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フリーペーパー掲載エッセイ

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「おかん時間」に連載中の『子育てのまにまに』をはじめ、過去のフリーペーパーに掲載したエッセイを集めてあります。
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#短編

うなじの記憶

顎の下で切り揃えた髪が気づけば肩をくすぐるようになり。 書いたり描いたりしているとなんだか鬱陶しい。 えほんを3冊創ったら美容室に行く、という自分へのささやかなご褒美にはあとまだ1冊描かねばならない。 (今度は木村佳乃みたいなショートにしたい気分。) そんな訳で、恒例のひっつめ髪。 色鉛筆のシッポで頭を掻く。 後れ毛を毛束に埋める。 網戸から入る風が首筋をゆく。 ーそうか、あれは恋を失ったからじゃなかったんだ。 蘇る20年以上前の記憶。 遠足の砂浜。 ショートにしたア

オツキーとの和解

私は月のことをオツキーと呼んでいる。 彼女との間の、ちょっとしたワダカマリを乗り越えた末の愛称である。 私は学生時代にそれに似たあだ名で呼ばれていて、月モチーフの指輪を中指にし続けていた。闇夜に一筋の救い的な光を投げかけてくれることや、嫌いなプールの授業を見学する印籠になってくれたこともあり、オツキーは頼もしい親友のように思えないこともなかった。 ただ一点、彼女とのシンクロにはいささか煩わしさを感じていた。 これがその、ワダカマリというやつだ。 オツキーが満ちる、欠ける

あの鉄塔が見えたら

「いい?窓の向こうに山が見えるでしょ? あそこにね、小さな鉄塔があるの。 今はわからないと思う。見えたら教えて。」 その時、私は泣いていた。 ぐちゃぐちゃに泣いていた。 17歳。書道準備室。墨の匂い。 “不幸の館”。 彼女は自分の部屋をそう呼んでいた。 体操服の行列が外を走る掛け声。 ノー天気な青空。川の上を渡る風。 青春臭いものにうんざりして泣けてくる。 野暮な自分にも泣けてくる。 でもここには好きなものが在る。 墨の匂い。 先生らしくない先生。 醤油煎餅。 「

サーモンの行方

適当にちぎったレタスに新玉ねぎのスライス。 5枚切りの山切りトーストを焼くこと5分。 「あれ、サーモンがいない」 「いない、じゃなくて、ない、だろ。」 「ここにいたはず。あれ、わたし解凍した?」 チーン 「おなかすいた」 「あ、ゆで卵食べる?昨日余計にゆでたのが冷蔵庫に、、、あれ、無い。」 チーン 「ねえ、トースト、コメダにしたい」 「ああ、あんこね。あんこ。あれ、アンコ??」 チーン 私の記憶が正しければ8年に一度くらいこういう日がある。(さて、どれがトースト

吸殻とミルキー

まばたきがカメラのシャッターのようになる瞬間というのがある。 行きつけのコンビニへ続く階段を上りかけると、雨上がりのアスファルトに煙草の吸殻とミルキーの包み紙が並んで落ちていた。 まばたきをする。 その画が脳裏にプリントされる。 バス停で246の果ての方に目をやり、遅れたバスを待ちながら吸殻とミルキーの画を鑑賞してみる。 『家で煙草を吸えないパパがこどもを散歩させながら煙草を吸った説』 「ちょっと、掃除機かけるからタカシ連れて外に行っててよ。」 休日の気だるいパパはなかな