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西遊記どの訳が好きか―空三で読み解こう②


さあ、続いてしまいました。



 今回の試みは、三蔵一行の旅をさまざまな訳ver.で味わいながら悟空×三蔵、すなわち空三関係の進展を見守っていくことです。
 前回よりも少し悟空が三蔵に対して優しさを見せてくる様子を一緒に楽しみましょー。

 今回も前回同様、メインはこの三冊です。

  ①岩波文庫版 小野忍訳「西遊記」
   3巻(1980年)

  ②平凡社版 太田辰夫・鳥居久靖訳     
   「西遊記上」 (1972年)

  ③福音館文庫版 君島久子訳
   「西遊記上」「西遊記中」(2004年)

 (①は明の時代の本「世徳堂本西遊記」、
   「李卓悟先生批評西遊記」の完訳本、
  ②は明の時代の本をダイジェストにした
   清の時代の本「西遊真詮」の完訳本、
  ③は一部のエピソードが未収録の部分訳本です。)


 さて、三蔵は、白馬に変化した玉竜に乗り、悟空を供として、高老荘という山荘を訪れます。そこで三姉妹の末子の婿に収まっていた八戒を妻と別れさせ、旅の仲間とします。




   (空三とはあまり関連がないので省きますが、
観音菩薩から三蔵の共になるよう
導きを受けたにもかかわらず、
人間の女の婿になって師を待っている
八戒のテキトー加減には
ほんとに感心します。)



三蔵を守るべき対象として認識し始めた悟空


 細かく見ていきたいのは悟浄を仲間にする場面です。流沙河で青黒い顔の怪物(これがつまり悟浄)が三蔵をさらおうと襲ってきます。

 ①ではこんな記載があります。

あわてて悟空は三蔵を抱きとめ、一散に岸の高みに逃げて行きました。八戒は荷物を下に置いて、まぐわを取り、妖怪めがけて突きかかります。

 「抱きとめ」の四文字に注目です。悟空と三蔵にとって、これまで一番身体が近づいたシーンです。危機場面で三蔵の身体に触れることは躊躇なく行なっていることがわかります。


 それと悟空が三蔵を「抱きとめ」て逃げる役、八戒が妖怪に立ち向かっていく役とちゃんと役割分担ができていることにも、ぐっときます。


 前回参照した、敵を倒しにいく間に寺の坊主たちに三蔵のご飯について事細かく指示していく悟空の行動などから察するに、「三蔵の身の回りの世話にかけてはおれに敵うものはない」とか思ってそうで、自分がいるときは三蔵の世話を譲らない悟空が可愛くないですか。可愛いですよね。



 ただ、この時点での悟空は三蔵の面倒をみることにかけては一生懸命ですが、まだ心から大切にするというほどの真摯さはないことが次の場面からわかります。


 八戒が悟浄(本文では「化け物」「妖怪」)と戦っているのを見ていて、我慢できずに三蔵を放って戦いに参加してしまいます。

 まず①です。

 悟空は三蔵を守って、馬の手綱をとり、荷物の見張りをしていましたが、八戒が化け物と戦いを交えているのを見ると、くやしくなって、歯をくいしばり、手のひらをこすり合わせております。そのうちに、我慢できなくなり、自分がやっつけてくれようと、鉄棒を取り出して、
「お師匠さま、じっとしていてください。御心配いりません。わたくし、やつを相手にひと遊びして来ますから」
 三蔵もとめきれません。悟空は口笛を吹いて、岸辺に飛んで行きます。

 たたかいを見守る悟空の行動が猿っぽくてリアルさを感じます。
「三蔵もとめきれません」という一文には「やっぱり止める気やったんかい」と笑いを堪えられません。

 口笛吹きながらうちかかっていく悟空からは遊び心と凶暴性が感じられてこれぞ孫悟空という描写でもあります。



 ②ではこんな感じです。

 悟空は三蔵を守っていたが、八戒と妖怪の合戦を見ると、腕をさすってもどかしがり、思わず鉄棒を抜き出し、
「お師匠さま、こわいことはありませんから辛抱していてください。ちょっと、かやつと遊んで来ます。」と言いざま、妖怪の前に飛び出ると、鉄棒を車輪のごとく振り回しつつ、脳天めがけてうってかかった。

 「こわいことはありませんから」という一句にかすかな優しさを感じこそすれ、しかしそれに対する三蔵の返答を聞かずに飛び出して行ってしまいます。

 文章表現としても文章を終わらせずに三蔵への台詞から妖怪の脳天にうちかかるまで一文で表しているところに悟空の怒涛の勢いが感じられます。

 ③ではこうです。

 悟空は三蔵を護り、馬を引き、荷物の番をしていたが、八戒と怪物の戦いを見ているうちに歯ぎしりし、腕をさすり、がまんしきれず棒をくり出し、
「師匠、座って待っててください。こわくありませんから。孫さんはちょっと奴をからかってきます」
 三蔵、とめるいとまもあらばこそ。びゅーと口笛吹いて跳び出した。

 ③の悟空は①と②の悟空を足して2で割った印象ですが、目を引くのは「とめるいとまもあらばこそ」の流れるような句でしょうか。

「あらばこそ」というのは、「あるはずもない」という意味で、強い打消し表現になります。三蔵が止める隙などまったくもって一ミリすらもあるわけがない、という意味ですね。

 悟空の素早さとぬけめなさが感じられる素敵な表現です。


 さて物語を進めましょう。

 悟浄はそれほど強大な力を持っているわけではないのですが、悟空は水中の戦闘が不得意であるためなかなか倒すことができません。


 悟浄を倒さなくては広大な流沙河を渡ることはできないだろうと三蔵が悲しむ場面を見ていきましょう。

 前回参照した場面では、三蔵が泣いた時にいらいらする悟空が見れましたが、今回はなんと悟空は泣いている三蔵を慰めます

  少しずつ二人の関係が変化していることがわかります。


 まずは①

三蔵はさめざめと泣いて、
「そのようにむずかしいのなら、とても渡れないな」
すると悟空は、
「お師匠さま、くよくよなさいますな。あの化け物が水底深くもぐったら、だれも行けやしません。八戒、おぬしはここでお師匠さまをお守りして、もう奴と戦うのはやめにしろ。みどもはちょっくら南海へ行って来る。」

 まず、「くよくよなさいますな」という慰めの言葉がぐっときます。

 きませんか?

