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『アングロ・サクソン年代記』とは

 『アングロ・サクソン年代記』(Anglo-Saxon Chronicle)は端的に言うと、古英語(および初期中英語)で書かれた紀元前1世紀から紀元12世紀までのイングランドの出来事をまとめた別々の年代記の集大成である。


Chronicle or Chronicle's'

 まずタイトルについてみていこう。一般的に『アングロ・サクソン年代記』は単数形Anglo-Saxon Chronicleと称されているが、複数形Anglo-Saxon Chroniclesと称したほうがいいという議論がある。
これは年代記が複数の写本から構成されているためである。以下に年代記製作の歴史をみていこう。

年代記の各写本関係図


the Alfredian Chronicle 'the common stock'

 890年代前半にウェセックス王アルフレッドの宮廷で書かれた年代記。現存しない。9世紀末、ウェセックス王アルフレッドは当時ブリテン島に襲来、定住していたヴァイキングに対しての反撃を開始し、その過程でアングロ・サクソン系の王国を併合していった。ブリテン島南部からなる「大ウェセックス」(Greater Wessex)を一つにまとめ、共通のアイデンティティを作り出すために年代記は編纂された。ある種のプロパガンダと言ってもいいだろう。
 つまり年代記の記述は基本的に南部、特にウェセックスの視点で描かれ、さらにそこに内部の派閥争いが加わる。そのため年代記の記述は注意して読む必要があるが、それでもなお年代記はアングロ・サクソン時代における最重要資料である。

 現存している写本は7つ(8つ)あり、AからG(H)のアルファベットが便宜上ふられている。以下簡単に紹介しよう。

A写本 'Winchester (or Parker) Chronicle

現存するもっとも古い写本。9世紀末か10世紀初頭にウィンチェスターで一人の写字生によって、891年までの出来事が写される。
エドワード長兄王治世の記述は10世紀に何人かの写字生によって追加された。

B写本 'Abingdon Chronicle I'

10世紀末に完成した。977年までが記録されている。マーシアに関する記述が多い。

C写本 'Abingdon Chronicle II'

11世紀中ごろに書かれる。977年までの大部分は[B]のコピーである。

D写本 'Worcester Chronicle'

11世紀後半に書かれる。大部分が北部校訂版¹(Northern Recension)による。
¹ 北部イングランドに関する記述が追加されたもの。現存しない。北部で編纂されたわけではない。

E写本 'Peterborough Chronicle'

ピーターバラで1121年から1154年にかけて書かれる。末期古英語と初期中英語が入り混じる。

F写本 'Bilingual Canterbury Epitome'

1100年頃にカンタベリーの写字生がまとめた古英語とラテン語の対訳版。

G写本 

11世紀にウィンチェスターでまとめられたA写本のコピー。

H 'Cottonian Fragment'

一葉からなる。1113年と1114年のみ。


まとめ

  • 全体で紀元前1世紀のユリウス・カエサルのブリタニア遠征から、1154年のスティーブン王の死とヘンリ2世の即位までを扱う。

  • 全ての年に記述があるわけではない。記述の長さも様々。

  • 大部分は散文で構成され、一部は詩で書かれる。

  • 異なる時間、場所、個人、集団によって書かれ利用された。そのため写本ごとに対立する記録もある。

今後はE写本を使い『アングロ・サクソン年代記』を見ていきたい。事実と反する箇所、筆者の見解があるときはそのつど注釈をいれていく。


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