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生きた解剖、生きた数字  


昨日久しぶりにロルフィング、イールドの田畑さんのセッションを受けさせて頂きました。

具体的な内臓の動き、肉体が感じられなくなるような形状の変化、呼吸の形、色調の変化、結果思考的なパターンと滞りにも変化がありました。
最後に立った時の逆に今まで感じていなかったかかとふくらはぎが存在感にもおどろきました。

解剖といえば解剖図
数字といえば過去のデータ

科学的に効果を証明しようとするときに使う生命のない感じ、じゃない生きた解剖?変化し続ける形(緻密さからいうと数学的な?)みたいなものが体験にはありました。思考的なリリースは多分それとは切り離されない状態でなにか起きていたようです。

それは、思いがけず、ずっと探求しているオステオパシーのバイオダイナミクスのさらなる探究の方向性に大きな学びをもたらしてくれました。

身体は丈夫で感情的にも比較的波風は立たず、ただ思考的が常に騒がしく休まらない、そんな気質を開放したくて研究を始めた、、そんな経緯から、精神的な効果を期待しすぎて、結局身体が疎かになっていた、、もっと体感を通して学べるはずの膨大な医術体系をかなり限定してしまっていた、それこそぐーっと、、これは、ほんとに、、深いところからやってくる何かに気づいて、なんともばつが悪い感じ、そんな感じかもしれません。

体も心もない、経験があるだけだ、
そんな言葉をある先生が引用されていたのを思い出したのですが、まさにそれを体験したような。

初心に戻って。ニュートラルからまた始めよう。
大きなシフトになりました。

貴重な体験をありがとうございました。

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