 よく考えてください。

 この猿はひどく短気で自分の思い通りにならないとすぐかっとなる性質があります。現に前回の場面では三蔵が泣いた時に、悟空のいらいらが増していたことを思い返してください。

 ただし、悟空は自分の仲間には優しいのです。花果山でも大勢の猿たちの王として慕われながら過ごしていました。

 つまり、

悟空が泣いている三蔵を慰めたということは、三蔵のことを既に仲間と認めていることになります。 


 さらに、八戒に三蔵の面倒を見るよう指示していることにも注目です。

 悟空がそばを離れる時には、一人にしないでほしいという三蔵の要望(前回の蛇盤山の場面参照)を覚えていて、きちんと叶えてあげています。


 まあ、さっきは我慢できずに三蔵を放って、面白そうなたたかいに参加してしまった悟空ですが、それも彼の言葉通り「ちょっと遊んでくるだけ」のつもりだったことがわかります。


 ほんのちょっとの時間、三蔵のすぐそばで行われているたたかいに参加するだけなら三蔵を一人にすることもありますが、長時間、遠い距離で自分が離れるときは三蔵の世話役をきちんと用意しておくのです。
  わお。スパダリ。

 ②では

三蔵は眉をひそめて、
「こう難儀では、さてどのようにして渡ったものだろう」
悟空、
「お師匠さま、まあご心配なく。八戒、おまえ、ここでじっとお師匠さまをお守りしててくれ。かやつの相手になってはいけないぞ。おれはこれから南海へ行って観音菩薩を尋ねて来るから」

 こちらの三蔵は泣かずに眉をひそめる程度の我慢強い描写になっています。

 そのため「まあご心配なく」と慰め方も少し簡単になっているところがご愛敬です。

 ③では

そこで二人は三蔵に報告すると、三蔵は涙をこぼして
「そのように難儀であれば、どうして渡ったらよいのか」と言う。
「師匠、泣かないでください。八戒よ、師匠をお護りしていてくれ。俺は南海まで行ってくる」

 やっぱり泣いてる三蔵w
 悟空の台詞はシンプルですが、「泣かないでください」とストレートな表現が良いですね。 

 でもね、
別に旅の仲間が泣いたっていいじゃないですか。
  ねえ?

「こいつ、よく泣くやつだな。泣き虫でしょうがないやつだな」と思ってればいいじゃないですか。

 でも違うんですね。

「泣かないでください」とわざわざ言うってことは「あなたの泣き顔を見たくない」「悲しませたくない」という気持ちが悟空にあるんでしょう。

 いや、そうに決まってる。


 そしてただ慰めるのではなく、「南海に行って観音菩薩に頼む」というすぐに困難を打開する方策を打ち出しているところにスパダリポイントがあることも指摘しておきます。


この師匠には言い返しても大丈夫だと距離感を縮めていく悟空


 観音菩薩の助力によって沙悟浄も仲間とし、三蔵一行が全員揃いました。
疲れたから休みたいという三蔵の言葉に反応する悟空の様子を見てください。①です。


「なあ、弟子たち、日が暮れて来たが、どこで休んだものであろう?」
 三蔵が言えば、悟空が、
「お師匠さまのそのおことばはまちがっております。出家というものは、風を餐(くら)い水に宿り、月に臥し霜に眠る、いたるところが家でございます。なんでどこで休むなぞとおっしゃいますのでしょう?」

 西遊記好きな方はご存じとは思うんですが、実は悟空が師を持つのは三蔵で二人目なんですよ。

 一人目は須菩提祖師という仙で、その人から変化の術や筋斗雲の術、不老不死の法の教えを受けました。

 この須菩提祖師にはたくさんの人間の弟子がいて、悟空はその中で唯一の妖怪でありながらも、真面目に弟子として仕えていました


(妖怪だからという理由で苦労した、とは明確には書いていません。「部屋の隅で寝る」とか「朝一番に起きる」とか細かい描写で行間を読んでいくしかないのですが)


 結局変化の術を皆に見せびらかしたのを師に咎められて破門されてしまうのですが、それまで悟空が須菩提祖師の言葉に逆らう場面なんてないわけです。



 そんな悟空ですが三蔵に対しては、「風を餐(くら)い水に宿り、月に臥し霜に眠る」という詩のようなことわざのような表現を持ち出して、師の思い違いを諭しています。


 この辺からはだんだんと悟空は三蔵との距離感を掴めてきている気がします。

この人は放っておいたらだめだし、身の回りの世話も細々と焼かなければならないけれど、自分が知っている知識を教えたり諭したりしても師は「弟子のくせに偉そうにするな」と怒ったりはしないんだな、というような。



 それと、これは少しネタバレになりますが、旅の仲間が揃ったこの時点くらいから悟空はこの取経の旅の本来の目的に気付いている可能性があります。(この考察が続けばラスト辺りで話したいネタにはなりますが)


 天竺に行けば成仏するわけですから、つまり成仏への正しい道のりとそのためも心のありようまでも三蔵の事を自分が導いていくのだという先導者の役割を少しずつ果たし始めます。


