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私の過去世体験


過去世に興味を持ったきっかけ

20年ほど前、私は急に精神世界に興味を持ち始めた。
それは、ただの興味本位とは到底言えないほどの強い衝動で、渇望という言葉がぴったりくる。
最初は、自分がどんな知識を求めているのかさえもわからず、カラーセラピーやヒーリングの本などを読んだ。普段、本を読まない人でも手に取りやすい、かわいらしい表紙の読みやすい本だ。
当然、私の魂はそんな程度では満足できない。
渇ききった砂漠に数滴の水をこぼしたようなものだ。
だが、肉体の方の私には知識がなさすぎて、どんなジャンルのどんな本を買えばいいかさえわからなかった。
それでも、ここから私は精神世界へと深く入っていくことになる。

ある日、「寝る前に、前世を知りたいとお願いすると、夢の中で教えてもらえる」と知り、興味本位でやってみることにした。
当時はまだ結婚していたので、夫との関係や兄弟との関係、親との関係などを知りたいと思ったのだ。
すると、夜中に「前世○○と夫婦だった」と頭の中に聞こえたのだ。
びっくりして目が覚めたのか、目が覚めたときに頭の中に聞こえてびっくりしたのか、すべてが同時に起きていたような感覚だった。そして「まさか…」と呟いていた。
まったく予想もしていなかった人の名前だったからだ。
確かにその人は、私にとっては特別な人で、彼以上の人はもう現れないと思っていたし、愛情がなくなることはなかった。
でも、もう10年くらい会ってもいなかったし、自分の中でしっかりと終わりにも出来ていた。
「前世、夫婦だった」と言われて、確かにわからなくもないが、それにしてもあまりにも衝撃的だ。
その夜以来、私は前世というものに強烈に興味を持ち始めた。

元夫との過去世

話は前後してしまうが、まずは元夫に関係する過去世から話していこう。

私は、あるとき退行催眠の本と出逢う。
その本にはCDが付属していて、過去世へとナビゲーターが誘導してくれる。
初めは何も見えなかったが、何度かやってみるうちに、少しずつぼんやりと見えてきた。
最初に見えたのは、男性のゴツゴツした手足だった。
どうやら私は男性らしい。そして、白い布を身に着けている。
古代ローマ?ギリシャ?のような感じだ。
初めて見えたのはこれだけだった。他には特に何も感じることはなかった。
これが本当に過去世なのか、自分が勝手に頭の中で作り出したものなのか、それもわからないし、もし過去世だとしたら思い出す意味があるのだろうか?とも思うくらいだ。
正直「ふーん」という感じだった。

だが、その後、少しずつ大事な場面が見えてくる。
何度もCDを聞くうちに慣れてきたのか、深い催眠(変性意識状態?)に入れるようになったようで、あるとき、海沿いにある石造りの町が見えた。
要塞のような城壁のようなものが海沿いにあり、細い路地は入り組んでいて坂になっている。石畳に石の建物。
地形を生かして岩をくり抜いた中に、酒場のようなものがある。
入り組んだ坂道を上がっていくと、どうやら城に繋がっているらしい。
海沿いの石造りの町で、私は要塞から海を眺めながら孤独を感じていた。
仲間はたくさんいそうだが、心を許せる人がいないようだ。
酒場で祝杯をあげているようなシーンも見えた。壁が岩になっている酒場だ。銀製(たぶん)のワイングラスのような杯で乾杯している。
私は仲間とともに何か成し遂げたようだ。何かと戦って勝ったという感じがした。
同時に、『革命』というワードが入ってきた。
別のシーンでは、城に続いている石橋の手前の広場で、城主にひざまずいていた。
革命のようなことが称賛されたようだ。
このときは、誇らしげな気持ちでいる。
そして、最期のシーン。
しばらく幽閉されていた後、城の塔の中で処刑される。
上からの圧力なのか、どうやら情勢が急に変わったようで、革命を起こした私たちは反逆者として罪人になってしまったのだ。
首をはねられたのか、剣で刺されたのかわからないが、最期、城主や周りにいた人たちの気持ちが入ってきた。それは「やむを得ず」という感じで悲しい思いだった。
彼らにも何もできなかったようだ。
それまでは「どうして」という悔しさでいっぱいだったが、その彼らの悲しみを感じたと同時に許しの気持ちが芽生えてきた。

