日野たび回顧録

ひょんなことから日野の新選組のふるさと歴史館に「信秀摺上の近藤勇所用と伝わる鉄扇がある」との情報を聞き、いてもたってもいられず!
行って参りました、日野。

・日野八坂神社
JR中央線日野駅から間もなくのところにある日野総鎮守。
主祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)
端午の節句が近いので、鯉幟が掲げられていた。
毎度ながら御朱印帳を忘れ、端午の節句の書置きを戴いた。

・新選組のふるさと歴史館
私にとって、本日のメインイベント。
ありました、『鉄扇(伝近藤勇所用)』!!(当館は写真撮影禁止)
以下にキャプションを記す。
「文久二年(1862年) 『水心子正秀 栗原謙司信秀摺上』『慶近藤勇先生需寸定 文久二年正月日』とある。近藤勇が天然理心流四代目宗家を襲名した際に作ったものとされる。」
一見、文鎮みたいな……。下記に分かりやすい説明をされている扇子屋さんの頁から引用しているが、扇子のように開かないものがあるらしい。この頁に載せられたような開かない形態で、取っ手側先端に下げ緒?のようなものが付いた形をしていた。

鉄扇には扇子のように開くものと扇子部分のない開かないものの2種類があります。当時は大きさ、重量などもさまざまで、使う人の体格・技法などによっていろいろなものが作られていました。

鉄扇・扇子 扇八郎>鉄扇について

現在は後者の「慶近藤勇先生需寸定 文久二年正月日」が見えるように置かれている。こちらに来る前から「摺上って何?」「刀から縮めたんか?」と憶測が飛び交っていたが、恐らく需寸定は下記の意味になるとは思う。

定寸に磨上げられ」(じょうすんにすりあげられ)とは、長い刀を定寸サイズに磨上げて短くすること。

刀剣ワールド

そうすると、水心子正秀の作った鉄扇がデカすぎるから、近藤勇が定寸にしたい需要があり、栗原信秀が摺上た……くらいしか可能性は考えられない。鉄扇の摺上げって一体どういう状況なのかさっぱり想像がつかない。鉄扇って佩刀出来ない時用の護身具では?摺上げを要するクソデカ鉄扇ってそもそも存在するんだろうか。キャプションに裏面の写真もない。謎が謎を呼ぶ。大変困った。恥を知らない私は、受付の方に尋ねた。学芸員さんをお呼びいただいた。かたじけない。

結果として、回答はこうであった。
あくまで、この鉄扇自体が伝であり、当時の状況は全く不明であるし、真贋を含め全くわかっていないものである。本物であるとの裏付けを得るのは非常に難しい。
Q. 裏面の「水心子正秀 栗原謙司信秀摺上」について、水心子正秀の部分は本人による銘なのか、それとも水心子正秀の部分を含め栗原信秀による後銘であるのか。
A.長い期間展示しており、裏面の詳細な情報は記憶していない。

概ね想定通り、「憶測の域を出ません」というところに留まる展示品であることがわかった。ただ、わざわざ水心子正秀と栗原信秀の名を借りた偽銘と(当時の人気でいえばもっと相応しいターゲットがあるだろうという意味で)断定するのも野暮かな……と思うくらいのあれである。パッと見の印象は(ド素人目には)綺麗な楷書体で信秀が打ちそうな字ではあった。
伝近藤勇所用という部分が大事な部分のものであるので、これ以上のことが判明することはきっと難しいだろうが、栗原信秀と近藤勇が接触どころか依頼までされる関係かもしれないという夢を持たせてくれる展示であった。

お忙しい中時間を割いていただき、大変ありがとうございました。

・佐藤彦五郎新選組資料館
私、全く知らなかったのですが、新選組クラスタが殺到していた土方歳三御遺髪の展示をされていたのがここ。今日はゆっくり館内の展示を心いくまで楽しめるくらいの少人数でした。展示品の説明を子孫の方が丁寧にしてくださるので私のような素人には大変良かった。
松平容保より拝領したとされる、葵御紋が刻印された『越前康継』が5月いっぱいの展示ということで、じっくり拝見。南蛮鉄を使っているらしく、何とも言えない複雑な肌と沸出来の刃が印象的。これは大事にするだろうなあという感想を抱いた。歳三より佐藤家が直に譲り受けたとのこと。
近藤勇の几帳面な筆致の書状や、沖田総司が山南の死を報告した書簡が印象的だった。特に沖田総司って「伝説のイケメン」ってイメージ強かったから……佐藤の藤を欠字(宛先人への敬意を示す)した沖田の教養を垣間見ることが出来る貴重な資料でした。

・日野宿
歴史館との共通券で入場。ガイドさんにじっくり解説してもらいました。端午の節句だから色々飾ってあった。土方歳三の生誕日と命日がこの辺りだということを教えていただきました。明治天皇陛下がお見えになった玄関とか、ここで歳三さんは昼寝してましたとか、佐藤家の居住空間はここですとか、市村鉄之助が匿われていた場所です、とか。すごい情報量だったけど、多分クラスタ的には常識レベルなんだろうなあと思ったりもした。

・土方歳三資料館/石田寺
うわーーーー!噂の!石田散薬!!ここで一句!兼さん!!!みたいな感じ。流石の人気。規模に比して結構人多かった。土方歳三にとり大事な月という関係で、和泉守兼定が展示されていた。これが噂の……精緻な柾目とのたれ?といった印象。静かで緻密な感じのおかたなでございました。色々おすすめしてくださった方(その方が展示してるよ、と教えてくださらなかったら万願寺まできていなかった)のおかげです。ありがとうございました。
最後に石田寺までお参りして、手を合わせてきました。

盛りだくさんの一日でした。信秀の鉄扇?!というモチベーションだけで来たけど、日野の人の「新選組の活躍をずっと伝えていきたい」という熱量を一身に受けられた良い旅路でした。またこれますように!



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