 ちょっと真面目な話になりましたが
 西遊記はもちろん娯楽作品ですから、シリアスになりすぎないようにこんな場面の後にはギャグシーンが続きます。



 白馬が実は竜だということが八戒と悟浄に明かされ、竜ならもっと速く走れるだろうと八戒が言ったことから悟空が白馬を走らせた後の場面です。

 ②③は走らせたところでシーンが終わっているので、①からの抜粋です。

 三蔵が馬をひかえてながめていると、悟空たちがやっと着きました。
「お師匠さま、馬から落っこちはされませんでしたか?」
 悟空が言えば、三蔵は叱りつけて、
「この無法猿め、馬を驚かしおったな。さいわい、まだ乗っておるわい」
 悟空はあいそ笑いを浮かべて、
「お師匠さま、わたくしがわるいのではありません。この猪八戒が馬の足がのろいと言うものですから、それで少々速く歩かせたのです」

 悟空にあいそ笑いなんていう選択肢があったのかと思わずにやけてしまいます。

 この辺の描写からも三蔵については、須菩提祖師とは違う距離感で師弟関係を結んでいこうとする悟空の意志を嗅ぎつけてもよいのではないでしょうか。

 まあ、師匠としてまだ尊敬する段階に至っていないと言えばそれまでかもしれませんが。


 さて、次は三蔵が女に迫られて読者がニヤニヤする回。


 三蔵一行が宿を頼んだ家はなんと金持ちの未亡人(①では45歳、②③では36歳)と三姉妹(20歳、18歳、16歳)が住んでいて、女だけの暮らしは心細いから一行全員にそれぞれの婿になってくれないかと迫られます。

 いや、あきらかに人間離れした不審な三蔵一行にそんな申し出をしてくる自体が怪しさ満点なんですけどね。


 その辺に関してはあまり気付かない、初心な三蔵と欲にとりつかれた八戒が可愛いです。

女主人に迫られた時の三蔵の描写をまず見てください。

 八戒は「せっかく綺麗な人が申し出てくれるのになんで無視するんですか」と言ったので叱られます。

(下心全開で女たちに挑む八戒ですが、字面だけでみれば正当性があるのがまた笑える)

 ①です。

 三蔵は上手に坐ったまま、まるで雷におどろいた子どもか、雨にたたかれた蝦蟇(がま)のように、きょとんとして、白目をむき出し、のけぞっているばかり。(中略)すると、三蔵は急に顔をあげて、「こらっ!」と、どなり、八戒を叱りとばします。
「この罪深い畜生め、われわれ出家が金や女性(にょしょう)に心を動かすとは、どうしたことだ?」

 「白目をむき出し、のけぞっている」状態の坊主を想像してくださいw
 どんだけ嫌なんですかwww


 色男で通っているのに、そんな状態では三蔵の美貌も形無しですよ。
 色欲を抑え込んでいるというよりも女性に対して強い恐怖心を抱いている三蔵が印象的です。

 三蔵が婿入りを断ったので女主人は激怒します。

 この場面を詳しく見ていきましょう。
 ちなみに悟空はこの美しい女性たちが神仏が変化したものだと既に気付いています。

 まず①です。

 三蔵は、相手が怒ったので、折れて出て、悟空に声をかけました。
「悟空、そなたはここにいるか?」
 すると悟空は、
「わたくしは子どものときから、あのことは知りませんので、八戒に残ってもらいましょう」
「兄貴、人をからかうのはよせ。みんなでゆっくり相談しようや」と八戒が言えば、三蔵、
「そなたたちふたりがいやなら、悟浄に残ってもらおう」
「とんでもない。(中略)どうしてそんな富喜を望む気になれましょう。たとえ死んでも西天に行きます。決してそんなだいそれたことはいたしません」

 出家だからでしょうか。ぼんやりとした言い回しが多いですが、「あのことを知らない」という悟空が出てきますw

   たしかに花果山の王だったときも、天界で無為の官についていたときも、愛人や恋人がいた描写がまったくない孫悟空ですが、童貞疑惑すらでてきましたw

 「人をからかうのはよせ」と八戒が怒っていることからすれば、少なくとも八戒は悟空のことを非童貞と思っていることがわかります。

 ②では

 三蔵は婦人がおこりだしたので、しかたなく、はいはいとした手に出て、
「悟空、おまえここにおったらどうじゃ」
「わたくしは、小さい時からその道にはうといほうですから、八戒に居てもらいましょう」
 すると八戒、
「兄貴、おいらをからかう気か。それよりみんなでゆるゆる相談しよう」
 三蔵、
「おまえたち、ふたりともいやじゃと言うなら、悟浄にここに居てもらおうか」
 悟浄、
「これは滅相もない。(中略)どうして富喜をむさぼる心がありましょうか。わたくしは死んでも西天にまいりたく、そんな後ろ暗いことは断じていたしかねます」

 怒りだした婦人に「はいはい」とした手にでる三蔵、可愛いですね。彼は僧院で生まれ育ったので女性と交流は少ないわけですが、ヒステリックな人間を相手にするときには、した手に出るしかないという方便はわかっているんですね。

 僧院の偉い人に似たような人がいたのではという妄想まで浮かんできそうです。

 こちらの悟空は「その道にはうといほう」と自称しています。うといということは未経験か経験が少ないのだろうとは思いますが、やはりその発言自体が嘘の可能性もあるので何とも言えません。


 次は八戒が女主人に婿取りの話をする場面です。初めて文章中で三蔵の容姿の麗しさが言及されます。

 悟空が三蔵の容姿に惚れている(と私は思っている)ので、悟空が三蔵の容姿を褒める場面は見つけ次第すぐに上げようと思っているのですが、今のところまだ出てきません。

  ①②に似た描写がありますが、①を抜粋します。

「おっかさん、お嬢さんがたにお伝えください、男のよりごのみはなさいませぬようにとね。てまえのところの唐僧なんぞ、顔はきれいでも、てんで役に立ちません。てまえはぶおとこですけれど、これでも自慢できることがありますよ」

