですか!いつ出かけるかも、関係ないでしょうて。酒と飯をたらふくごちそうになったら、おいらも師兄といっしょに行ってつかまえてきます」
 三蔵はたいへんよろこんで、
「八戒や、そなたはこのところまじめだの」
 悟空、
「それじゃ、お師匠さまをおまもりするのは悟浄にまかせ、おれたちふたりで出かけよう」
 国王、
「人馬が要らなくとも、兵器は入用であろうの」
 八戒はニヤニヤしながら、
「おたくの武器は使えんのです。おいらたちには、いつも身につけている兵器がありましてね」

 八戒が行くと聞いた時の三蔵の台詞聞きました?
 「八戒や、そなたはこのところまじめだの」
 普段まじめじゃないって言ってるwwww
 それでも悟空は「じゃ二人で行こうぜ」ってなるその八戒と悟空の相棒感も素敵です。

二郎真君との酒盛り



 妖怪の親玉は龍王と娘婿の九頭駙馬でした。水中戦となるため、水が苦手な悟空は苦戦を強いられます。
 そこへ通りかかるのが二郎真君です。このエピソードでは珍しく三蔵が攫われていないので、精神的にゆとりのある悟空の様子を見てみましょう。

 まず①です。

 悟空がよくよくながめまわしたところ、二郎顕聖ではありませんか。梅山の六兄弟を従え、鷹と犬をひき連れ、獲物の狐・兎・獐(のろじか)・鹿をかつぎ、いずれも腰には弓、手には刀といったいでたちで、風や霧を湧きおこしつつ進んでくるのです。悟空、
「おい、八戒、あれは七聖兄弟だぜ。うまいことひきとめて、手伝ってもらおうじゃないか。うまくいったら、今度こそ絶好のチャンスだぜ」
 八戒、
「兄弟というのなら、あんたがたのみにいけばいいだろ」
「ただね、長兄分にあたるあの二郎顕聖ってえのは、おれさま一度、降参させられたことがあってな、ちょいと気まずいんだ。おぬし、行って雲をとめ、こう言うんだ。
『真君、ちょいとお待ちください。斉天大聖がごあいさつしたいと申しております』とな。おれだとわかったら、きっととまる。そこで雲からおりてくれたら、会うにも会いやすいんだ」
 (中略 さっそく攻めに行こうという真君)
 すると、康・姚・郭・直の四人が、
「兄上、まあ急かれるな。やつら一族、ここにいてよそに逃げる心配もありません。それに、孫兄上だって珍客、猪剛鬣も正道に帰しました。われわれの宿営には酒肴もそなえておりますから、家来どもに火をおこさせ、席をつくらせて、おふたりの前途を祝し、久闊を叙して、ひと晩飲みあかそうじゃありませんか。夜が明けてから攻めこんでも、おそくはありませんよ」
 二郎神も大よろこび、
「賢弟の言うとおりだ」
 とて、したくをさせます。悟空、
「せっかくですから、遠慮はいたしません。ただ、和尚になってからは、いつもお斎をいただいておりますので、わざわざ精進料理のおしたくとなりますと……」
 二郎神、
「なに、般若湯も果物もあるよ」
 ―というわけで、兄弟一同、星あかり月影のもと地べたに座りこんで、杯を挙げ思い出話に花を咲かせたことでした。

 般若湯は言わずとしれた酒ですね。
 妖怪退治を一旦置いておいて、酒盛りするの、戦場でしか会えない絆っぽくて良いですね。
 悟空は天界で大暴れしていた斉天大聖時代、二郎真君+飼い犬に負けた(?)過去があるのでその思い出話でもしたのかなと思うと、にやにやします。仲良くなってるじゃないですか。
 ちなみに悟浄は三蔵と一緒にお留守番だから酒盛りには参加してません。かわいそうに。

②だとこんな感じ 
 


 悟空、よくよくながめれば、これぞ二郎顕聖が梅山の六兄弟を引き連れ、鷹や犬をたずさえ、いずれも腰には弓をはさみ、手には刀を持ち、風雲を放って突き進んで行くのであった。悟空、
「八戒、あれは七聖兄弟だ。あの人たちに頼んで助太刀してもらう絶好の機会なんだが、あの中の顕聖兄貴には、降参させられたことがあるんで、いきなり会うわけにいかねえ。おまえ行って雲をさえぎり、真君を、ちょっと止めてくれ。向こうが止まったところで、おれが会いに行くからな」
 (中略)
 二郎真君、
「われわれは酒肴を携帯しておりますから、小者にこの場でしたくさせ、おふたりとひと晩飲み明かし、夜が明けたら戦いをしかけることにしてはいかがです」
 そこで部下に用意をさせると、兄弟たちは月影の下で地面にすわりこみ、杯を上げて思い出話にふけった。

 ①だと「今すぐ攻めこもう」という真君を兄弟が止めてる形だけど、②だと兄弟の台詞がなくなって真君が酒盛りを提案したことになっていますね。真君のキャラ設定としてどちらをとるか、って感じではあります。まあ、単に兄弟の台詞を削っただけかもしれませんが。

 とりあえず悟空・八戒と楽しく酒盛りをする真君については解釈の一致しかないのでありがたいエピソードです。




これ以上弟子はいらねえと坊さんを追い払う悟空




二郎真君の協力もあり、宝を取り戻し、妖怪を捕まえた悟空たちを国王は大歓迎します。そして歓待を受けた後、寺を出発するんですが、そこの僧たちが感謝のあまりずっと一行の後をついてくる場面です。ちなみに「金光寺」という名前だったんですが、その名が良くないとして「伏龍寺」に改名しています。

 まず②です。


 伏竜寺の僧たちは五、六十里も見送ったあとも、なお寺に帰ろうとせず、あるものはともに西天へ行きたいと言い、またあるものは、三蔵につかえて修行したいと言う。悟空は一計を案じ、にこ毛を三、四十本抜いて、猛虎に変え、行く手に立ちはだかって、咆哮しつつはね回らせた。これには僧たちも恐れおののき、進む者がない。そのまに悟空は三蔵の手をひき、馬に鞭をあて、たちまち、はるかかなたに去ってしまった。僧たちはいたしかたなく、涙を流して帰って行った。

 まあ、いろいろ言いたいことあるんですけど、まずさあ、なぜ悟空が僧たちを追い払ったのかについてまず考えてみます?


 まず、足手まといだよね。普通の人間はさ。妖怪と戦える能力ない人たちがいくらついてきてもまったく役に立たないからね。
 それをさ、「いや弟子として孫さまがいれば十分なんですよ」と言えばいいのに、わざわざ虎を出して実地でわからせるあたりが「力ある者がない者に説明するとき、面倒くさいので理屈放り投げました」感がありますね。でも別に虎に襲わせたりはしてないので、ちゃんと手加減してるあたり優しいです。


 そして注目すべきは「悟空は三蔵の手をひき」というところですね。空三クラスタはわずかな身体接触でも見逃しません。少ねえんだもん、ふれあってるところ。
 虎がでてきて三蔵の足もすくんでしまったんですかね。だから手をひいたんでしょうか。


「手を引き、馬に鞭をあて」という文章の解釈に迷っているんですけど、
 ア 手を引いて三蔵を馬に乗せたあと、鞭をあてて走らせた
 イ 三蔵の手を引いて二人で駆け出し、馬も鞭をあてて走らせた

 どっちだと思う?三蔵の足の遅さを考えると①かなと思うけど、別に三蔵の足が遅いとは書いてある部分ないしな。

 二人で手をつないで走る師弟見たいなあ。別に妖怪に追われてるわけじゃないからそんなに必死に走る必要もないし、「ふふっ、速いな」「師匠、転けないでくださいよ」とか、くすくす笑いながら走る師弟が見たいです。

