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「後世への最大遺物」中「土木」口述部分の異同

内村鑑三の明治27年(1894年)の口演「後世への最大遺物」には土木事業に言及した部分が多くあり、「土木」ということばの用例としても興味深い。そのテキストには異同がある。口述をそのままテキスト化したであろう東京十字屋書店版、3年後に親友の経営する京都便利堂書店から出版した改版、その2年後に東京独立雑誌社から出版した再販、さらにその33年後の内村鑑三全集所収の改版(決定版)である。
最初の東京十字屋書店版を除いて、内村鑑三自身の序が附されており、時代に合わせて、言い回しを修正していることがわかる。全集所収の改版と現在も流通している岩波文庫版は同じテキストであり、親友だった中村彌左衛門氏に献じている。

1894年の初版(東京 十字屋書店版)

第六回夏期學校編
湖畔論集
東京 十字屋書店
明治27年(1894年)11月24日発行
序言
(前略)
今諸講師の講話を蒐集編纂するに當り、出版大に其期に遅れたる所以は、講師より講話の訂正返送に日子を消費したるに因る、然れども編者の多忙と獬怠亦决て罪なきにあらず、茲に明記して諸君に謝す。
又諸講師の講話を悉く掲載し得ざるは、講師中之を否まれたるあり、或は多忙にして訂正の餘暇なしと謝絶せられたるに起因せり。
明治廿七年十一月上浣 編者識
後世への最大遺物 内村鑑三君
(中略)
ドウ云ふ事業が一番誰にも解るかと云ふと、土木的の事業です○○○○○○○○。私は土木者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きで、始終それがありますと注意して見て居ります。けれども一の此土木事業を遺すと云ふこ・・・・・・・・・・・・・・とは・・實に我々に取つても快樂であるし・・・・・・・・・・・・・・・又永遠の喜と・・・・・・富とを後世に残す・・・・・・・・所のものじやないかと思ひます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第六回夏季學校編 湖畔論集(1894年、東京 十字屋書店)出典:早稲田大学図書館
後世への最大遺物(明治廿七年七月十四日、内村鑑三の講話)出典:早稲田大学図書館

1897年の改版(京都 便利堂書店)

内村鑑三口演
夏期演説:後世への最大遺物
京都 便利堂書店
明治30(1897年)7月15日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824444/18
はしがき
この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余よの講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。
事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれどもまた多少一般の人生問題を論究せざるにあらず、これけだし余の親友京都便利堂主人がしいてこれを発刊せしゆえなるべし、読者の寛容を待つ。
東京青山に於て 内村鑑三
明治三十年六月二十日
ドウ云ふ事業が一番誰にも解るかと云ふと、土木的の事業○○○○○○です。私は土木者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでござります。一の土木事業を遺すことは・・・・・・・・・・・・實に我々に取っても快樂であるし・・・・・・・・・・・・・・・又永遠の喜と・・・・・・富とを後世に残すことではないかと思ひます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

内村鑑三口演 後世への最大遺物(1897年、京都便利堂書店)出典:国立国会図書館デジタルコレクション
後世への最大遺物(明治廿七年七月十四日、内村鑑三の講話)改版 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1899年の再版(東京 独立雑誌社)

後世への最大遺物(再版)
内村鑑三
東京独立雑誌社
明治32年(1899年)12月30日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824443/25
はしがき 東京青山に於て 明治三〇年六月二〇日
再版に附する序言
一篇のキリスト教的演説、別にこれを一書となすの必要なしと思いしも、前発行者の勧告により、印刷に附して世に公にせしに、すでに数千部を出すにいたれり、ここにおいて余はその多少世道人心を裨益することもあるを信じ、今また多くの訂正を加えて、再版に附することとはなしぬ、もしこの小冊子にしてなお新福音を宣伝するの機械となるを得ば余の幸福何ぞこれに如かん。
東京角筈村に於て 内村鑑三
明治三十二年十月三十日
ドウ云ふ事業が一番誰にも解るかと云ふと、土木的の事業○○○○○○です。私は土木者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでござります。一の土木事業を遺すことは・・・・・・・・・・・・實に我々に取っても快樂であるし・・・・・・・・・・・・・・・又永遠の喜と・・・・・・富とを後世に残すことではないかと思ひます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後世への最大遺物(再版)(1899年、東京独立雑誌社)出典:国立国会図書館デジタルコレクション
後世への最大遺物(明治廿七年七月十四日、内村鑑三の講話)再版 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1932年の内村鑑三全集所収改版

内村鑑三全集 第一巻
岩波書店
昭和7年(1932年)10月15日発行
後世への最大遺物(改版)
改版に附する序
此講演は明治二十七年、卽ち日淸戰争のあつた年、卽ち今より三十一年前、私がまだ三十三歳の壯年であつた時に、海老名彈正君司會の下に、箱根山上、蘆ノ湖の畔(ほとり)に於て爲したものであります。其年に私の娘のルツ子が生れ、私は彼女を彼女の母と共に京都の寓居に残して箱根に来て講演したのであります。其娘は旣に世を去り、又此講演を一書と成して初めて世に出した私の親友京都便利堂主人中村彌左衛門君もツイ此頃世を去りました。其他此書成つて以来の世の變化は非常であります。多くの人が此書を讀んで志を立てゝ成功したと聞きます。其内に私と同じ様に基督信者に成つた者も尠くないとの事であります。そして彼等の内の或者は早く旣に立派に基督教を「卒業」して今は背教者を以つて自から任ずる者もあります。又は此書に依つて信者に成りて、基督教的文士となりて、其攻撃の鉾を著者なる私に向ける人もあります。實に世は様々であります。そして私は幸にして今日まで生存いきながらへて、此書に書いてある事に多く違はずして私の生涯を送つて来た事を神に感謝します。此小著其物が私の「後世への最大遺物」の一と成つた事を感謝します。「天地無始終、人生有生死」であります。然し生死ある人生に無死の生命を得るの途が供へてあります。天地は失せても失せざるものがあります。其ものを幾分なりと握るを得て生涯は眞の成功であり、又大なる満足であります。私は今より更に三十年生きやうとは思ひません。然し過去三十年間生き残つた此書は今より尚ほ三十年或ひは其れ以上に生き残るであらうと見ても宜しからうと思ひます。終に臨んで私は此小著述を其最初の出版者たる故中村彌左衛門君に獻じます。君の靈の天に在りて安からんことを祈ります。
大正十四年(一九二五年)二月二十四日 東京市外柏木において 内村鑑三
ドウ云ふ事業が一番誰にも解るかと云ふと、土木的の事業◎◎◎◎◎◎です。私は土木學者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでござります。一の土木事業を遺すことは・・・・・・・・・・・・實に我々に取っても快樂であるし・・・・・・・・・・・・・・・又永遠の喜と・・・・・・富とを後世に残すことではないかと思ひます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1946年の岩波文庫版(岩波書店)青空文庫版

後世への最大遺物(改版)
内村鑑三
岩波文庫
昭和21年10月10日発行
改版に附する序
(略)
大正十四年(一九二五年)二月二十四日 東京市外柏木において 内村鑑三
ドウ云ふ事業が一番誰にも解るかと云ふと、土木的の事業○○○○○○です。私は土木學者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでござります。一の土木事業を遺すことは・・・・・・・・・・・・實に我々に取っても快樂であるし・・・・・・・・・・・・・・・又永遠の喜と・・・・・・富とを後世に残すことではないかと思ひます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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