 当たり前のように「顔はきれい」と言われている三蔵の容姿、尊いですね。
 八戒は自分の容姿にコンプレックスがあるせいか、わりと美醜に関してすぐ反応します。


つぎは有名な人参果のエピソード


 さて、そんなこんなで未亡人宅を脱出して、一行が訪れたのが五荘観という道観です。鎮元子と名乗る主人はあいにく不在で、その弟子の清風と明月が迎えてくれました。

 五荘観には9千年に30個しか実を付けない仙果、人参果がなっていました。一つ食べると4万7千年生きられます。
  そんな人参果を悟空たち三人が盗み食いしてしまうのですが、それがばれるシーンです。

 はじめは「黙っていればばれっこない」と言っていた悟空でしたが、三蔵に言われて素直に白状する可愛さをいろんな訳で見ていきましょう。

まずは①

すると八戒が、
「正直に申し上げます。わたくしは存じませんし、見たこともございません」
「笑っているのがそいつだ。笑っているのが」
 清風が言えば 、悟空がどなりつけて、
「みどもは生まれつき、こんな笑い顔なんだ。なんとかいう果物が見えなくなったら、わしが笑っちゃいかんとでも言うのか」
 そこで三蔵、
「悟空、怒るでない。われわれは出家だから、うそをついてはいけないし、盗み食いをしてもいけない。ほんとうに食べたのなら、おわびをするだけだ。なにをわざわざそんな言いのがれをするのだ?」
 もっともな話だと思って、悟空はじつのところを打ち明けて、
「お師匠さま、わたくしの知ったことじゃありませんよ。このふたりの童子が人参果とやらを食っているのを、八戒が隣の部屋で聞いて、自分も新しいのを味わってみたくなり、それでわたくしにたのんだものですから、三つほどたたき落として、三人で一つずつ食いました。食ったことは食いましたが、それでどうしようというのでしょう?」

  ここ可愛くないですか。

 三蔵の「盗み食いはしてはだめだし、したのなら謝らなきゃだめだ」という説諭をもっともだと思って、悟空は正直に告白するんですが、本当にもっともだと思ったのかどうかがあやしいところです。
 まず開口一番「わたくしの知ったことじゃありません」から始まって、「食ったことは食いましたが、それでどうしようというのでしょう」ですよw

いや、謝れよwww

 ②では 

 八戒、
「わたくしは、まったくのところ何も知りません」
 清風が、
「笑っている者に違いない」
 と口を出せば、悟空、おこって、
「孫さまは生まれつき笑っているような顔なんだ。何とかいう果物が見えなくなったからって、おれが笑ってはいけないという法があるか」
 三蔵、
「弟子よ、われわれは出家であるから、うそと盗み食いはよくない。もしほんとうに食べたのなら、おわびをせねばならぬ。したことを、しないと言い張るのはよくないぞ」
 悟空はなるほどと思って、ほんとうのことを白状した。
「わたくしにとがはありませぬ。実は、あのふたりの童子が食べているのを八戒が聞きつけ、自分も食べてみたくなり、わたくしを採りにやりました。そこで三つ持って来まして、ひとつずつ食べたようなわけですが、それをどうしろとおっしゃるのですか」

「孫さまは生まれつき笑っているような顔なんだ」の自称「孫さま」の可愛さはなんなんですかね。
  幼稚な偉ぶりにいいこいいこしたくなりませんか。

 ③ではこんな感じ

 八戒があわてて、
「わたしは、ほんとに知りませんです。見たこともないんですから」と、口をぬぐった。
 すると、清風が、
「笑ってる人だ、あの人だ」と、悟空を指さす。
 悟空はかっとして、
「俺が笑っているように見えるのは生まれつきの顔だ。なんとかいう果物がなくなったからって、俺が笑ってどこが悪い」
とどなると、三蔵が、
「悟空おこるな。我らは出家の身。うそと盗みはよくない。もしも食べたのなら、すなおにあやまるがよい」
 悟空は、もっともだと思い、ほんとうのことを打ち明けて、
「師匠、わたしの罪ではないのです。もとはといえば、八戒が壁ごしに童らが人参果を食べているのを聞きつけ、自分も食べたくなってわたしにたのんだものですから、三つ落として来て、兄弟で一つずつ食べたのです」

 八戒の「口をぬぐった」描写が非常に生きてます。ばればれだよw
 こちらの悟空はシンプルに「わたしの罪ではないのです」と言っていますが、お前が盗んできたんだろとツッコミを入れざるを得ません。

 しかもこの後、清風、明月と言い合いになって、かっとなった悟空は人参果の樹を根こそぎ倒してしまいます
 鎮元子が帰宅してきて、人参果をだめにした罰として龍の皮で作った鞭で一行が叩かれそうになる場面です。


 まず①

「唐の三蔵は尊大なやつだ。あいつからたたけ」
 それを聞いて、悟空は心のなかで、
「あの人にはとても辛抱できやしない。もしもたたきつぶされたら、わしが罪つくりをしたことになるじゃないか」と考え、がまんできなくなって、口を開きました。
「お仙人、それはちがいます。果物を盗んだのはてまえです。食ったのもてまえ、木を倒したのもてまえです。なんでてまえからたたかずに、あの人をたたくので?」

 「あの人にはとても辛抱できやしない」と弟子から案じられている三蔵、痛みに弱い人認定がすごく好きです。悟空はここは黙っていようとは思ってもやっぱり我慢できなくなって、三蔵の代わりに自分を叩けというエモい師弟関係がだんだん出てきました。