では①を見てみましょう。



伏龍寺の僧たちは、五、六十里送ってもまだ帰ろうとしません。なかには、西天までごいっしょさせてくださいと言う僧やら、おそばで修行しながら身のまわりのお世話をさせてくださいと言う僧まで出るしまつ。
 いっこうに帰ろうとしないので、悟空はとうとう一計を案じ、にこ毛を三、四十本もひっこ抜くと、プッと仙気を吹きかけて、「変われっ!」と叫びました。すると、いずれも縞模様も鮮やかな猛虎に変じ、道の行く手に立ちふさがって吼えたり跳びはねたりするのです。これには僧侶たちもこわがって、さすがに進もうとはいたしません。そのすきに悟空は師匠の手を取り、馬をうながして先を急ぎますと、あっというまに遠ざかってしまいました。それでも僧侶たちは大声で泣きながら、
「深い恩義のあるあの旦那さまが、わたしたちを得度してくださらないなんて、やっぱりご縁がなかったのか」などと叫んでいます。

こっちはアっぽいよね。どうも、そんな感じ。


でもこの立ち去り方の勢いの良さから、悟空の独占欲、感じられませんかね。

僧侶たちはどうせただの人間なのだし、一緒に西天までなんてたどり着けるわけないじゃないですか。どっかその辺で妖怪に喰われるのがオチですよ。だからついてきたいならついて来させても、そう遠くないうちにどっかで死んじゃいますよ、きっと。
でもちょっとの間でも他の人が三蔵を慕っているのを振り払いたいというか、おれたちだけの師匠なんだ、という排他的な欲望が現れている気がします。と私は思いますけど、どうですか。

 

木の妖精の美人局


さて、次も部分訳ではカットされることの多い、木の妖精が三蔵に誘いをかけてくるエピソードです。


美人局に怒る三蔵



 茨道をめずらしく八戒がはりきって切り拓いてくれます。突風と共に突然現れた老人に三蔵だけが攫われてしまいます。
 三蔵が目を開けると三人の老人がいて、「私たちは悪人ではありません」と言われます。仕方なく老人たちと詩を吟じたりしていたら、きれいな女が出てきて「二人はお似合いだから結婚したらいいじゃないか」と老人が無理に結婚させようとしてくる場面です。今までにこにこしていた三蔵が怒りだします。


まず①です。


 聞いて三蔵、さっと顔色を変え、跳びあがって叫びました。
「おまえたち、みな怪物の仲間だな。ぐるになってわたしを誘惑し、はじめはうまいことを言って、玄を談じ道を語るなどしていたうちはいいが、いまとなって美人局でたぶらかすとは!なんたることだ!」
(中略)
 三蔵は、もう心を石のようにガチガチに堅くしています。そのいっぽうで、
「ああ、弟子たちはいまごろ、どこでわたしを探しまわっていることだろう」
と思ったとたん、涙があふれ出るのでした。
 すると、女が笑いを浮かべながら、そばににじり寄ってきて、緑いろの袖から蜂蜜いろの絹のハンカチを取り出し三蔵の涙を拭きとりながら、
「ねえ、すてきなおかた、くよくよなさらないでよ。ぴったりくっついて、いいことして遊びましょうよ」
 三蔵、たちまち一喝を食らわせ、席を蹴たてて離れようとします。
(中略) 
 するうちに、三蔵がもがくように門から跳び出してきて、
「悟空や、ここだよ。はやく来て助けておくれ!」
と叫んだのですが―
 そのとたんに、あの四人の老人も、鬼の従者も、女も小女たちも、みんな消え失せてしまいました。
 ややあって、八戒と悟浄も追いついて、
「お師匠さま、なんだってこんなところにいらっしゃるんです」
 三蔵は悟空の手をとって、
「弟子たちや、ご苦労だったね。(略)

 美人局には「心を石のようにガチガチにして」冷たく接しながら、自分を探し回ってくれている弟子を思って涙が出ちゃう三蔵、かわいいじゃないですか。

でも、色仕掛けしてくる女には「一喝を食らわせ、席を蹴りたて」るということなので結構気が立ってますね。妖怪相手でもちゃんと嫌なことは嫌って言える三蔵くん、偉いです。伊達に女難に何度も遭ってきてないですね。


そしてまず「悟空や」と一番弟子の名を呼ぶところ、やっと弟子に会えた時に「悟空の手をと」るところ、ああ……イイ。抜群の信頼と安心感で頼りきってます。

②です。


 三蔵はそれを聞くと、顔色を変えて、飛び上がり、大声を出して、
「なんじらはみな怪物の仲間、わしを誘惑しようとたばかるのだな。はじめは風雅を装おい、玄を談じ道を語っておったが、それはまだしものこと。ついには美人局でそれがしをあやめんとするのは不届き千万」
(中略)
 三蔵は胸の中で、
 ―弟子たちは今ごろ、どこでわしを捜しているのだろう――
 と思いながら、しきりと涙を流していた。
 するとかの仙女は、お追従笑いしながらそばへ寄り、緑色の袖からたまご色のハンカチを取り出して、三蔵の涙をぬぐい、
「あなた、くよくよするのはおよしなさい。これからふたりで、いいことしましょうよ」
 三蔵は、こらっ!とどなりつけるなり、席を蹴って立ち上がった。
(中略)
 もともと三人は、馬を引き、荷物をかついで、ひと晩じゅう、歩き通し、いばらの中を捜しまわっている間に、八百里の荊棘嶺を越してしまったのであるが、三蔵のどなる声を聞きつけ、大声で呼びかけたのであった。三蔵は門から飛び出して、
「悟空、わしはここだよ。はやく助けておくれ」
 と叫んだとたんに、四人の老人はじめ、赤鬼・仙女・女童たちは、たちまち姿をかき消してしまった。やがてあとから八戒と悟浄も駆けつけ、三蔵に向かい、
「どうしてこんな所に来たのです」
 と尋ねる。そこで夜来のでき事をひととおり話すと(略)

②だと悟空の手を取る描写はないですが、基本的な流れは①と同じですね。「ついには美人局でそれがしをあやめんとするのは不届き千万」という歌舞伎のような威勢の良い台詞が三蔵から聞けるところがかなりポイント高いです。


散々苦労させられる黄眉大王(ただし知名度は低い)


小雷音寺で仏の姿に化けていた黄眉大王に捕まってしまうエピソードです。黄眉大王というのは知名度は低いものの、持っている秘密道具が強力なため、かなり手こずらされることになります。

それぞれの妖怪の強さについてはこちらの方のブログにかなり詳しく書かれているのでご参照ください。



寺についたらまずケンカ

 まず寺についたところから。またまた師弟でけんかしています。
 雷音寺というのは三蔵が目指す天竺の寺の名なので、三蔵は初めは天竺に着いたのではないかと勘違いをしています。


まず②です。


三蔵は馬をいそがせて、山門の前まで来ると、「雷音寺」という三つの字が見える。あわてて馬から飛び降り、
「この悪猿め、わしをだましたな。現にこれは雷音寺ではないか」
 としかりつけた。悟空は、笑いながら、
「まあ、よくあの山門の上を見てください。あれは四つの字ですよ。それを三つだけ読んでわたしを怒ったりしちゃ困りますね」
 三蔵がよく見れば、なるほど四つの文字で、
 ――小雷音寺
 とある。
 (中略)
 悟空、
「いけません。ここは吉が少なく凶が多いようです。もし災難が起こってもわたしは知りませんよ」


 悟空はすでに寺には災いが潜んでいることを知っているので、通り過ぎようと提案するのですが、三蔵は仏があるのだから参拝すると言ってききません。


「悪猿め」とののしられているのに、笑いながら「まあよく見てください」と受け流す悟空、なんなんですか。すぐキレて天界で暴れていた人と本当に同一人物ですか?
師匠と一緒にいることでいろんな感情を経験してちょっとオトナになっちゃってんですよね、わかります。


 ①でも同じ感じです。

三蔵が馬に鞭あて、急ぎ山門の前まで行ってみますと、「雷音寺」という三つの大きな字。あわててころがるように馬からおり、地面にひれ伏します。そして口では、
「ろくでなしのサルめが!わたしのじゃまをしおって。現にこれが雷音寺じゃないか。つべこべだましおって!」
 と小言たらたらです。
 悟空はニヤニヤしながら
「お師匠さま、怒らないで、よく見てください。山門の上には字が四つです。三つだけ読んで、おれさまを疑うなんて―」
 三蔵がおそるおそる這い起きて見ましたところ、なるほど四つの文字―
 ―小雷音寺
(中略)
 悟空、
「だめですよ。ここは吉が少なく凶が多いんです。もしへんなことになっても、知りませんからね」


