幼きころの体温

家庭は自立を目標とする者で構成された。

そこへ97年に誕生し、世話をされた私は早々に周囲とのギャップを感じた。

受け取る側の心と与える側の心が合わさらないとそこに愛は生まれない。見えないものだからこそ双方の同意があらねばならぬ。

それこそが関係性の構築において必須であることに今さらながら気付く。

無償の愛とはこの世界にはほぼ存在しないといっていいのかもしれない。
神仏がうまれたのも頷ける。

そこに愛は無かったと感じた。
愛を欲していた幼き頃の自分は誰かを愛することが出来るのかと疑問に思い日々を過ごす。

時には自分を乱雑に扱うことで自己耐久力を試していた。死には到底及ばなかったらしい。軽率に死を身近においていたことを恥じた。

自己肯定感の低さは愛によって高められるのかというと、そうでは無かったし、与えられるばかりが故に罪悪感が募ってしまい、自己嫌悪に繋がった。
あがこうと今度は自分を甘やかしたが、甘やかした時間が無駄だと塞ぎ込む。

所詮愛は一人では生み出せなかった。
いっそ愛というものを感じなくなったらどうかと思い立ち、偽物の愛を受け取るなり軽笑した。

何も無くなっていた。

愛は人ではなく物象でも生まれることに気づいた。そこには求めていた愛が存在した。確かに

そのものからの同意するという返答はないがそれこそが心地よかったし、無限に捧げても何も無い事こそがまた心地よかった。

物象に捧げた愛は人に捧げることを自分は出来るのだろうか。
少しの可能性を自己に託し、自分を愛することから始めようか。

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