実は、この城主が元夫だったのだが、それは、退行催眠とは別のところで知ることになる。

カルマの解消

退行催眠にもすっかり慣れてきた頃、私は、誘導のCDを聞かなくても、日常の中で変性意識状態になることが多々あった。

ある平日の昼下がり、私は電車に乗っていた。
その日はぽかぽか陽気で、電車内の空気感ものんびり穏やかで、私は半分寝ているような心地良い状態でいた。
この意識状態が良かったのか、このとき、あの処刑された過去世にリンクする。
それは、過去世を思い出すとか再体験するという感じではなく、『その過去にリンクする』感じだった。
現在と過去とすべてが同時に存在している感じだ。
この人生と過去の人生と、今、同時進行していて、どちらにチャンネルを合わせるかで体験する人生が変わってくる、そのくらい時間の概念が曖昧な感覚だ。
そして、その過去世からは少し引いているような視界で、モニターに映し出された一つのシーンを見ているような感じだった。
そこに自分のチャンネルを合わせれば、その過去世の中に入れる。
その時は電車の中だったということもあり、そこまで深く入っていかなかったのが良かったのかもしれない。
その過去世が現在に与えている影響が客観的に理解出来た。
それは、その過去世の城主が元夫で、私を処刑せざるを得なかったときの償いをしたくて今世出逢っているというものだった。
自分のために、みんなのために大きな貢献をしてくれたのに、助けることが出来なかった、その悔しさ、悲しみ、謝罪のようなものが伝わってきた。
そして、出来る限りのことをしてあげたい、とも。
私は、モニターのようなものに映し出された城主を遠くに見ながら、結婚生活を振り返り納得した。
元夫は彼なりに、私をとても大事にしてくれた。
そして、彼は私に大きな財産をくれたのだ。
精神世界の知識を渇望した私は、当時年間100冊以上の本を読むことになるが、そこに費やす時間と本を買うお金は彼が与えてくれたものだ。
彼と結婚していなければそこまでは読めなかっただろう。
そして、この時期に得た知識、体験が私を生まれ変わらせる。
過去世の城主が償いのために与えてくれたものとしては、大きすぎるくらいの財産だ。
私は、モニターに映る城主に向けて感謝の念を送った。もう充分してもらったと。
そして、処刑になったのは誰のせいでもなく、仕方なかったことで、死を迎えた瞬間にあなたの悲しみも悔しさも理解したと。もう大丈夫だと。
ここからほどなくして、私たちは離婚へと向かって行くことになる。
これが、カルマを解消したということなのか。
今では、彼と出逢った瞬間から、離婚へと向かうベルトコンベアにでも乗っていたかのように感じる。

導かれていく

「前世、○○と夫婦だった」と急に言われて、驚きはしたものの、どこか心の奥深くでは妙に納得している自分もいた。
それでも、頭には疑問ばかりが浮かんでくる。

前世、夫婦だったとしたら、どうして今世また出逢ったのか?
最期まで添い遂げられなかった理由でもあり、その無念さゆえに今世また出逢ったというのだろうか?
今世、また出逢うことができたのに、どうして別れてしまったのか?
どうして今頃になって思い出させるのか?
どうしてその前世が出てきたのか?
それを知って何になるというのか?

同時期に私の周りでは不思議なことが頻繁に起きていた。
その、前世夫婦だったと思われる人の住んでいる地域を表わすものが、やたらと私の周りに溢れてきたのだ。
「なに?今、この地域って流行ってるの?」と思うくらい、駅でポスターを見かけたり、構内放送で「○○市からお越しの~」と聞こえてきたり、旅番組やグルメ番組でもいたるところにその地域の情報があり、お土産もよくもらっていたし、カフェに行けば隣の席の人がその地域の話をしていたり、TVをつければそこのニュースをやっていたり、サザエさんのオープニングまで、とにかくこれでもかというくらい世界が私にその地域を推してくるのだ(笑)

他にも、突然、頭の中に、その彼と一緒にいるビジョンが送られてきたこともあった。
高次元からのメッセージは情報の塊で送られると言うが、まさにその通りで、それは写真のように一瞬を切り取ったものでありながら、そこから多くの情報を読み取ることができる。
ここまで多くの情報を瞬時に、そして鮮明に受け取ったのは初めてだった。