 次は③です

「唐三蔵、おおいに不遜な奴。まず、三蔵から打て」
 悟空は、あわをくって、
「先生、それはちがう。人参果を盗んだのも俺、食べたのも俺、木を倒したのも俺だ。どうして俺を先に打たないのか」

 「あわをくって」という表現がたまらないですね。
「師が叩かれると思うと悟空さんは泡を食うんですか、へえ、そうなんですかぁ。そうなんですねぇ」とからかいたくなります。
 天の神仏に対してもあまりへりくだることをしない悟空が、鎮元子のことを「先生」と呼んでご機嫌を取っているところも萌えポイントです。

 悟空のおかげで鞭打ちをまぬがれた三蔵ですが、夜になると泣き出します。

 ①から見ていきましょう。

 三蔵は涙を流しながら、三人の弟子にぐちをこぼします。
「そなたたちが騒ぎを起こしたのに、わたしは巻き添えをくって、このありさまだ。これからどうするのだ?」
「そうぼやかないでください。まずわたくしをたたいたわけで、お師匠さまはたたかれやしなかったのに、なんでおなげきになるのですか?」
 悟空が言えば、三蔵は、
「たたかれはせんが、縛られてからだが痛くてたまらないよ」
 すると悟浄が、
「お師匠さま、お相伴して縛られている者がまだおりますよ」
 すると悟空は、
「わめくでない。まもなく出発するのだからな」

  うちの師匠は叩かれてなくても縛られてるだけで身体が痛くて泣いちゃうんですよ。はぁ可愛い。

  叩かれて痛い思いをした悟空のことは心配もしてくれないんですよ。(頑丈なのを知っているから)


 ②では描写がシンプルです。

 さて三蔵は、はらはらと涙を流して、三人の弟子を恨み、
「おまえたちがこんな災いを引き起こしたので、わしまでも巻き添えを食って、ここでひどい目にあった。いったい、今度のことはどうして起こったと思うのか」
 悟空、
「大きな声を立ててはだめです。もう少したったら出かけましょう」

 今回の件の責任を取れと言外に言う三蔵に対して、悟空はもう脱出の手段を考えています。
打たれ弱くて自分の事を優先しがちな師匠と、身体が頑丈で頭も良くて次々策を打ち出せる弟子、すごく相性の良い組み合わせじゃないですか。
本当にそうなんです。(自分で言って確信)


 さて悟空のおかげで五荘観から一回脱出するも、再び捕まってしまいます。
鎮元子の命で、煮立った油の中に一行が投入されそうになる場面です。

 ①では

「お師匠さまはだめな人だ。油鍋のなかに入れられた日には、一度煮立っただけで死ぬだろうし、二度煮立てば焦げるだろうし、三、四度煮立てば、焼けただれた和尚になってしまう。やっぱり救けに行こう」
 あっぱれ大聖、雲をおろすと、進み寄って手をこまぬきながら、
「あいや、その漆塗りの布をはずして、わしの師匠を油ゆでにするのはやめにしてくだされ。わしが油鍋のなかにはいりますから」

 「一度煮立ったらー」のくだりが面白い。「焼けただれた和尚」wそこまで具体的に考えなくていいんやw 
 それと、「あいや」の中国風間投詞がかわいいですね。

 でも何といっても「お師匠さまはだめな人だ」の破壊力じゃないでしょうか。
「お師匠さまはだめな人だ」、
「だめな人」なんですよ
 それがわかっているのに、でも、でも、放っておけないんですよ。
それもう愛じゃないですか。

 ……いや、だめだ、オタク一足飛びに結論に行きがち。
おちついておちついて。
 慎重に慎重に悟空と三蔵の距離感を味わっていくための試みなのに、自分がぶちこわしたらあかん。 

 ③はもう少しシンプルですが、シンプルなだけに悟空の慌てっぷりが尊いです。

「師匠が油釜に入れられたら、それこそいちころだ。はやく助けなきゃあ」
と、急いで雲から降り、大仙に手をあわせて
「それだけはやめてくれ。やっぱり俺が油あげになります」

  悟空は鎮元子に対して人参果の樹を元通りにする約束をして、拘束を解いてもらいます。

  悟空が筋斗雲に乗って飛び去る時に、自分たちは見捨てられるんじゃないかと疑う八戒と、悟空をまるで疑わない三蔵を見てみましょう。


 ①です。

「お師匠さま、兄者はどんな細工をしたのでしょう?」
 悟浄が言えば、八戒、
「どんな細工だって?ペテンにかけるという細工さ。木は死んじまったんだから、活き返らせることはできんだろう。やつは体裁のいい芝居を打ったのさ。木を活き返らせるために薬をさがしに行くという口実で、ずらかるつもりさ。わしらのことなんぞかまってくれるもんかい」
 聞いて三蔵、
「あれはわたしたちをほったらかしになんかしないよ。どこへ薬を探しに行くのかきいてみよう」

  三蔵が悟空の真心を信じているの本当に尊いですよね。
はぁ、今までちゃんと悟空がお世話してきていた経験が信頼を勝ち取った成果が出ていますね。

 「あれはわたしたちをほったらかしになんかしないよ」
 はぁ……。「あれ」ですか。
 悟空のこと、「あれ」って言うんだ……。
身内感……。

  もちろん、三蔵の傍を離れる時はいつもの指示も忘れません。

 ①です。

「御安心のほどを。わしはすぐもどって来ますからな、あんたはうちの師匠のめんどうをみてください。毎日、三度と六度、お茶と御飯のおもてなしを欠かしちゃいけませんぜ。欠かしたら、みどもがもどってから決着をつけ、まずあんたの鍋底をたたきこわしますからな。着物がよごれたら、洗ってあげること。顔が黄色くなったら、わしは受け取りませんぞ。痩せたら、ここから出て行きませんぞ」

