教えたくない、すさみとの出会い。
半世紀めの、初恋。
もうすぐ50歳になります。この国の平均寿命が50歳を超えたのは・・・1947年。父はもう生まれています。それくらい最近まで50って辞世の句を詠んでたような歳なのに、自分では学生の頃と未だそんな変わらないように思えてなりません。ホントに大学時代のアウトドアのアウターとか今も着てるし。おかしいな、50歳になった頃にはドアの厚い静かなセダンの後部座席で才色兼備な秘書を横に日本の来し方行く末に想いを馳せてるはずだったのですが、いつのまにか新たな意味を持ったmustという使命感を胸に今宵も夜行バスに乗ってます。変わってないのは、イメージの末尾だけ。その末尾を胸に、どこへ向かうのか?この半年足繁く通っている場所があるんです。メジャーな地じゃありません、むしろ知らない人が多いかもしれない。紀伊半島の西南端にある、和歌山県のすさみ町と言います。出版社で編集者をやってきてメディアの人間として国内外さまざまなロケーションを取材してきたのですが、全都道府県赴いても正直和歌山は(申し訳ないのですが)ノーマーク。何というかクラスの“いい人だけど目立たない子”みたいな感じで、また来よう、とまでは至りませんでした。そんな僕がこの町を初めて訪れて、“こんなとこがあるの?”とびっくりしてうれしくなり、静かに「ヤバイよヤバイよ・・・」と出川先輩のごとく呟き続けた、宝石のような町なんです。
全部のせなのに、誰もいない。
なぜ、宝石なのか。僕は大学時代に地球科学科の構造地質専攻でプレートテクトニクスを学んでいたのですが、物心ついた頃から自然は仮面ライダーよりすげえと思っていました。金ない学生の頃は、一番の遊びがキャンプ。といってもキャンプ場は何か違和感があったので人工の光の一切ないロケーションを探しまくり、ある山奥の源流に美しいサイトを見つけ、親友たちと長年通いました。仕事でも焚き火がしたい一心でアウトドアのフリーマガジンを作っていたので、取材にかこつけてテント担いでは津々浦々行きましたが、海がきれいなとこ、山がきれいなとこ、川がきれいなとこ、はそれぞれ方々国内外にあるわけです。ただ、すさみは違った。美しい海と美しい山と美しい川が箱庭のようにコンパクトに配され、自転車30分で全部巡れる。マーベラス。なんてことでしょう。深い山と深い海の近接ゆえですが、このダイナミクスはプレートの動きが活発に顕在化する場所でしか生まれず、世界にそうありません。(ちなみに紀南はジオパーク認定) そしてすさみは、それだけに留まらなかった。南海トラフ対策エリアである和歌山の沿岸は山側に高速が敷かれ、バイパスが通りました。それによって何が起こったか。海岸線の国道42号の交通量が、なんと8割減少したのです。びっくりするくらい、車が通りません。鎌倉に住んでた人間からすると、七里ヶ浜の134号がほぼ歩行者天国という衝撃。親子も高齢者も安心してコーストラインを歩けます。もはや、奇跡。これを宝石と呼ばずして何を宝石と呼ぼう、と僕は誕生して半世紀に思いました。昨年の秋のことです。
ノイズレスという、この世の贅沢。
こうやってnoteに書いておきながら、できれば人に知られたくない、という二律背反に苦しんでいます。じゃ書くなよ!と総ツッコミが線状降水帯の如く入ることを重々承知しながらそれでも書くのは、このクラスで目立たない和歌山のあまり知られてないすさみで“何か”が起きているからです。これは記さねばならないという編集者の性。町の中心にはコンビニ一切なく、飲食店は4軒。当然マックもスタバもすき家も100均もドラッグストアもありません。地方を席巻するイオンもコメリも皆無。人口わずか約3,600人の小さな町、人がいっぱい来たらすぐオーバーツーリズムです。周参見駅は昔、国鉄の終着駅、つまり陸の最果て。だからこそ残ったこの奇跡のような環境を、“その先の日本へ”とか“隠れ家リゾート”とか“暮らすように旅する”とかのたまって売り出すことは簡単ですが、僕はバチコンと思ってしまった。No way, と。東京から行くとまず南紀白浜空港に降りるのですが、ケバケバしい看板に土産物屋に渋滞に観光客。白浜の人は悪くない、でも観光地のステレオタイプなのです。こういう“ザ・観光地”にどれだけ食傷してきたことか。辟易といってもいいかもしれない。利害や過密から離れたくて旅に出たのに、観光地はその縮図。すさみに出会って僕がいちばん感動したことは何か・・・びっくりするくらい、“ノイズがない”、ということなんです、このかしましい時代に。
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