更に、眠りに落ちる瞬間にも鮮明な映像を見るようになっていた。
精神世界の本にもはまっていて、知識を得ることにとてもワクワクし、知れば知るほど自分の感覚も開いていった。
そして、答えを得られるのが楽しくて、寝る前に質問をすることも多くなった。
最初の頃は、質問の答えが見えていたとは気付いていない。
最初に見えたのは、白黒の古い写真のようなもので、日本家屋の庭で女性が4,5人映っているものだった。戦時中のようで、三つ編みやおかっぱ頭の女学生たちだ。
怖くなってすぐ目を開けてしまったので、服装などはっきりしたことはわからなかったが、同時にひめゆりの塔のことがふと浮かんできた。
戦争中だと伝えたいのか、沖縄だと伝えたいのか、それとも前世とはまったく関係ない映像なのか…。

ある日、田舎の学校の校庭が見下ろせる土手の辺りで、若い男女が話しているような映像を見た。
そこは、樹が何本も茂っていて、あまり人目にはつかないような場所だ。
学生ズボンに白いシャツの10代くらいの男の子と、白いシャツの三つ編みの女の子が何やら話している。夏。お互いに気持ちがあるようだ。
そして、男の子はこれから戦争に行くらしい。
印象としては、徴兵されるというより、志願兵になるという感じだ。
また別の日、この三つ編みの女の子が港のような場所で日の丸の旗を振っている映像を見た。船にはあの男の子が乗っている。
軍に入隊するために行くのか、すでに入隊していて、これから出征なのかはわからない。
特に感情も何も伝わってはこない。

これが、私たちの前世なのだろうか?
正直、この時はよくわからなかった。
前世が戦時中の日本で、戦争で死に別れた夫婦だったなんて、あまりにも簡単に物語が作れてしまうじゃないか。
誰でも妄想できるよ、と否定する気持ちが強かったのかもしれない。
確かに、空襲の夢は小さい頃からたまに見るようなことはあって、そのときは物凄い恐怖心もある。
現代ではあまり聞くことがなくなった火事のときの、あの物悲しいサイレンにも、物凄く恐怖心がある。
だが、それが例え空襲警報を思い出すスイッチが押されるようなものだとしても、そんなのきっと誰でも怖いだろう。

この時期、私の周りでは戦争に関しての情報が溢れ出していた。
ドラマも映画も、ドキュメンタリーも、やたら戦争ものを推してくるのだ。
終戦記念日の近くなど夏場にそういったものが増えるのはわかる。3月の東京大空襲の頃も。だが、そういった時期でもなかったのに、やたらと目にしたのだ。

私たちが出逢った日は、戦争に関係するような日だった。
そういえば私は小さい頃、『はいからさんが通る』が好きで、特に『少尉』という響きが大好きだったことも思い出した。
妙に納得できてしまうことが、人生のあちらこちらにある。
それでも、全部、後付けで妄想の域を出ないと、否定する自分もいた。
その後、『思い出す』までは…。

映画のような記憶

ある夜、私は、とあるCDを寝る前に聴いていた。
はじめの数曲は誘導瞑想のようなものだった。
おそらくそれが良かったのだろう。変性意識状態に入っていたのだと思う。
最後の方の曲で、私の頭の中には映画のような光景が広がっていった。
それは、映画を観ているような外側からの視点でもあり、登場人物の視点でもあった。
外側から見ている私は「え?これは何?」という冷静な視点があり、同時に登場人物の視点から見ている私は、その時の感情も感じている。
感情を伴うような忘れられない記憶を思い出しているような感覚だ。
むしろそれよりリアルかもしれない。
直感的に過去世だと感じたが、もう一人の自分は「何?何?」と否定したがっている。
だが、いくつかの映像を観ていくうちに、それは確信へと変わっていった。