①の三蔵の方が口が悪いですねw
こちらの悟空はニヤニヤしながら「おれさまを疑うなんて―」と言ってるので、ちょっと不良味が抜けてない感じですね。ニヤニヤ顔の不真面目感が良い味です。



閉じこめられた悟空はトラウマ発症


悟空が止めたものの、寺の中に入ってしまった一行は、結局妖怪に捕まってしまいます。
 特に悟空が閉じ込められた饒鉞(シンバルのようにして音を出す仏具)は非常に厄介な代物でした。悟空が大きくなれば一緒に大きくなり、小さくなれば一緒に小さくなるのでほんの小さな穴もみつけることができません。にこ毛を錐に代えましたが穴もあきません。

①で見てみましょう。

 
 その呪文で、五方羯諦・六甲六丁・十八護教伽藍が饒鉞の外に集まって、
「大聖よ、こまるじゃないですか。お師匠さまを妖魔の悪の手からお護りしておりますのに、呼びつけてどうしろって言うんですか」
 悟空、
「あの師匠はな、おれさまの忠告をきかなかったんだから、殺されてもともとなんだ。いまはまず、なにがなんでも法を使ってこの饒鉞をこじあけ、おれさまを出してくれ。妖怪退治は、それからのことだ。この中ときたら、まっ暗で暑くてたまらん。息がつまって死にそうだ」

 悟空は三蔵の身を守っている五方羯諦などを呼出して、なんとかしろと詰め寄ります。

「あの師匠はな、おれさまの忠告をきかなかったんだから、殺されてもともとなんだ。」の言い草がヤバいですねw
ねえ、本心だと思います?
さっきのけんかの時は笑ってたのに、怒ってるわけないよね。


 ここで思い出してほしいのは、悟空が天界で八卦炉に49日間、閉じこめられて焼かれた一件ですね。このせいで悟空の目は爛れて赤くなってしまいました。その過去から悟空は閉所恐怖症の可能性あると考えますけど?どうかな?


 金角と銀閣の紫金紅葫蘆(いわゆる瓢箪)に閉じこめられたときは小虫に化けて、「溶けちゃったよ~」とか嘘ついて瓢箪の封を開けさせてその隙に飛び出るんですけど、その時と比べるとだいぶこっちは余裕がないんですよね。

瓢箪のほかにも羅刹女の腹の中とか大蛇の腹の中とか、悟空が「閉じ込められる」場面はかなりあるんです。中野御大が指摘してるようにそれは悟空の再生(生まれ直し)をしているという説もあるわけですが、今回注目したいのは、閉じ込められてこんだけ焦ってる悟空というのは八卦炉とこの饒鉞のところぐらいなんですよ。「息がつまって死にそうだ」という表現からは、閉塞感と恐怖を強く感じます。


 たぶん、八卦炉も饒鉞も「自分が本気で出ようとしても出られない」という共通点がありますよね。おそらく、この饒鉞に閉じこめられたときに八卦炉のことが頭に浮かんだはずです。八卦炉のときも結局出られず、49日後に扉を開けられるまでずっと待つしかなかった。そういう恐怖体験があっての発言だろうかと思います。

②でも見てみましょう。

 一同は饒鉞の外から
「大聖、われわれは三蔵を守っているのに、こんなところに呼びつけて、どうしようと言うんです」
 悟空、
「あの師匠は、おれの言うことをきかなかったんだから、死んだってもともとだ。おまえたち、早く法を使って、この饒鉞をあけ、おれを出してくれ。師匠のことはそれからだ。この中は、まっ暗で、暑くてたまらない。これじゃ息がつまって死んでしまう」

 ①では「妖怪退治は、それからのことだ。」の部分が、②では「師匠のことはそれからだ。」となっています。
まあ師匠がは妖怪につかまっているのだから一緒だと言えば一緒なんですけど、②の方が若干響きが強いですよね。師匠のことよりもまずは自分の身の安全を優先したいというのが明確に出ていて、恐怖の強さを感じます。
 とにかく、このときの悟空は自分の恐怖で頭がいっぱいになってる印象です。



天性のバブみ

 

天界の二十八宿である亢金龍の活躍で悟空は饒鉞の外に出ることができます。外に出た悟空はさっそく黄眉大王を戦いますが、不思議な袋に仲間の神将たちとともに吸い込まれてしまいます。 

①です。


 さて、孫悟空はといえば、ほかの諸神ともども縛られておりましたが、夜中になってふと、だれかの泣き声に気づきました。耳をすますと
なんと三蔵の声ではありませんか。泣きながら、こんなことを言っているのでした。
「ああ、悟空よ、わたしはね―
 お前の忠告無視したために
 今日の難儀を招くにいたる
 鐃鈸の中でお前は苦しんで
 捕縛のわが身をだれ知ろう
 師弟の苦難はいまこそ試練
 三千の功徳も崩れてしまう
 如何にせばこの難をば脱し
 西への旅を全うできるのか」
 聞いて悟空も思わずほろりとなって、
「師匠はおれの言うことをきかなかったばかりにひどい目に遇っているわけだが、それでも孫さまのことを思う気持はあるんだな。よし、やつらも寝しずまって見張りもいないのをさいわい、いっちょう仲間を助けにいくか」
というわけで、悟空は遁身の法を使いからだをうんと小さくすると、縄を抜け三蔵のそばに近づきました。
「お師匠さま!」
と声をかけますと、三蔵もわかって、
「おまえ、どうしてここに?」
 悟空がいままでのことをひと通りひそひそ告げますと、三蔵はすっかりよろこんで、
「弟子や、はやくわたしを助けておくれ。これからは、なんでもそなたの言うことをきいて、けっして無茶は言わないから」
 そこで悟空はまず師匠の縄を解いてやり、次いで八戒・悟浄はもちろん、二十八宿やら五方羯諦をもひとりひとりほどいてやりました。それから馬を引っぱってきて、さっさと逃げ出そうとしたのですが、門を出たところで荷物がないのに気づいて、また探しにもどろうとします。
 すると亢金龍が、
「おや、人より物が大事ですか。師匠を助けただけでも御の字じゃないですか。荷物なんて、いいでしょ?」
 悟空、
「人も大事だが、衣鉢はもっと大事なんだよ。包みのなかには、通行手形もあるし、錦襴の袈裟やら紫金の鉢盂もある。どれも仏門ではこのうえない宝なんだ。要らないなんて、とんでもない」

 三蔵の泣き声を「聞いて悟空も思わずほろりとなって」、「おれの言うことをきかなかったばかりにひどい目に遇っているわけだが、それでも孫さまのことを思う気持はあるんだな」とかさあ、もうこれママじゃん。

 言うこときかない我が子に「ほら、ママが言った通りじゃん、やれやれ」って思いながらも。かわいいな、放っておけないなぁ、て思う時のやつじゃん。もうママだよ、悟空。


 そしてまた、三蔵は「なんでもそなたの言うことをきいて、けっして無茶は言わないから」というできない約束をしてますけれども。(やっぱり精神が三歳児)


 あと、注目すべきは後半ですね。師匠が助かればそれでいいじゃないかという亢金龍に対し、荷物も大事なんだという悟空です。

これは、三蔵が死なないことも大事だけど、それだけでもだめで、やっぱり西天への取経を続けさせないといけないという義務感が表れているのではと思います。まず出てくるのが「通行手形」ですもんね。とにかく三蔵に旅を続けさせないといけない、という使命感。その次に師匠が観音からいただいて大事にしている錦襴の袈裟、唐の皇帝からいただいた紫金の鉢盂の順ですからね。きちんと取経の旅にとって必要な順番になっているところが、にくい演出です。

