「メタ倫理学入門/佐藤岳詩」についてのメモ1

あんまり一回一回が長いとダレるので1200文字ぐらい書いたら次のメモに行こうと思う。あとこの本partが変わってもchapter番号は継続するんだ(part1chap2の次がpart2chap3と続く)まあ別にいいか。

Part1

倫理学は主に規範倫理学・応用倫理学・メタ倫理学に(MECEではないが)分類されるらしい。

規範倫理学は要は「倫理的にどう振る舞いどう生きるべきか」考える学問で、よく聞く功利主義や義務論、徳倫理学の理論がここに属する。

応用倫理学は現実に直面する問題を考える学問で、例えば臓器移植問題などを考える生命倫理学や、人と環境の関係などを考える環境倫理学などがここに属する。

2つの関係はいわば物理と工学の関係、もっと言えば相対性理論とGPSの関係みたいなものか。

メタ倫理学は一歩下がって倫理の「そもそも」を問う学問で、例えば規範倫理学や応用倫理学が「この場合正しいのは何々だ」と論じるのに対してメタ倫理学は「正しいとは何か?」や「正しいことは存在するのか?」「正しいことを何故しなければならないのか?」などを論じる。

確かにこういう問いは大事だ。言葉の定義が曖昧だと噛み合った議論にならないし、もし考えようとしてる問題が答えようがない疑似問題だったりしたらどんなに考えても徒労に終わってしまう。ウィトゲンシュタインも著書「論理哲学論考」で、哲学の問題のほとんどが疑似問題だと主張したらしい。らしいんだけど、論理哲学論考読もうと思っても難解でちゃんと理解出来てないから知らない。

あと自分のことをキレた異端だと思い込んでる凡人の中高生が言いがちな「そもそも論」は大体メタ倫理学に入るな。言い方が悪いし適切じゃない。

余談だけどこういう異端だと思われたい中高生は「既存の枠組みから外れちゃう俺かっけー個性すげー」と思っているので、逆に皆同じようなことを言っていて没個性的だし、全然既存の枠組みの内側にいがちだ。そこら辺の凡夫が思いつく程度のことなんぞ、何百年も前に出尽くして批判検討され編纂されて教科書になってるんだから、普通に学校の勉強を頑張った方が早く既存の枠組みを知れて異端で個性的になれるのに。やるなら徹底的にやれ。

話を戻して、ここでこの「正しいことを何故しなければならないのか?」を、「あ~例えば羅生門の下人みたいに、飢え死にしかけてまで正しさに拘泥する必要ないもんな」と思ったけど、よく考えればこれは下人の考え方・主義が変わっただけで、下人はずっと下人なりの正しさの下に動いているから違うな。「盗人になるくらいなら餓死した方がマシ」から「餓死するぐらいなら追剥ぎする」という考え・生き方に変わったわけでこれは規範倫理学の範疇だ。

この問いについて考えたことが全くなくて(正しいことをするのは当たり前すぎて疑問にも思わないという立場)言っていることがちゃんと理解できない人もいそうだ。ここで問われているのは、異なる正しさがぶつかったときのジレンマや葛藤などでもなく「仮に何らかの行いや言明などが道徳的に善い/正しいとして、そもそも何故道徳的で/正しくなければいけないのか?」ということ。

この続きの何故メタ倫理学を考えるのか(メタ倫理学に対するメタ)は特に言うことがないので略。次にメタ倫理学で主に取り上げられる問題を3グループに分けて取り上げている。この中の第九章で扱われている「なぜ道徳的であるべきなのか(Why be moral)」について主な興味があるから、飛ばして先にこっちから読もうかな。

今日はここまで。

↓ 特に意味のない水没した老人の画像 ↓

水没

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