元旦に起きた不思議なこと

新年早々、面白いことが起きた。

年末のある日、はたと思い立ってプレイステーション4を買った。
時代は5に移っているのだが、外食するにも行列には絶対に並ばない私は、こういう時も「空いている所」を狙う。
中古で安く買えた。

ゲームをするにはソフトも必要である。
前から気になっていたのがあったので、それをメルカリで買った。

メルカリで売り買いすること百遍くらい。
初めて、出品者から連絡がなかった。
当然、発送もされない。
一年の計は元旦にあり、というが、私はどうしてもゲームで一年を始めたかった。
なにゆえに?
私はこれまでずっと「役に立つこと」「甲斐のあること」を最優先してきた。
それは自分のプライドであり、信念であり、強迫観念でもあった。
それはそれで勿論、欠くべからざる大切なことではあるけれど、偏りが過ぎることを、去年は教えられた気がした。
「ゲームするくらいなら…」と私は天秤にかけてしまう。「その間に本を読んで学びを深めた方がいい。その間にピアノを練習した方がいい」
どちらも未来の種になる。
しかし、だ。
神という教えの師は、去年、その行き詰まりを示してくれた。
というわけで、今年はどうしてもゲームで始める必要があったのだ。
新しい自分に生まれ変わるために。

そのソフトが届かない。
これでは元日に間に合わない。
どうなる、私の令和六年。
構うものか、と別の出品者から購入することにした。
物流の行き渡った有り難いこの時代。
年の瀬であってもこれなら間に合いそうである。

…が、配送が予定された大晦日。
ポストを開けると、配達伝票が入っていた。
「玄関前に置き配しました」とのこと。
配達物は「メルカリ商品」と記載。
ソフトなんてポストに充分入りそうなものだが。
配達伝票をわざわざポストに入れて、配送物を床に置くとは。

…って、どこにも無いではないか。

何度見ても無い。
電話して問い合わせた。
「確かに置いたと配達員は言っています」
「でも無いのです」
「ご家族がお取りになられたとか」
「独り身です」
無意味にそんなことを言ってしまう。

盗まれたのかな、と思うが、あり得そうもないことだ。

なんだよー…と思った。
しかしこうなりゃ意地だ。
新品で良いから買おう。
混雑は嫌いなのに、大晦日の日にわざわざ近くのビックカメラに行った。
無い。
これで諦めた。

第二の出品者には、無事配送された旨、通知した。
この人にクレームや愚痴を言っても仕方ないため。

第三の出品者…の前に踏みとどまった。
明らかにおかしなことが起きている。
こういうことは必ず神意の現れだ。
理解せずに第三の出品者から購入しても、この調子では絶対に何らかの不思議な力によって届かない。
多分、私の心の中の、「ただ自分のためだけの、生産性0の喜び」なるものに通じる扉は、長らくの禁欲生活と使命感と自制心のために錆びついていたのだ。
ひとまず、この心的事実を胸に染み込ませようと思った。

翌朝。
つまり年明けて元旦。
ガチャン、とポストの音。
見ると…
ソレが投函されていた。

発送時刻を確認すると、第二の出品者からであることが間違いなかった。
しかし、昨日は郵便局で、今日はクロネコ…
謎すぎる。
業者まで入れ替わっていた。
大晦日に配達されたものとは一体何だったのか?
「見えないもの」と言った所か。

一年の計は元旦にあり、と言う。
人間にとってだけでなく、神にとってもそうではないだろうか。
令和六年の最初に私がしたことは、驚き、喜び、神の業に感心することだった。
裏返すと、神は元旦にまず私に感銘を与えることに成功した。

私はそのゲームソフトを開封すると、鏡餅と並んで神棚に供えた。


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