②でもこんな感じです。


 さて、縛られたまま夜半を待った悟空は、遁身法を使い、からだを小さくして縄から抜け出し、三蔵のそばに歩み寄って声をかけた。三蔵は声の主がわかると、
「弟子よ、はやく助けておくれ。これからは、なんでもおまえの言うことを聞き、決してさからわないから」
 と哀願する。悟空はまず三蔵のいましめを解き、八戒と悟浄を自由にすると、つづいて二十八宿・五方羯諦の縄を解いた。そして馬を引いて来て、一刻も早く逃げるよう三蔵をせきたてた。
 門を出ようとしたが、荷物が見えない。悟空が捜しにもどろうとすると、亢金龍が言う。
「師匠が助かっただけでも上々じゃないですか。荷物なんか捜してどうするんです」
 悟空、
「人も大切だが、衣鉢はもっと大切ですよ。包みの中には、関所手形、錦襴の袈裟、純金の鉢がはいっている。どれも仏門最上の宝です。なんでいらないことがあるもんですか」

 ここでも先に挙げた、「関所手形、錦襴の袈裟、純金の鉢」の順番は同じですね。
 神将よりも先にまず一番に三蔵の縄を解く、弟子の愛情を感じてください……。


三蔵の苦難に涙する悟空


 逃げたのを黄眉大王に見つかってしまった悟空は八戒、悟浄、神将たちと共に戦いますが、ふたたび謎の袋に吸い込まれてしまいます。悟空だけは逃げきれたのですが、三蔵の度重なる災厄に思わず愚痴ってしまう場面です。

 まず②です。


さて大空に飛び上がった悟空は、妖魔が引きあげて行くのを見て、三蔵たちが再び捕らわれたことを知った。そこで雲を下げて、東の山の頂に着陸し、歯ぎしりをしてくやりがりつつ、三蔵のことを考えて涙を流し、
「お師匠さま。あなたはいつの世に悪いことをして、今生にこうも行く先々で化け物に会われるのでしょう。いったい、どうしたら、この苦しみからのがれることができるのでしょう」
 と、ひとりごちつつ嘆息していたが、そのうち、だんだんと心も落ちついてきた。

 「三蔵のことを考えて涙を流し」
 そっかぁ……。三蔵が苦難に遭ってばかりいることを考えると思わず涙がでちゃうんだね。もう苦しみから救ってあげたいんだね。
 愛じゃないか……。

 ほら、これまでは「好きじゃん」って感じだったけど、もう悟空の感情が「愛」にまで高まっている様子が感じ取れませんかね。私は確信していますね。


 次は①

こちら悟空、九霄の高みにて命だけは助かったものの、妖兵たちが旗をたたんで引き返しているのを見て、三蔵はじめ仲間の衆がのこらず捕らえられたなとわかりました。雲をおろし、東の山のてっぺんにおりてきましたが―
 恨めし怪物
 唐僧あわれ
 天を仰げば
 悲さばかり

 そして、
「お師匠さまよ!あなたというお人は、いったい前世のどの世において因果の種子をまいたんですか。今生に行くさきざきで化けものにぶつかるなんて。まったく、こんな苦しみには終わりがないですよ。ああ、どうしたらいいだろう」
 と、ひとしきり繰りごとをならべることしばし―。
 そのうち、気持も落ちついてきましたので、あれこれ考えにふけっております。

「唐僧あわれ」で「悲さばかり」なんですよ。もうそろそろ苦難に遭うばかりの三蔵を見てられないというような気持ちでしょうね。


徹夜の連続で疲労が限界に達する悟空



 まず小雷音寺についたのが一日目の日中。悟空が一晩中饒鉞に閉じこめられて亢金龍に出してもらったのが二日目の明け方。すぐに大王とたたかって捕まってしまい、二日目の夜に三蔵がぐすぐす泣いているのを悟空が耳にして助け出します。三日目の明け方に皆で逃げ出し、追いかけてきた大王と日が暮れるまで戦います。夜になって戦いに決着をつけるため、大王が袋で皆を吸い込んでしまい悟空が悲嘆にくれていたのが先程の三日目の夜。気を取り直した悟空が丸二日かけて上帝祖師のところから援軍を連れてきます。なのでおそらく六日目に再び援軍を率いて大王と戦いますが、やはりその援軍も袋に吸い込まれてしまいます。

今度も逃げおおせた悟空ですが、五徹してます。そろそろ疲れがたまってくる様子を心配しながら読んでいきましょう。

 まず②

さて悟空は雲を降ろし、山の頂によりかかって、しょげかえっていると、思わずまぶたが合わさって眠り込んでしまいそうになる。すると突然、だれかが叫んだ。
「大聖よ、眠ってはなりませんぞ。早く救いを求めなさい。あなたの師匠の命は旦夕の間に迫っています」
 悟空はいそいで目を開き、飛び上がって見ると、それは日値功曹(にっちょくこうそう・その日の当番の神)であった。
(中略)
 すると功曹は、あわてておじぎをし、
「大聖、てまえどもは菩薩のお言いつけで、人知れず陰から三蔵をお守りしています。一刻もおそばを離れられませんので、しじゅうは、お伺いすることができないのです。このところ、大聖のおうわさを聞きませんでしたが、さきほど魔王が竜神・亀蛇を捕えたのを見て、はじめて大聖が呼んで来られた援兵であると知り、こうして尋ねてまいったのです。大聖よ、あなたのご苦労のほどはお察ししますが、どうあっても、いそいで救援を頼みに行かなければなりません」
 悟空はそのことばに、思わず涙を流して、
「今となっては、恥ずかしくて、天の上にも海の底にも顔を出せたものじゃない。菩薩にいわれを尋ねるのもいやなら、如来の顔を拝するのもいやだ。さっき、連れて行かれたものは、真武君の亀蛇・五竜などの神将だ。おれはもう助けを頼みに行く所もない。ああ、どうしたらいいんだろう」

 悟空はあまり睡眠を必要としない、という記載もありますが、さすがに五徹となると眠くなってくるようです。
 援軍を連れて来てもすぐに吸い込まれてしまうので、めずらしく弱気になっている悟空がみられます。

①ではもう少し描写が細かいです。

さても孫悟空、雲をおろし山のてっぺんによりかかって、がっくり肩を落としております。
「なんちゅう、すげえ化けもんだろう」
とぐちをこぼしながらも、思わずまぶたがくっついてうつらうつらいたします。すると、
「大聖、眠りこんではいけませんよ。さっさと起きて救いを求めなさい。師匠の命は、あといくばくもありませんよ」
 びっくり仰天して跳び起きた悟空、目をこすってよくよく見れば日値功曹なのでした。
(中略)
 功曹、
「あなたのお師匠さまとおとうとさんたちは、宝殿の廊下に吊るされておいでです。星さんたちは地下の穴蔵に押しこめられています。ここ二日ほど大聖の噂を耳にしないなと思っておりましたら、あの魔王が神龍や亀や蛇などをも地下牢に送りこんできたものですから、それで、ははあ、これも大聖がおたのみになった援軍だなと知った次第でして。それで大聖を探しにまいったのですよ。疲れたなどとおっしゃっている暇はありません。すぐにも救援をたのみにお出かけください」
 ここまできいただけで、悟空ははらはらと涙をこぼしました。
「おれさまはな、もう天宮にも海の底にも顔向けできないんだよ。菩薩にわけをきかれるのはいやだし、如来を拝するのも辛いんだ。ついさっきつかまって連れていかれちまった亀やら蛇やら五龍なんぞは、真武天尊の身内なんだよ。これ以上、救援をたのみにいけるところなんて、ないんだ。ああ、どうしよう」



 私は、このしょげ返っている最強の悟空に対して、下っ端の日値功曹が「さっさと起きて助けを求めに行きなさい」と偉そうに指示するところがわりと好きなんですよね。誰かがやらなきゃいけない仕事なんだけど、ドSですよね。五徹でなおかつ精神的にもけっこうキテる相手に「さっさと動け」と叱る仕事。

元気なときの悟空にやったら怒鳴り返されそうですが、今回の悟空はマジでしょげかえっているので「はらはらと涙をこぼし」ます。
最強の神猿が「ああ、どうしよう」って泣いてるの悲壮感あって好きだなあ。