初めは桜が見えた。
「また桜だ。最近、桜がよく浮かんでくるな。」
マイナーコードの少し悲しげな曲なのに、なぜか春の穏やかな雰囲気を感じる。
桜の花びらがハラハラと散っていく美しいイメージだ。
暖かくて天気が良くて、ほんわかした春の日…。
桜の映像に写真がダブって見えた。写真たてに入った軍人の写真だ。
軍服で帽子をかぶり、笑顔だ。
急に悲しくなった。どうやらこの軍人さんは亡くなっているらしい。
穏やかな春の暖かさと裏腹に、物凄く悲しくなった。
その後、次々と映像が浮かんでくる。
以前、見えた学校だ。若い男女がいた田舎の学校。
どうやら私は、その学校の教師のようだ。
子供たちには優しく微笑みかけながらも、心の中は悲しみでいっぱいだった。
授業中、教室の窓から、桜がハラハラ散るのを見ながら、亡くなった軍人さんを思い出している。
板張りの床、古い木の机。木の窓枠。子供たちは小学校1,2年生くらいだろうか。
戦争は終わっているのかもしれない。
軍人さんのことはとても愛しく思っていて、それ故に物凄く悲しく、淋しく、虚しさも感じている。
外は春の日差しがいっぱいで、穏やかで気持ち良さそうだが、それがなお一層、悲しみを強調していた。

その学校での映像はいくつか見えた。
同じ教室で、同じ窓を見ている。
授業中、曇っていた天気が、みるみるうちに暗くなってきて、雷とともに雨がポツポツ降り出してきた。夕立になりそうだ。
そんな様子を見ながら、私はまた、軍人さんとのことを思い出している。
雨がポツポツ降り出して、二人で校庭を走って横切り、木陰で雨宿りをした思い出。
あの土手の、何本も樹が茂っていたあの場所へと、軍人さんの服で雨をよけながら走ったときの様子だ。
それを思い出して、また悲しくなり、涙をこらえている。
子供たちの前ではしっかりしないと、という感じだ。

他にも、放課後のこと。音楽室からピアノの音が聞こえてきて、その曲を聴きながら教室で泣き崩れているシーンもあった。
悲しくて悲しくてどうしようもない。
「行かないで」と強く思った。
「どうして私を一人にしたの?」
「どうしていなくなってしまったの?」
「どうして私を置いていったの?」と。
胸の痛みとともに、涙がボロボロ出てきた。

この時には、完全に自分の感情になっていた。
辛い過去を思い出したような…、追体験しているような…。
どこか冷静なもう一人の自分がいて「悲しそうだな」「悲しかったらしい」と、頭で判断している感じではない。
CDの曲が終わっても、少しの間は、悲しい、淋しい、切ない、虚しい感情が溢れてきて、号泣していたくらいだ。

この時点で、この軍人さんが彼だという確証はなかった。
いや、どこまで行っても『確証』なんてない。
誰にも証明することなんてできないのだから。
それでも、私の全部が知っているようだった。
この肉体を伴う、この世界にいるちっぽけな私は、「これは本当に前世だったのだろうか?」「あの軍人さんは本当に彼なのだろうか?」「あの女性教師は本当に自分なのか?」「ただの妄想なのでは?」など、多くの疑問を持ち上げてくる。
だが、その疑問さえも薄っぺらいものだと、どこかでわかっているのだ。
そうやって、疑問を持ち上げてくる自分を演じていると。
本当は知っている。しっくりくる。
だけど、妄信しないように、常識や狭い世界にしか通用しない限られた知識の中から出ようとしない自分を演じているのだ。
本当は、これが過去世だとどこかで確信しているのに。
そして、それは今世の古い記憶を思い出しているのとまるで変わらなかったのに。

このときに体験した映像では、女性教師の回想の中にしか軍人さんが現れていないため、例えば彼と同じ瞳をしていたとか、彼と通じる特徴的な何かがあったとか、はっきりと確信できるようなものはなかった。
なので、すべてを知っているという感覚はありながらも、なかなか認められなかったのだと思う。
そして、半信半疑を演じたまま、私はますますこの過去世を詳しく知りたくなっていったのだ。

どうか今世は幸せに

それ以来、何度も何度もあのCDを聴いてみたが、あれほどの強烈な映像はもう浮かんでこなかった。
ぼんやりと浮かんできたのは、戦地で泥まみれになっている陸軍兵(?)の姿だった。
そして、このときは自分もそこにいて泥だらけになっている感じがした。
他に、戦地らしきところで見上げた数機の敵機。
そう、このときはなぜか視点が『戦地で戦っている人』だったのだ。

