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これからnoteで書くこと【自分探しと『俺の嫁のすゝめ』について/芯探求_1】

はじめに


はじめての記事は自己紹介やこれからやりたいことを書くのがおすすめです。

noteの一つの記事も書いてない虚無のときにホームにでてくるクソみたいなアドバイスより引用

 ……らしいので自己紹介的なのを書いていく。
私としては、まず私のnoteのアカウントにたどり着くのかも疑問だし、そこからこの記事を読むまでに至るのかも疑問である。
自己紹介読んだことあります……?


やること

 それはさておき、今やりたいと思っていることはカヨコの考察と自分の信念についてだ。
クリエイターと自称するのは、流石にイキってるみたいで嫌な語彙だから余り使いたくないという気持ちもあるし、クリエイターを自称するほどまだ創作活動していないし、好きな人間性の話までいつの間にか飛びそうのなので創作の信念ではなく自分の信念としている。
なぜ上記のことについて書こうと思ったかというと、Twitter上で自分の思いをつらつらと述べたくないからだ。Xじゃないぞ。
これも自分の信念に由来する。

なぜここに自分の信念を書くのか

 少し前、Twitterである議論があった。Xじゃないぞ。
『絵師は自我を晒すな』
である。人権や正当性の意識から言えば「頭おかしな事言うな」だが、消費者としては一生ものを作ってほしいと思うのも当然だろうと思う。だって消費者ですしお寿司……。そして私も消費者の立場ならそう思う。ここで信念の話である。
私は極力自分が消費者として立ったときの立場に沿って創作していきたい。
消費者に楽しんでもらいたいから、というのも勿論あるが、後々自分で消費したときも楽しみたいのだ。
だって、自分で作ったものを見返して「俺は価値のないゴミばかり生み出すうんこ製造機のニートだったんだ……」なんて思いたくない。そこのヤツ解決してもニートだろとか言うな。将来の話だ。今はニートじゃねぇ。

 このような明文化してない自分の無自覚な信念がいくつもあるが、それを認知し切れていないという問題がある。
つまりなぜ書くかというと、自分探しの旅のようなものである。急にチープだね。
 それともう一つ、上のように理念を伝える上でイキって少々過激な立場を取りやすいために、将来、Twitterという私のイラスト等を見に来た絵師や消費者に不快感を与えたくないためである。つまりは自己隔離。Xじゃないぞ。
「まあ、私のnoteにたどり着く人はそうそういないだろう」そう思って隔離先に選ぼうと判断したのである。

なぜカヨコの考察なのか

ゲヘナ学園所属、便利屋68の課長。
他の便利屋68のメンバーとは異なり悪意がないのにも関わらず、
生まれ持った顔つきが怖いという理由だけで不良と誤解される少女。
カヨコ本人はそんな誤解に対して沈黙を貫いているが、
むしろそのせいで怖い人というイメージがより強まる悪循環である。

ブルアカ攻略wiki/カヨコの説明文より

 カヨコと言われて「知らない」と無知を晒す人も居るだろう。馬鹿め。
まあ、ここにたどり着ける時点で私のことを相当知ってるから説明不要だろうとは思うが……。
 カヨコはゲーム『ブルーアーカイブ』に登場するキャラクターである。

見ての通り可愛い。

 まずデザインに一目惚れした。えっ、可愛くない?この娘……。
どこが「顔つきが怖い」だよ。クソ美人じゃねぇか。カヨコのデザインを手がけたことでお馴染みのDoReMi大先生に、「顔つき怖くねぇじゃねぇか」と「こんなにも可愛いカヨコを創ってくれてありがとうございます!!!!!!」と二つのことを言いたい気持ちで、いつも複雑な心にさせられるこの娘。この娘に惚れた。
 そして、なんと言っても性格が良い。性格が。仕事に関してストイックであることとか特に。その他も凄く共感できる。ここに書くには余白が小さすぎる。もしくは私の執筆に掛かる時間。
 私は元々モンハンの擬人化のイラストを見て絵を描き始めたのだが、この娘によって全て狂わされたとも、動き出したとも言ってもいい。モンハンの擬人化をしたいなと思っているうちに、自分の性癖ってなんだろうなと思い、白髪、ポニテ、パーカー、ダウナーと並べている最中に背後から刺してきた。殺す気か。
 つまりである。この娘を探求するのは単に愛でているというのもあるが、それを通して自分を知ることでもあるのだ。この娘は私の理想像を映し出す鏡でもある。私の性癖は何か、私の理想とは何か。それを知ることができるのだ。私はゲマトリアか……?
 とにかくこの娘は、私の信念に通づる部分も多く凄く共感できる。こんなにもキャラに惚れ込んだことは一度もない。むしろ「キャラにガチ恋とか言ってる人いるけど、流石に嘘でしょ」と思っていた側である。この娘を探求するのには意味がある。だからカヨコ像を書くのだ。
 そして、このカヨコ像の探求には、他の絵師のカヨコ像の否定を伴うことになるかもしれない。だからこそ、また自己隔離。
(ちなみになぜ推しという言葉を使ってないかというと、これも信条で推しという言葉が軽く聴こえるから使いたくないだけ)


まとめ

つまり、ここで活動しようと思った理由としては、

  • 自分の信念のための自己隔離

これである。自分の信念のため消費者に不快感を与えたくないからここに書くし、自分の無自覚な信念を知るために信念の明文化やカヨコ像の探求もする。加えて他の絵師の信念は攻撃したくないし、カヨコ像も否定したくないのだ。そのための自己隔離。

これを読んでくれた皆様も、是非惚れるようなキャラを探してみては。自分の好みを知ることができるかも。
以上、『自分探しと「俺の嫁」活動のすゝめについて』でした。カヨコはいいぞ。


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