そして万策は尽きた六徹目


 そして日値功曹から国師王菩薩に援軍を頼みましょうと提案された悟空はまた援軍をつれてきます。こちらは片道に「一日もたたず」と記載があるので、七日目くらいに戻って来れたのかなと思います。しかしその援軍もまたまた袋に捕まってしまいます。

 万策尽きた悟空の様子です。もう精魂尽き果てた様子を見てください。六徹目です。


①です。


さて悟空は筋斗雲に乗って空中に立っておりましたが、魔王が兵をかえし門を閉めたのを見ると、やっと雲をおろしました。西山の坂に立ってあたりをながめながら、さめざめと泣いているのでした。
「お師匠さま、おれさまはね―
 禅の林に入ってからは
 菩薩の恩を感じていた
 師匠の旅をば守りつつ
 雷音への道を辿り来た
 平穏な旅とは思わぬが
 こんな妖魔と誰知ろう
 救うための万策も尽き
 東奔西走すべては空し」

 もう何もできないとすべてを諦めたときに、この最強の神猿はどうするかというと、泣きながら三蔵への独白をするんですよ。頭の中にはもう三蔵しかいないわけですよ。
 かれの独白の内容としては「苦労は覚悟していたけれども、こんな妖魔がいるとは思わなかった、もう何もできない」というような感じですね。


 こう見ると、今まで金角・銀角、紅孩児や牛魔王などとも戦ってきましたが、一番苦労してるの、この黄眉大王じゃない?知名度低いけれども。金角や独角兕みたいに吸い込む系の道具を使うんだけどね。映えないんだねえ。特徴が金の眉しかないもの。やはり敵役としても映えが必要なんでしょうねえ。


敵を倒した悟空がまずすること



 結局金眉大王というのは、黄眉童児という弥勒菩薩の弟子でした。弥勒菩薩とともに金眉大王をこらしめ、童児は元の姿に戻り、菩薩たちは帰っていきました。


 すべて解決したあと悟空が皆を助け出す場面です。まず②から。

 一方、悟空は、そこではじめて三蔵たちの縄を解き、奥へ回って穴蔵をあけ、神々を救い出し、玉楼の下へと請じた。三蔵が袈裟をつけ、神々に向かい、ひとりびとり拝謝したあと、悟空は神々にお帰りを願った。
 三蔵たち四人は、寺で半日休み、ゆっくり食事をして出発した。

 これは常識的な流れですよね。みなの縄をといて、三蔵が神々に礼を述べて見送ってから、師弟で飯を食って出発しています。
(でもそれにしても六徹したあとの休憩が半日だけって酷じゃないですか。師匠、悟空のことをもうちょっと休ませてやってください)

 ①の描写は結構細かくてツッコミどころがあります。

悟空はといえば、やっとこさ三蔵と八戒と悟浄の縄をほどいてやりました。ぼけなす八戒ときたら、何日も吊りさげられていたものですから、もう腹ぺこです。悟空にお礼もいわず、腰をえびのように曲げたまま厨房まで這っていって飯をあさります。あの妖怪、ちょうど午飯をずらり並べたところへ悟空が合戦をしかけたものですから、食べるひまがなく、そのままになっていました。ぼけなすがそれを見つけ、鍋半分ほど平らげ、鉢ふたつぶんのごちそうを取り出しました。それを師匠と悟浄にふた椀ずつ食べさせ、それからやっと悟空に礼を述べたのです。
(中略)
 このぼけなす、思いきり食べたあとですから元気もりもり、まぐわを見つけるなり悟空といっしょに奥に行きます。地下の穴蔵をあけて諸神将の縄をほどき、珍楼の下まで案内しましたところ、袈裟を着こんだ三蔵がひとりひとり拝しつつお礼を言上いたしました。

 まず悟空は神々たちを放っておいてまず三蔵たちの縄をほどいてやります。そしたら八戒が飯に直行し、師匠と悟浄にも食べさせて、「それからやっと悟空に礼を述べた」んだそうですw

 妖怪が用意した飯は果たして精進料理だったのかどうかが気になるところですけれども、おそらく三蔵が文句言わずに食べているので、野菜だけのおかずとかを食べさせたんでしょうかね、わかりませんけど。腹減ってたからなんでもいいと思って三蔵も食べたのかもしれませんけれども。(だめです)
 このときにも悟空は食べてないのが健気ですね。本当に寝なくても食べなくても大丈夫な漢です。
 そして腹をとりあえず満たしてから、神々たちの縄をほどきにいってお礼を言ってるあたりが、なんとも西遊記「らしい」というか、その辺の八戒の描写のリアルさが好きです。


珍しく八戒が大活躍する稀柿衕


 さて、次は八戒が大活躍する駝羅荘と稀柿衕のエピソードです。

悟空の容貌描写


 まず駝羅荘にて、悟空の容姿を細かく描写したところがあるので、推しの解像度を高めるためにも見ていきましょう。 


①です。

「なんだと、こいつめ!骨ばった面、ひらたい額、つぶれた鼻、しゃくれた顎、毛むくじゃらの目―まるで癆咳病みの幽霊のくせに、口ばかりとんがらせて、この年寄りにつっかかってくるとは、なんじゃ!」
 すると悟空、へらへら笑って、
「おじいさまや、あんたは目あれども瞳なしの手合いですな。この癆咳病み幽霊がどなたがご存じないと見える。人相見の本にも『形容の古怪なるは、石中に美玉の蔵あるがごとし』とあるでしょ?見かけだけで人を判断したら、まるっきりまちがいですぜ。このおれさま、そりゃ醜男かもしれませんがね、こう見えても、ちょいと腕は立つんですぜ」

 癆咳というのは結核のことですね。しだいに衰弱していく様子から名前がついているらしいので、とにかく悟空は痩身で、本当にガリガリなのでしょう。猿だからつぶれた鼻や顔が毛むくじゃらなのは仕方ないと思いますが、「そりゃ醜男かもしれませんがね」と言ってる悟空に萌えませんか?だってこの人、美猴王(美しい猿の王様)を名乗ってた人と同一人物ですからね。


②ではシンプル。


「この疫病神め、なにもわからぬくせして、口をとがらせ、わしに食ってかかるのか」
 悟空は笑いを浮かべて、
「おじいさんや、あんたの目はふし穴だから、この疫病神をご存じないんだろう。人相見の本にも―容貌の奇怪なる者は、石中に美玉を蔵せるがごとし、とある。おまえさん、人を見かけで判断したらまちがいですぜ。おいらは醜男かも知れないが、こう見えても腕前はたいしたもの。とりわけ化け物を退治するのが得意なんだ」

 悟空は不平不満を述べるときにだいたい「口をとがらせる」癖があるので、その辺、かわいいです。

③は悪口のオンパレードw

老人は悟空の醜いご面相を見ると、はっとたじろいだが、たちまちむっとして、杖で指さし、
「この、でこすけ野郎の、鼻ぺちゃの、あごなしの、金つぼまなこの疫病神め。何もわかりもしないくせに、この老人にくってかかる気か」
 悟空はせせら笑って、
「じいさん、おまえさんはそもそも目があって珠なしなんで、この疫病神を知らぬとみえるな。相法(人相見)にも『形容古怪なるは、石中に美玉ありて之を蔵す』と言う。うわべだけで、人を判断するのはまちがいだ。こちらは醜男でけっこうよ。ちっとばかし腕前ってものがあるんでね」




 「でこすけ野郎」、「鼻ぺちゃ」とか可愛い罵り文句のオンパレードですけど、「金つぼまなこ」とは?
 デジタル大辞泉によれば「落ちくぼんで丸い目」らしいです。
 痩せてることの強調の描写かなあ、と思います。




弟子はこんなことで死にません、という余裕の三蔵



駝羅荘で暴れていた妖怪は大うわばみでした。悟空と八戒が退治しに行きます。①も②も似た描写なので、①で見ていきましょう。

あの李老人はじめ、みなの衆は三蔵にこんなことを言っているのでした。
「お弟子さんふたり、ひと晩たってももどりなさらん。命を落とされたんですなあ」
 すると三蔵、
「なあに、大丈夫ですよ。外に出てみましょうか」
 そうこうするうちに、悟空と八戒の姿が見えました。