 指示細かいですよねwお茶は一日六回も飲むらしいですね。

 そっかあ、普段は悟空が着物が汚れたら洗ってあげてるんだ、とか、顔が黄色くならないように(黄疸?垢?)栄養に気を配り、清潔にもしてあげて、少しも痩せないように御飯を食べさせてるんだなあと思うと、もうめちゃくちゃ尊いです。


 見事、人参果の樹を活き返らせた悟空は、鎮元子にひどく気に入られます。
 ①の記載を見てください。(草還丹は人参果の別名です。)

 さて、あくる朝、三蔵たちは荷物をかたづけて出発の準備をしましたが、鎮元子は悟空と兄弟の約束を結んで意気投合した中になったので、どうしても放しません。また、もてなしの用意をととのえ、そのため、引き続いて五、六日滞在していましたが、三蔵は草還丹を服んでから、生まれ変わったように、からだはすこやか、精神はさわやかになり、お経を取りに行きたい気持がつのって来て、長逗留を承知しません。そこでしかたなく出発させることになりました。

  行間に空三の匂いが感じられてきませんか。文字にはされていない空三の匂いです。

 ちなみに鎮元子は前世の三蔵の友達だったのですが、今世の三蔵とはあまり気が合わなかったのか仲の良い描写はでてきません。

 悟空のことは気に入って義兄弟の契りまで交わしています。


 つまり五荘観にいる間、主人である鎮元子は悟空ばかりと仲良くし、三蔵は放っておかれていた可能性があります。それに五荘観にとどまっている間は妖怪が襲ってくる心配もないわけですから、悟空が三蔵に始終つきっきりでそばにいるわけでもなかったでしょう。


 となるとですよ、三蔵が旅立ちを急いだ理由は、鎮元子と悟空が親しくしているのをこれ以上見ていたくなかったからなのでは


 これから後に出てくるのですが、三蔵一行は居心地の良い国には数か月滞在することもあるので、三蔵が旅を急いだとわざわざ記載するのには理由があるのではなかろうかと勘繰ってみればこういう考え方もできるぞ、という私見です。

 ええ、どこにでも空三の匂いをかげるオタクですから。


白骨婦人のエピソード


 さて、次は五荘観を出発してから山道にさしかかるところです。悟空に甘やかされた結果、悟空に頼めばいつでも飯にありつけると考えている三蔵が甘える場面です。これは三蔵が甘えている場面だと思って読んでくださいね。

 わがままを言って甘えています。

 まず①です。

「なあ、悟空、わたしは一日じゅう旅をつづけて、おなかがすいた。そなた、どこかへお斎の托鉢をして来てくれないか」
 悟空は愛想わらいを浮かべて、
「お師匠さまはずいぶん御利発でいらっしゃいますよ。ここは山のなか、前にも村の影はなし、うしろにも宿屋は見当たりません。お金があっても、買い物をするところなぞないのです。どこへお斎をさがしに行ったものでしょう?」
 三蔵はむっとして、
「この猿め、そなたが両界山で如来様に石の箱の中に押し込められて(中略)弟子にしてやったのに、どうして努力することをいやがり、怠けたがるのだ?」
「わたくしは相当勤勉でございますよ。なんでいつも怠けておりましょう」
「勤勉なら、どうしてそなたはわたしのためにお斎を托鉢して来てくれないのだ?わたしはおなかがすいて歩けないのだ。それに、ここは山の湿気がひどくて、熱病になってしまう。こんなありさまでは雷音寺までどうして行き着けよう」
「お師匠さま、そういらいらなさらないで、黙っていてください。お師匠さまは気位がお高くて、なんだってお言いつけどおりにしないと、すぐあの呪文をおとなえになります。じゃ、まあ、馬をおりて待っていてください。わたくしがどこか人家の有るところへ行って、お斎を托鉢してまいりますから」

 いや周りには人家もないって言ってるんですよ。悟空の目は千里先まで見えるんですよ。その悟空がないって言ってるんだから周囲千里には何にもないんですよ。それでも飯が欲しいと甘える師匠です。

 「おなかがすいて歩けない」
「山の湿気がひどくて、熱病になってしまう」
とかとかさ、
弱みを見せれば悟空は放っておくことができないことを知っていて言ってますよね、きっと。かわいいかよ。

 ②は少し文語調です。

「悟空よ、わしは一日なにも食べてないので、ひもじくなった。おまえどこかに行って、斎をもらって来てくれないか」
 悟空、
「お師匠様も物がわからない人ですね。こんな山奥で、斎などもらう家があろうはずはありませんよ」
 三蔵はふきげんそうに、
「この猿め、おまえが、あの両界山で、如来のため石箱の内に閉じ込められて(中略)弟子となったのではないか。何ゆえに努力を怠り、しばしばなめけ心を起こすのだ」
「わたしは、まじめに励んでおりますつもり、なまけた覚えはありませぬ」
「まじめに励んでおるならば、どうして斎をもらって来ないのか」
「どうぞ穏やかにお願いします。あなたさまは気位が高く、おことばにさからえば、しまいには例の呪文を唱えられることは承知しております。まあ馬から降りてお休みください。どこか人家のあるところへ行ってもらって来ますから」

 文語表現に紛れ込む「まあ馬から降りて」の「まあ」が良い仕事してます。ため息みたいなもんですよねwわかります。

 ③です。

「悟空、わたしは一日中何も食べていない。ひもじくなったので、斎をこうて来ておくれ」
 すると悟空は笑い顔を作って、
「お師匠様も、なんてわからずやなんでしょう。こんな山の中で、前にも後にも人家なく、お金があっても買うところもありません。どこへ行って斎をもらえとおっしゃるんですか」
 三蔵は内心むっとして、
「猿よ、そなたが両界山で如来に閉じ込められて(中略)弟子となったのだ。それなのになぜ努力をせず、しばしば怠け心を起こすのか」
「わたしは、一心にやっています。どうして怠け心など起こしましょう」
「それなら、なぜ斎をこいに行こうとしないのだ。わしが飢えては、この険阻な山路つづきを、どうやって雷音寺まで行き着くことができようぞ」
「お師匠様、もう言われなくともわかります。あなたが気位が高くて、お言葉に従わねば、あの呪文を唱えることはよく知っています。まあ、馬から降りて、しばらく休んでいてください。人家のあるところをたずねて、斎をこうて来ますから」

