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方丈記

知らず、生れ死ぬる人、何方いずかたより来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。

方丈記/鴨長明


鴨長明の方丈記の一節である。
世のはかなさを綴った随筆集であり、 現代文に訳しても十分読み応えのある内容だ。

平安時代から鎌倉時代へ移り変わる時期であって、飢饉や大火など天災もあったころである。
驕れる平家久しからずであって、栄華を極めた平家も陰がさし始める。

歴史の授業からでは当時の庶民の実際などを知るよしもないが、方丈記では事細かに記されている。
養和の飢饉とされる章があり、その一節に

前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘えきれいうちそひて、まささまにあとかたなし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水せうすいいをのたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごと乞ひありく。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地ついひぢのつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき世界にみち満ちて、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。あやしき賤山しづやまがつも力尽きて、たきぎさへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたるあたひ、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹《に》着き、はくなど所々に見ゆる木、あひまじはりけるをたづぬれば、すべきかたなきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世ぢょくあくせにしも生れ合ひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。

同上

前の年は、こうしてやっとのことで暮れた。
翌年は立ち直るだろうかと思っていると、立ち直るどころか、その上に疫病までが重なって、いっそうひどい状況となり、何もかもだめになった。
世間の人々は皆飢えきっており、日が経つにつれて行き詰っていくありさまは、「少水の魚」のたとえにも等しい。
ついには、笠をかぶり、足を包んで、よい身なりをした婦人までが、一途に家々に物乞いをして歩いている。
このように困窮した人々は、今歩いていたかと見れば、いきなり倒れてしまう。
土塀の前や道端には、飢え死にした者らの数が計り知れない。
死体を取りかたづける術もなく、死臭があたり一面に充満し、腐って変わっていく顔や姿は、むごたらしくて目も当てられないのが多い。
まして、河原などは死体の山で馬や牛車が通れる道さえない。
身分の低い農夫や木こりも力が尽き果て、薪さえ乏しくなっていき、頼るところがない人は自分の家を壊し、それを市に出して売る。
それでも一人が持ち出して売った価は、一日の命をつなぐのにさえ間に合わないという。
けしからんことに、そういう薪の中に赤い丹の塗料がつき、金や銀の箔などが所々にある木がまじっていたので、調べてみると、どうしようもなくなった者が古寺に行き、仏像を盗み、堂の中の仏具を壊して取ってきて、割り砕いて売り出したという。
濁りきった末法の世に生れあい、このような情けない行いを見てしまった。

とある。
政が乱れれば乱世となる。
そこに天災が加わればかくの如しだ。

況や、今日びの日本。
1000年近く昔の話を過日の話と聞き流すことなかれ、である。

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