「なあに、大丈夫ですよ。外に出てみましょうか」の三蔵の肝の据わった様子、ぐっときませんか。きますよね。
うちの弟子はこんな程度では死なないんです、という絶対の信頼感。初期では馬から転げ落ちただけで泣いてたのに、旅に苦労にもまれて少々のことでは動じなくなってきました、凡夫の三蔵です。


八戒が山を拓くよ


さて、妖怪は退治しましたが、七絶山を越えるためには稀柿衕を通らなければなりません。稀柿衕というのは熟れた柿が落ちて、腐り、カビが生え……という状態でものすごい臭いがしています。妖怪を退治してもらった村人たちは感謝のしるしに稀柿衕を拓いて、一行を通してあげようと提案するのですが、距離が長すぎるので無理だろうと悟空が反対する場面です。

 私の大好きな八戒の山拓きのシーンをぜひご覧ください。

まず③です。

 「でしたら、二石の米の飯と、餅などを作り、あの口の突き出た和尚に、十分食べさせておくんなさい。そうすれば大きな豚に変わって、道普請をやらかします。師匠は馬に乗ったまま、我々一同、山を越すことができますから」
 これを聞いた八戒、
「おい、兄貴、じぶんたちばかりのほほんとしていて、どうして俺にだけ、くせえ思いをさせようってんだ」
「八戒よ、そちに、もし道普請の腕があり、わたしの山越えがかなったせつには、そちの手柄を第一等といたそうが」
 と三蔵が言うと、八戒は笑って、
「みなの衆の前だが、まじめな話、俺は三十六変化の術を心得ている。小ちゃな物はにがてだが、それ山だ、大木だ、象だ、駱駝だとなると、化けることはへいちゃらだ。ただし、大きな物に化けるんじゃ、腹のへりも相当なもんで、十分喰ってからでないと、仕事はできねえ」
「ありますとも、ありますとも」
 と、村人たちは、運んで来た食料のありったけを出し、さらに飯を作らせて来ると言ったので、八戒はすっかり喜んで、黒い直綴を脱ぎ、九歯もまぐわを投げ捨てて、
「いよいよこれから、くせえ仕事だ」
 と言って、呪文を唱え、身を一ゆすりすると、なるほど大豚に変わった。

 食べ物さえもらえるなら、臭い仕事だろうがなんだろうがやっちまうぜ、っていう八戒の気の良さ、相当じゃないですかw
 三蔵に「手柄を第一等といたそうが」と提案されても、まったくそんなことには反応せず、十分な量の飯が用意されるのかどうかを気にしているあたりも心憎い演出です。誉れよりも食い気を優先する男。誉れじゃ腹は膨れませんからね。
 それと、八戒が必要とする飯の量を確実に悟空が把握しているというところもポイント高いですね。デキる上司的な感じ。


 つぎは②

悟空、
「それじゃさっそくですが、これから二石(こく)のご飯をたき、それから蒸餅だのまんじゅうだのを作って来てくれませんか。それをあのとんがり口の坊さんに食べてもらい、大きな豚に化けたうえで、鼻で道をつけてもらおうって算段なのです。そうすれば師匠は馬のまま、われわれは、そのそばを離れずに、山を越せること受け合いです」
 八戒、それを聞くと、
「兄貴、ひでえぞ。自分たちは手もよごさずに、おいらだけに臭い思いをさせるつもりか」
 三蔵、八戒に向かい、
「悟能よ、もしお前に道普請をするだけの腕前があって、この山を越えさせてくれたら、そちのてがらを第一等といたそう」
 八戒、
「お師匠さまに申し上げます。わたしはもともと三十六とおりの変化の術を心得ております。もし大きな豚に変われと言われるんでしたら簡単です。ただ、からだが大きくなると、腹もいよいよ大きくなり、腹いっぱい食べないと仕事ができないのです」
 人々は口をそろえて、
「食物なら持っています、持っています。てまえどもはみな乾飯、焼餅などを持って来ております。もともと山を開いてから差し上げようと思っていたのですが、とりあえず全部あがっていただきましょう。そして仕事が始まりましたら、また人をやってご飯をたかせ、お届けします」
 八戒は、大ほくほく。黒の直綴を脱ぐと、まぐわをほうり出し、人人に向かって、
「笑っちゃいけねえ。さあこれから臭い商売だ」
 けなげやあほう、印を結び、身をゆすって大きな豚と変わった。

「笑っちゃいけねえ。さあこれから臭い商売だ」のやってやろう感、最高じゃないですか。私ここのシーン大好きです。
「けなげやあほう」の地の文の容赦のなさにも笑います。

 ①です。

悟空、
「それじゃ、乾飯を二石ほど用意してもらいますか。それに、蒸しパンや饅頭(マントウ)もつくってもらいましょう。そいつを、あのとんがり口の坊さんに食べさせ、でかいブタに化けてもらって、道をひらかせようという寸法です。そうすりゃ、師匠は馬に乗ったまま、おれたちはその介添えをしたままで、山越えできること請けあいです」
 すると八戒、
「兄貴、きたないぞ。猪さまにだけきたない仕事をさせて、自分たちは手もよごさないなんて」
 三蔵、
「悟能や、そなたにこの道をひらくだけの腕があって、山越えさせてくれたら、ここでの手がらは、そなたが第一と書きとめておこうぞ」
 八戒、笑いながら、
「お師匠さま、それに、ここにおいでのみなさま、わたくしめをからかわんでくださいや。この猪さまはですね、もともと三十六般の変化の術を心得ておるのですよ。もし、ふわふわっとしたしゃれたものとか、きれいなものとか、機敏なものとかに化けろといわれたら、まずだめですが、山に化けろ、木に化けろ、石に化けろ、土盛りに化けろだの、瘡かきの象とか、つるっ禿のブタとか、水牛とか、駱駝とかに化けろといわれたら、これはお茶の子さいさいでさあ。
 ただですね、からだがでかくなったら、そのぶんだけ腹もでかかくなるわけでして、うんと食わないと仕事にならんのですよ」
 みなの衆、
「ありますとも、ありますとも。てまえども、みんな乾飯やら果物やら焼餅(シャオピン)やら揚げ餛飩(ワンタン)やらをもってきております。もともと山をひらいてお送りしようというつもりだったのですからね。それをさしあげます。化けてお仕事という段になりましたら、改めて御飯を炊いてこさせ、おとどけしましょう」
 八戒、もううれしくてたまりません。黒い直綴を脱ぎ、まぐわをほうりだすと、
「さあさ、笑っちゃだめだよ。猪さまのくさーいお仕事をご覧じろ」
 あっぱれ、このおたんちん、印を結び、からだを揺すりますと、なるほど、ばかでかいブタにと化けたのです。

 ちなみに二石のお米は360Lですから、約200升。食堂とかで見るデカい炊飯器は調べたところ3升炊きみたいなので、あれが70個弱……。それと蒸しパンや饅頭もですよ。すごいな。めっちゃ食うな。そりゃ翠蘭(元嫁)の家を追い出されるわけだよ。



 それと面白いのが八戒の台詞で化けるのが得意なものを挙げていくときに、「瘡かきの象とか、つるっ禿のブタとか」とかわざわざちょっと醜いものを提案するところですよね。べつに普通の象や豚でいいのに、つるっ禿のブタってなんですか?だいたいブタってそんなに毛むくじゃらではないと思うだけど、どこで「禿げ」と認定するんだろう。
同じ動物であってもちょっと醜い方が化けやすいです、という説明なんでしょうか。笑えます。



 それと食べ物を大盤振る舞いしてくれる村人たちにもこころが温かくなります。ここの妖怪退治は一行にとっては楽勝だったけど、村人にとっては本当に困っていたんだろうし、だからこそ本当に一行には感謝していて、一般人には難しい道普請まで提案してくれたんだろうと思います。強力な人にとってはただの日常の延長くらいの出来事が、モブにとっては重大な変化で一生に一度あるかないかの出来事に感じられる、というようなエピソードの受け止め方の違いに私はぐっとくるタイプです。

そして、こちらでも「あっぱれ、このおたんちん」という地の文の容赦のなさ……。(もう、みんな!八戒には何を言ってもいいと思ってんだろ!私も思ってるけどさ!)