お師匠様も、なんてわからずやなんでしょう。」尊い。

 悟空が遠くまで斎をこうてきている間に、妖怪が美しい女に化けて三蔵に近づいてきます。戻ってきた悟空が慌てて二人の間に入ります。

 まずは③から見てみましょう。

「この女、妖精が化けてるんです」
「猿め、この方は信心深く、わざわざほどこしを持って来てくれたのだ」
 悟空はくどくど説明したが、三蔵はあくまで女の肩を持つ。そこで悟空はかっとなり、女めがけて打ちすえた。

 これはシンプルですね。それでも自分の言い分を聞いてもらえずに悟空が「かっとなる」ところが熱いです。

 次は②です。

「どこでその見分けがつきます?わたしだって、水簾洞の妖怪であった時分、人肉が食べたくなれば、このように化けて人をたぶらかしたものです。わたしの帰りがもう少しおそかったら、きっとこいつの毒手にかかっていたことでしょう」
 三蔵はそれでも信じようとはせず、あくまで良い人だと言いはる。
悟空、
「師匠、わかりましたよ。あの女の美しい姿に凡心が動いたのでしょう。もしその気があれば、ここで小屋掛けでもして、いっしょになったらどうですか。そしてみな解散したらいいでしょう。経をもらいに行くなぞ、いらぬことです」
 三蔵はもとより温厚な人物。悟空にこんな風に言われると、恥ずかしさのあまり顔がまっかになった。悟空はまたかんしゃくを起こし、鉄棒 を振り上げて打ちかかった。

三蔵が女の肩を持つならここでこの女と所帯と持てばいいじゃないかという一足飛びの悟空の怒りの矛先が意味わかんなくないですか

 なんでそんな怒ってるんですか。
 そんなに怒るって事は、自分の言い分が聞いてもらえないこと以外に、美人にやきもちやいてるんじゃないんですかという疑いさえ出てきませんか。きっとやきもちですよ。

 さて問題の①です。かなり具体的な描写があります。

「お師匠さまは御存じのはずもありませんが、わたくしは水簾洞で化け物だったとき、人間の肉が食いたくなったら、こんなぐあいにやったもんでさあ。つまり金銀に化けたり、建物に化けたり、酔っ払いに化けたり、色っぽい女に化けたり、ってぐあいにね。(中略)お師匠さま、わたくしの帰りがおそかったら、お師匠さまはやつのわなにひっかかって、ひどい目にあっておられたところですよ」
 言われても、三蔵は信用しようとしません。一途に信心深い人だと言い張ります。そこで悟空、
「お師匠さま、わたくしはあなたがわかりました。あなたはやつがあんなに美人なもんだから、俗念を起こしたんでしょう。もしも、ほんとうにその気なら、八戒に木を伐って来させ、悟浄に草をさがして来させ、わたくしが大工になって、ここに寝ぐらを建てますから、あなたはこやつといっしょに床入りして事をすませ、われわれ一同はちりぢりになる、というのも一つのやりかたですよ。山を越え、川を渡って、お経なぞ取りに行く必要はありませんぜ」
 三蔵はもともと善良な人ですから、そんなことは聞き流してはいられません。恥ずかしくなってつるつる頭が耳の付け根まで真っ赤になりました。
 三蔵が恥ずかしさのあまり黙っていると、悟空はまたかんしゃくを起こして、鉄棒を取り、妖怪めがけてまっこうから振りおろしました。

 「八戒に木をー」からの流れがすごくないですか。
  そんな具体的案を出すくらい怒ってるんですよ
 どんだけ嫉妬してんすか。
 一方で、耳の付け根まで真っ赤になっている坊主めちゃくちゃ可愛いですよね。「床入りしてことをすませ」っていうあいまいな表現でそこまで恥ずかしくなっちゃうんですか、もう。どんだけ初心なんですか。

  三蔵は恥ずかしくて黙っていただけなんだけど、この悟空はおそらく答えを迷っているものと勘違いして、かんしゃくを起こしてしまうところも愛おしいです。


 善人だと言ってきかない三蔵を無視して、悟空がその女人(実は妖怪)を殴り殺すのですが、偽の死体を置いていく法を使ったので、三蔵は悟空が人殺しをしたと勘違いします。

 女人の次は、老婆、老人に化けて同じことを繰り返します。悟空が三人の善人を打ち殺したと勘違いをした三蔵は悟空を破門します。


切なすぎる破門のエピソード


 破門の様子を①で確認しましょう。

 悟空はさっそく破門状を受け取ると、
「お師匠さま、誓いをお立てになるには及びませぬ。わたくしは行きますから」
と言って、書きつけを折りたたんで袖の中に収め、それからおだやかに、
「お師匠さま、わたくしはお師匠さまのお供をするようにと、菩薩さまから言いつかりました。今日、中途でやめることになり、仏果は得られませんでした。どうぞお坐りになって、わたくしのごあいさつをお受けくださいまし。そうすれば、わたくしも安心して帰って行けます」
と言いましたが、三蔵はあちらを向いて相手にしません。ただ口のなかでぶつぶつと、
「わたしは善良な僧侶だ。悪人のあいさつなど受けぬ」
 三蔵が相手にしないのをみて、悟空は身外法を使う手に出て、頭のうしろの毛を三本抜くと、仙気を吹きかけて、
「変われ!」
と叫びました。すると、それが三人の悟空になり、本体と合わせて四人、三蔵を四方から取り囲んで、平伏いたします。三蔵は身をかわしようがなく、とにかく一礼を受けました。

