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〈境界線とエゴ〉

〈境界線とエゴ〉

なんでだか、感じていた、自分の境界線が消えたように感じる時の癒し、、、森に入って自然に溶け込んだ時、、セッションで、または声を内側に響かせた時に境界線が動きそのものに変わっていく時、、

いつも読んでいる先生の言葉を思い出した、、
エゴは常に活動している、、実のところ思考や感情とは別のもの、、、それは境界にいる、、、

なるほど、、、、。
事実というのはよくわからないけれど、深く深く納得した、、

時にずる賢くなり、時に感情に訴え、時に身体に異変を起こす、、自己防衛の番人。

けれども。

今の時代.自分1人のサバイバルはあまり役にたちそうもない。自己を全体と捉えるならば、個の境界の番人にはお休みしておいてもらったほうがよさそうだ

代わりに今いる場、全体に耳を傾けて、、、
安全の意味合いが違ってくる

溶け込んでしまうと、境界が見えなくなるとエゴはどこへいくだろう。

“エゴは実のところ、思考や感情とは別のもの

私たちが喜ぶような邪魔を作り出してくる、、、“

先生が、真摯に身体に向かい会い研究をしながら紡ぎ出してくれた言葉にあるように、生まれてからすぐ、人間社会の枠組みの中で、個人としての“私“が生きていけるように成長し続けてきたエゴの手の内に落ちずに、自然の枠組み、“全体“としての利益に意識を切り替えて生きるのは、容易なことではなさそうだ。

けれども、行き詰まりを見せつつある現代の社会に於いては、今一度自然の生き物としての原点につながり直し、教えを乞う事は急務と言えそうだ。

それには、自分のエゴのいる場所として、先人が示してくれた提案は大いに役に立つ。

“エゴは考える-自分の何かがおかしくなっている“
私たちが、“全体“に意識を向けた時に起きるエゴの混乱を表した先生の表現はとてもユニークだ。

本には、“そこから、健康的な驚きが待っていてくれる“とつづく。

まだまだ実感を伴うには至らないが、先人の智慧に教えを乞いつつ、“全体として“今を生きる、を実践したいと切に願う。

参考・引用 〈オステオパシーを巡る旅〉
James Jealous D.O.

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