朱紫国で王の病気を直そう


まちの入口でまたケンカ

さて、今度は朱紫国です。まちに入る前に、またケンカップルがいちゃつきだすので、①②で見てみましょう。


 行くほどに、ふと、行く手にひとつの都会が見えて来た。三蔵は馬をひかえ、
「弟子たちよ、あれはどういう所だろうね」
 悟空、
「師匠、あなたは字が読めないんですか」
「わしは幼くして僧侶となり、千経万典、通ぜざるはない。なんでまた字が読めぬなどと言うのか」
「字が読めるんなら、あの城壁の上に立っている、だいだい色の旗に大きく書いてある三字が、どうしてわからんのです」
「こんなに離れていては、町さえはっきり見えないのに、なにが書いてあるかわかるものか」
「朱紫国と書いてあるではありませんか」
「朱紫国といえば、定めし西方の王国であろう。通関手形に印を押してもらわずばなるまい」

読める読めないのやつ~。毎回やらないと気が済まないんでしょうか、この二人。

①はもうちょっと描写が細かいのでさらにおいしいです。

 先を急ぎ行くほどに、なにやら立派なまちが見えてまいりました。三蔵は馬をひかえて、
「弟子たちや、あそこはどんなところだろうね」
 すると悟空、
「おや、お師匠さま、字が読めないんですか。それでよくまあ、唐王の聖旨を奉じてお国を発たれたものですね」
「わたしは幼いときに僧となり、千経万典ことごとく通じておるぞ。字が読めないとは、どういうことだ」
「字が読めるんなら、あの城壁の上にひるがえる瑚珀色の旗がわかるでしょうが?あの旗に三つの字がはっきり大きく書かれていますよ。なのに、あそこはどんなところだろうね、だなんて―」
 三蔵、思わずカッとして、
「このなまいきザルめが!ごちゃごちゃでたらめ言いおって。あの旗は風でパタパタはためいているじゃないか。字が書いてあっても、はっきり見えるわけがないぞ」
 悟空、
「ところがです、孫さまには見えるんです」
 すると八戒と悟浄、
「お師匠さま、師兄のいんちきになんか、耳を貸すんじゃありませんよ。こんなに遠かったら、まちの様子だってろくろく見えないのに、字なんか見えるわけがないでしょ?」
 悟空、
「朱紫国という三字じゃないか」
 三蔵、
「朱紫国なら、西方の王国にちがいない。通行手形にはんをもらわねばならないの」
 悟空、
「もちろんですとも」

 「見えるわけがない」とカッとしてどなりつけたくせに、悟空が「朱紫国」と読みあげてしまうと、謝るわけでもなくスン…と元に戻って「じゃあ、判子もらわねばな」となるの、いちゃつきが日常になりつつあるカップルぽくて好きです。いや、謝れよ。

 悟空も別に「判子もらわねば」の後に「もちろんですとも」と答えてるし。この「もちろんですとも」ってちょっと言い方からして上機嫌ぽくないです?なんだよ、ちょっといちゃつけて機嫌良くなってんじゃねえよ、もう。この両片思いめが。


医学の心得があると嘘をつく悟空

 朱紫国の王は病に伏していました。悟空が治療してみますと言い出したときの三蔵のあわてっぷりがかわいいので見てみましょう。

 ③はどシンプルに、さらっと書いてます。

 これを見て三蔵は驚き、はらはらしながら悟空を叱りつけたが、悟空はすずしい顔をして、奥の御殿にすすみ入った。

 ②では少し描写が増えます。

 悟空はさっそく昇殿する。三蔵はかれの顔を見るなりののしった。
「この性悪猿め、わしを死なすつもりか」
 悟空はにこにこして、
「お師匠さま、あなたの羽振りがきくようにして上げようと思っているのに、あべこべに、死なすなどとおっしゃる」
 三蔵は大喝した。
「おまえは、この幾年間、わたしといっしょにいるが、人の病気を直したことがあるか。薬の見分けもつかず、医書を読んだこともないのに、どうして向こう見ずにこんな大それたことをやる」
「師匠はご存じないのです。わたしはすこしばかり民間療法というやつを心得ておりまして、大病だってそれで直せるのです。国王の病気もきっと直して見せますよ。よしんば直せなくて死んだとしても、やぶ医者の見立て違いといった罪に当たるだけで、死罪にはなりません。びくびくすることはありません。大丈夫です。……まあ、お掛けになって、わたしの脈の見立ていかんをごろうじませ」

「この性悪猿め」と師匠からののしられているのに、「お師匠様、あなたの羽振りがきくようにして上げようと思っているのに」とにこにこ受け答えする悟空の余裕っぷりにイイですね。
ののしられてもまったく傷ついてないですね。むしろちょっと面白がってますよね。ピンチのときには縋ってくるくせに、すぐ勘違いしてののしってくる師匠のこと、もう愛おしいと思っちゃってそうですよね。


そして①です。

悟空が宝殿にのぼりますと、そこにいた三蔵が叱りつけました。
「このろくでなしのサルめが!わたしを殺す気か」
 悟空はにこにこしながら、
「なあに、お師匠さまの肩身をひろくしてあげようってことですよ。なのに、殺す気か、だなんて、とんでもない」
 それでも、三蔵はまだ叱りつけます。
「おまえは、もう何年間もこのわたしとともにいるが、おまえがだれかの病気をなおしたなんて、見たこともない。薬のことも知らん。医書を読んだこともないおまえが、大胆にもとんでもないことをしてくれるな」
 悟空、やっぱり笑いながら、
「お師匠さまはご存じないでしょうがね、おれさま、ちょっくら民間療法の処方を知っているんですよ。それで大病をなおしたこともありますしね。だいじょうぶ、国王の病気だってなおしてみせます。よしんばなおせなくて死んだとしても、ですね、それはやぶ医者の診たてちがいという罪にはなりますが、死罪になんてなりません。まあ、大船に乗った気持でいてくださいや。落ちついて、おれさまの診脈ぶりでも見ているこってすな」


「もう何年間もこのわたしとともにいるが」の言葉の重み、イイですね。もう何年も一緒にいるのかぁ。
 裏を返せば、悟空と共にいた数年間、ただの人間の玄奘が病気になったこともないってことですよね。(妊娠したことはありましたけど)結構、病気には強い玄奘三蔵なのかもしれません。

「お師匠さまはご存じないでしょうがね、おれさま、ちょっくら民間療法の処方を知っているんですよ」という悟空の言葉の背後に「おれはお師匠様よりも長生きしてるんですよ、お師匠様の知らない過去があってもおかしくないでしょ」というほのめかしがあるのでは、とオタクは深読みしてしまいます。


