【新聞社の仕事】家計簿を50年つけているおばあちゃんの話

私はいま、新聞社でレイアウトの仕事をしていますが、取材をしていた時期もあります。その中には全国ニュースで話題になった話もたくさんありましたが、それらは正直に言うと、追うことで精いっぱい。百戦錬磨の記者のかたがたと違い、胸を張って結果を出したとは言えません。たくさんの失敗をして、迷惑もかけました。

そんな私の取材記者経験で忘れられないのが、タイトルに書いたおばあちゃんの話です。

突然の電話

当時、私が働いていたのは小さな地方都市。新聞の地方版のページをほぼ毎日、限られた人員で作らなければなりませんでした。催し物は多くなく、常に自分でネタを拾わなくては紙面を作ることさえままならず。公園に行ってステキな花を撮ったり、広場で火に当たっているおじいちゃんたちに話を聞いたりと、できないなりに日々走り回っていました。

そんなある日、アマチュア写真家としての個展の取材で何度かお会いしていた民生委員のおじちゃんから携帯に電話が。「おもしろいおばあちゃんがいてね。50年も家計簿つけてるの。あんたよく書いてくれるから、紹介したいんだけど」。さっそく、市街地から一山越えたその集落のおうちに向かうと、大量のノートが山積みになっていました。

やめてって言ったんだけど…

固定電話に加入する前、隣の家に借りて払った10円。うどん二玉20円。ご当地ならではの内職の収入。だんなさんのものと思われるたばこの支出。家計簿からは、このまちで暮らしてきた軌跡が伝わってきました。そんでやっぱり、50年分の冊数、ハンパなかった。

家計簿をつけている当のおばあちゃんは、なんだか恥ずかしそう。「こんなババアの家計簿でほんとにいいのかしら…。捨てようと思ってたくらいなのに。写真のるのよねえ。やめてって言ったんだけどねえ…」

こういうときの押しが弱いのが私の欠点。でも、なんとか取材したい。困った私の表情を察した民生委員のおじちゃんが、口を開きました。「これはあんたの人生の結晶だ。捨てたらだめ。いま話きいてもらわないでどうするの」。人生の結晶。その言葉にハッとしたのでした。

あらためてお願いをし、取材を受けてもらえることになりました。

ひとりの人生を記録する

おばあちゃんは、さまざまなことを語ってくれました。夫、息子と歩んだ、裕福ではなかったけれど楽しかった暮らし。家計簿が真っ白になった、夫を亡くしてからの1年間。それから近所で働き出して元気を取り戻したこと。高齢者サロンにも顔を出して張りのある暮らしをしていること…。

原稿は下手くそだったけれど、思い入れもあって、伝えられる限りのことは伝えられたように思います。掲載翌日、「涙が出るほどうれしかった。ありがとう」という電話もいただきました。「だんなの写真までのせてもらっちゃってね。天国で喜んでるわ」

おそらく、自分が取材をしなければ…

あのまちのあの集落に暮らす、あのおばあちゃんの知られざる50年家計簿。

おそらく自分があの日、取材をしなければ、記事になることはなかったのでは…いま振り返ると、そう思います。

地方版にはさまざまな役割があります。暮らしているひとたちの笑顔をのせること。告知などを通じ地域の情報をコンパクトに伝えること。行政を監視すること…。

そして、ひとの知られざる人生を記録することも、地方版の大切な仕事。いち記者としての責任の重さを感じた出来事でした。


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