 これが有名なシーン、四方からの礼です。

悟空はあくまで妖怪から三蔵を守っただけなのですが、信じてもらえずに破門されてしまいます。
 悟空の性格を考えれば怒り狂ってもおかしくないのですが「おだやかに」「ごあいさつをお受けください」と言うだけなんですね。
なんという健気さ……。くぅ。

 悟空は素直に去っていくんですけど、その別れてからのシーンがもう切なくってたまんねえので一緒に見ていきましょう。

 まず①

 悟空は怒りをこらえて三蔵に別れを告げ、筋斗雲を放って、一路、花果山水簾洞に帰って行きます。いまはただひとりになってそぞろに寂寥をおぼえていると、ふと水音が耳をさわがせました。そこで空から目をやると、それは東洋大海の潮騒です。それを見ると、また三蔵の事を思い出し、とめどもなく涙が頬を伝わってこぼれるので、雲をとめてたたずみ、長いことたってからまた進んで行きます。

やっぱりひとりになると寂しくなっちゃうんですよね。「とめどもなく」涙が出るんだそうですよ。もう、すっごく寂しいんじゃないかあ。

 ②です。

今や、彼は筋斗雲を飛ばせて、花果山水簾洞を目ざして帰って行く。ただひとり、さむざむとした気持はいや増すばかり。その時、耳をさわがす潮騒に、天空から下をながめると、そこは東洋の大海であった。悟空はそれを見ると、また三蔵を思いだして涙にくれ、ややしばらく歩みを止めてようやく立ち去った。

さむざむとした気持はいや増すばかり
 くぅ……。

 次は③

 悟空はやむなく、無念の思いをじっとこらえて、師匠に別れをつげると筋斗雲に乗り、花果山水簾洞へ帰って行く。一人ぼっちのさびしさに、ひしひしと胸をしめつけられる思い。
 ふと水のささやきを耳にして雲を止めると、それは東洋大海の潮騒のの音。悟空はふたたび三蔵を思い出し、涙はとめどなくあごまでぬらしつつ、しばらく雲をとどめて振り返っては、また思い直して去って行った。

 涙であごまで濡れるんですって。
「振り返っては」の表現が名残惜しさを表してて味わい深いです。

 さて、この場面、もう一つ本を紹介させてください。
 岩波少年文庫 伊藤貴麿編訳「西遊記上」(1955年)
 手元の資料は1986年の改版です。

 かれ孫悟空は、むねんの思いやるかたなく、ついに師とわかれ、筋斗雲をとばして花果山水簾洞へとむかったが、ただひとりとなると、そのさびしさやるせなさはいや増すばかり、雲のうえで、サワサワと波立つ東洋大海の潮の音を聞いても、おお、師父の声ではなかったかと空耳を立て、びっしょりあごまで涙でぬらすのだった。雲をとどめて、しばらくは感慨にふけっていたが、はてしもなやと、やがて東をさして帰っていった。

 何が好きって「潮の音を聞いても、おお、師父の声ではなかったかと空耳を立て」の部分が最高じゃないですか?
 空耳するほどもう頭の中に染み付いている声なんですよ。
もう好きじゃん、好きじゃん。

 いや待て待て落ち着いて。ステイステイ。
 簡単に好きとか言っちゃだめ。
 まあね、仮にね、弟子として師匠のわがままに振り回されているから頭の中に染み付いている声だからと言えばそうかもしれない。いっつもあれこれ要求されるからね。


 でもでもさ、
 そんな人と別れるときにこんなに寂しがっているんですよ。長く苦しい取経の旅から離れられたのにですよ。旅の序盤では行きたくないって観音菩薩に駄々こねてたのにですよ。ついでに面倒で手のかかる師匠から離れられたのにですよ。こんなに涙にくれているわけです。
 つまりさ、
三蔵と離れたくないんですよ。それは確実


   破門された悟空は花果山に戻りました。悟空がいるときは大勢の猿でにぎわっていた花果山は猿の数も極端に減り、今やひっそりとしています。悟空は仲間をさらいに来る千人以上の猟師の人馬に対して、術を使って暴風を起こし、皆殺しにします。

 ①です。

悟空は雲をおろすと、手をたたいて高笑いしながら、
「こいつは縁起がいいぞ!わしは唐の坊さまに帰依して、和尚になってから、あの人はいつもわしにさとしたものだ。『千日、善を行っても、善を十分やったことにはならぬ。ところが、一日、悪を行っただけで、悪をやりすぎたことになる』とな。まったくそのとおりだ。わしはあの人のお供をして、化け物を何匹かたたき殺したものだが、あの人はわしがむごいことをしたと言って、とがめた。ところがどうだ、わしが家にもどれば、こんなにおおぜいの猟師を殺したではないか」

 三蔵の弟子をやめた途端、これですよ。千人以上何のためらいもなく殺すんですよ。 
別に人殺しを悪いと思っていないんですよね、彼は。だけど三蔵の言うことは聞かなくちゃという規範意識はある。
 こんだけ危なっかしい猿の王様に言うことを聞かせられるのは、非力でマイペースな三蔵だけなんですよ。
 もう、なんなの、尊いしか言葉がでねえ。

 さて、切ないところですが今回はここまでです。
 前回よりも少し二人の距離が縮まっているのが伝わってきたかなあと思っています。

 長い記事にお付き合いいただいてありがとうございました。
 もし、これを機に西遊記読んでみようと思われた方は、どの西遊記から手をつけるかに関してはこの記事を参照して頂けると嬉しいです。



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