玉竜の見せ場!薬のために小便するよ

 そして、国王のために薬を作る悟空ですが、玉竜(馬)の小便が必要となります。玉竜が小便を出そうと必死になるシーンがかわいいので、見てみましょう。

 まず①

 そこで八戒はすっとんでもどってきて、悟空に、
「兄貴よ、国王の病気をなおすのはやめだ。それより、あの馬をなおしにいってくれや。あの亡者ときたら、からからに干あがっちまって、一滴のしょんべんも出しやがらねえ」
 悟空は笑って、
「じゃあ、いっしょに行くか」
 悟浄、
「わしも行く」
 三人そろって行ったものですから、馬は跳ね起きました。そして、人のことばで、声をはりあげ、こう言ったものです。
「師兄たちよ、知らんのか。おれはな、もとはといえば、西海の飛龍だぞ。天の掟にそむいたところを、観音菩薩が助けてくださったんだ。角を切り、鱗をとって馬に変え、師匠を乗せて西天取経の旅に出て、それで罪をつぐなうというわけだ。おれが川を渡るときに尿を漏らせば、水中の魚たちはそれを飲んで龍になる。山を越えるときに尿を漏らせば、それがかかった草は霊芝となる。その霊芝を仙童が摘んで長生の薬をするのだ。それほどの尿だ、こんな俗界でむざむざと捨ててたまるか!」
 すると悟空、
「おとうとよ、ちと口をつつしめよ。ここは西方の国王の土地で、俗界ではないぞ。また、むざむざと捨てるわけでもない。ことわざにも、『たくさんの毛を集めて裘(かわごろも)ができる』というではないか。ここの国王の病気をなおさなければならんのだ。ちゃんとなおせたら、おれたちも鼻が高いが、さもないと、この地を離れるのがうまくいかんだろう」
 馬はなんとかわかったらしく、
「待ってくれ」
 と言うなり、前やうしろにかかんだり、うずくまったりしながら、ギリギリと歯をくいしばって、やっとこさ絞り出すように数滴、なんとか漏らしてくれて立ちあがりました。八戒、
「この亡者め、たとい金の汁だとしても、もうちょい出してくれてもいいだろ?」
 悟空は、それでも皿に半分はあると見て、
「うん、これでたくさんだよ。さあ、もっていこう」
 悟浄も大よろこびです。
 三人、客間にもどるなり、さっきの薬と混ぜあわせ、こねて大きな丸薬三つをつくりあげました。悟空、
「おとうと、大きすぎたな」
 八戒、
「なあに、胡桃ぐらいもんだ。おいらなら、一口にも足らんわい」
 そこで、その丸薬を小箱に収めると、三人、服のまんま、ぱったり寝てしまいました。

 悟空は笑って「じゃあ、いっしょに行くか」悟浄、「わしも行く」、の流れ、すごいかわいくないすか。
 三人そろって小便をもらいに馬のところに行くの、すごい滑稽でかわいらしいです。で、悟浄結局一緒にきたくせに一言もしゃべらないしw「悟浄も大よろこびです」という一文に、ああ、良かったね、悟浄も嬉しかったんだね、と胸がほっこりします。


 そして、馬が小便を出そうと「前やうしろにかかんだり、うずくまったりしながら、ギリギリと歯をくいしばって、やっとこさ絞り出す」という描写の細かさが非常にリアルで微笑ましい。
 そして薬が大きすぎたかなと聞く相手、間違ってますよ、悟空w 八戒に聞いたらどんなでかい薬でも飲めますからねw


 謎なのが、「三人、服のまんま、ぱったり寝てしまいました。」の文です。疲れてたという意味なのでしょうか?(三蔵はこのとき、人質として国王の元にとどまっています)とにかく、三蔵がそばにいないと別に服のまんま寝てもいいし、別に沐浴もしなくていいし、布団もいらねえし、みたいな人外の生活のテキトーさが感じられる文章だなと思います。



②では一言もしゃべらない悟浄は出番を削られてしまっていますw

 八戒は駆けもどって悟空に言った。
「兄貴、国王の病気を直すのはあと回しにして、早くあの馬を直しに行ってくれ。あの亡者め、干上がって小便をちっとも出しゃしねえよ」
 悟空は笑って、
「ではいっしょに行ってみよう」
 と言うので、馬のそばにやって来た。すると、馬ははね起きて、人のことばを使い、声をはげまして言うのである。
「師兄、君は知らんのか。おれはもと西海の飛竜だ。天のおきてにそむいたのを、観音菩薩がお助けくださり、角を切り、うろこを去って馬に変え、師匠を乗せて西天へ取経に行き、その功によって罪を償おうとしているのだ。おれが水を渡るとき尿を漏らせば、水中の魚は、それを飲んで竜となり、山を越すとき漏らせば、山中の草はそれを吸って霊芝となり、仙童が採って長寿の薬とするほどのものだ。どうして、こんな俗世間で、むだに捨てられるものか」
 悟空、
「兄弟、ちと口が過ぎる。ここは西方の王土で俗世間ではない。また、むだに捨てるのでもない。ことわざにも、衆毛もて裘(けごろも)を攢(つく)るというとおり、この国の王の病気を直そうというのだ。直れば、おれたちのほまれ。直らぬ場合は、おれたちは、ここを出立しにくくなる」
 馬はやっと悟って言った。
「待ってくれ」
 つと前に出ると、今度は後ろにかがみこみ、ギリギリと口じゅうの歯をかみ鳴らしながら、やっと数滴をしぼり出して立ち上がった。
 八戒、
「この亡者め、よしんば金のしるにしたところで、もちっと出せばよかろうに」
 悟空は、杯に半分ほどになったのを見て、
「これで十分、十分。さ、持って行け」
 客間にもどると、さきの薬と混ぜ合わせ、手のひらで三つの大きな丸薬にまるめ上げた。悟空が、
「兄弟、こいつは大き過ぎたわい」
と言えば、八戒、
「核桃(くるみ)ぐらいしかありゃしない。おれが食った日にゃひとくちにも足りねえよ」
 そこで、それを小箱に収め、兄弟たちは帯も解かずに眠りについた。

 こちらでは「帯も解かずに眠りについた」となっています。ちょっと待って。調べてみよう。
 衣帯不解という四字熟語があります。
 「あることに非常に専念すること。衣服を着替えることもせず、不眠不休で仕事に熱中すること。」
 なるほど、この意味か。
 つまり、薬を作るのに専念していたってことが言いたいわけですね。まあ、国王の病が治らなければ、三蔵はこの国を出られませんから、そういった意味でも集中して薬を作っていた、ということのようです。

 ③は①と②を混ぜたような訳になっています。悟浄はついていき、帯はとかない派です。

 そこで悟空のもとに駆けもどって、
「兄貴、国王の病気をなおすより、はやくあの馬をなおしてくれ。あいつめ、干上がってしまって、小便をちっとも出さねえよ」
 悟空は笑って、
「では俺がいっしょに行こう」
 悟浄も
「俺も行ってみよう」
 と、三人が馬のそばに来ると、馬は跳ね起きて、人の言葉で声高に言った。
「師兄よ、あなた方も知っているはずだ。わたしは西海の飛竜で、天の掟に背いたのを、観世音菩薩のおかげで救われ、角を切り、鱗を去って馬に変じ、師匠を乗せて西天に行って経を取り、その功で罪を償おうとしているのだ。わたしが水を渡るとき尿をもらせば、水中の魚は竜となり、山を越えるとき尿をもらせば、山中の草はそれを吸って霊芝となり、仙童がとって長寿の薬にするくらいものだ。どうしてこんな俗界で、かるがるしくもらせるものか」
 悟空はそこで、
「兄弟、言葉をつつしめ。ここは西方国王の地で、塵俗の世界ではない。またかるがるしくもらしてくれというのでもない。ことわざにも、衆毛を集めて裘(けごろも)にする、と言うように、力をあわせてこの国の王の病をなおすのだ。病気をなおしたら、みなの名誉。もしそうでなかったら、俺たちはおそらくこの地を出立できまい」
 馬はやっとわかって、
「待ってくれ」
 と言って、前に乗り出したり、後ろにか噛んだり、ぎりぎりと口中の歯をかみ鳴らし、わずかに三、四滴しぼり出して起き上がった。
 八戒は、
「畜生め、たとえ金のしずくでも、もう少し出せよ」
 しかし悟空は、杯に半分たらずあるのを見て、
「これで十分だ。さあ持って行け」
 三人は客間にもどり、前に用意した薬をまぜあわせて三つの大きな丸薬に丸め上げた。
 悟空が、
「兄弟、大きすぎるぜ」
 と言うと、八戒は、
「なに、くるみぐらいの大きさじゃないか。俺なら一と口にもたりねえ」
 そこでこれを小箱に収め、兄弟はそのまま帯もとかず眠ってしまった。 

 「この地を出立できまい」「さあ持って行け」「大きすぎるぜ」なんとなく悟空の口調がハードボイルドっぽいのがくせになります。


 さて、今回はこれで終わりです。
空三にとって大きな事件はありませんでしたが、八戒の道普請が紹介できたので私は大満足です。

 次の八巻ではまた女難にあったり、毒を飲まされて悟空以外の三人が命を落としかけたり……というエピソードがあるので、また時間をみつけて読み解きしていきたいと思っています。またお付き合いいただけると幸いです。

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