「え?まさかの私が軍人さんなのか?」
「いやいやいや、確かにあの強烈なイメージは女性視点だった…」
「あの胸をえぐるような悲しみもリアルだったし、随分前に自分が体験したことを思い出している感覚だった…」
「これ、もしかしてあの人の最期なのでは?」

今でこそ、魂はすべての体験を共有していると理解しているが、当時は、一つの魂がそのまま肉体を乗り換えるかのように、生まれ変わりを繰り返しているのだと思っていた。
なので、戦地での体験が浮かんできたことには困惑した。
今まで視えた映像は『俯瞰した視点』か『自分自身の視点』だった。
他人視点での映像は、このとき以外は視えていない。
後に、「ツインソウル(ツインレイ)だとしたら視えるのかもしれないな」と思っている。

他にも、この女性教師と軍人さんの結婚したときの様子も視えた。
どこかの広い和室(式場とかではない、自宅か誰かの家っぽい)に、着物で、うつむき加減で座っている。
隣には軍服を着たあの軍人さんがいて、周りにも人がいて、お膳が見える。
大きい卓のようなものではなくて、一人に一つ、目の前にお膳がある感じだ。

また、この男性が出征する前日の様子も視えた。
結婚後の自宅の和室。箪笥が見える。なんとなくだが、男性の悲しさを感じた。
本当はこの軍人さんも戦争なんか行きたくなかったのではないか。
本当は死ぬのが怖かったのではないか、と。
これは、現代の私が感じたことであり、このときは、女性の感情は伝わってこなかった。

頭ではわかっていながらも、女性の悲しみはどうにもならなくて、「どうして?」という思いが強かったが、この映像を見て、何かを許すような、固まっていた何かが溶けていくような気がした。
そして、あの戦地での映像も相まって、『癒してあげたい』という思いが強くなった。
どれだけの恐怖だったか。どれだけ無念だったか。どれだけ心と身体に痛みを受けたのか…。
どうか、今世は幸せに生きてほしい。
楽しいことをいっぱいして、美味しいものをいっぱい食べて、いっぱい笑って、やりたいこと何でもやって、愛する人と幸せな生活を送ってほしい、そう心から思った。
この男性が誰であっても…。
私とはまったく関わりのない人であったとしても…。

モーツァルトと退行催眠

あの強烈な映像が視えて号泣させられた、あのCDではもう何も視えなくはなっていたが、私の感覚は開いていた。
ある夜、モーツァルトのCDでも聞きながら寝たらすぐに眠れるだろうと思い、イヤホンで聴きながら寝ることにしたのだが、このときもまた印象的な映像を視ることになる。
それは、アルバムの中の2曲で、変ホ長調とホ長調の曲のときだ。
この2曲のときだけ、以前と同じように過去の景色が視えてしまうのだ。
おそらくこのコードに共鳴したのだと思う。

いつも見える土手。桜が満開の頃。
大きな桜の木の下に、あの軍人さんとあの女性がいる。俯瞰した視点だ。
桜吹雪でだんだん2人が見えなくなっていく。
映画のようなとても美しいシーンだった。
美しいのに、また悲しみが伝わってくる。
もう一つ。
同じ大きな桜の木の下で、あの女性が大泣きしている。
これも俯瞰した視点。
何か手紙のようなものを胸に持っている。
どうやら軍人さんが亡くなったようだ。
この桜の木の下は、2人の思い出の場所なのだろうか…?

もっと詳しく過去世を知りたくなった私は、CDが付属している退行催眠の本を購入する。
最初に話した、元夫との過去世が視えたCDだ。
この頃、私の頭の中は戦時中になっていたため、一旦切り替えるために、最初は敢えて元夫との過去世を選んでトライしてみた。
でないと、勝手に私が脳内で戦時中の物語を創り出してしまいそうだと思ったのだ。
少し誘導催眠に慣れてきたところで、彼との過去世にチャレンジする。
このときは、戦時中の過去世に限定せず、何か他のものが視えるかもしれないという期待もあった。

白の上履きのようなズック(?)を履いて、膝丈くらいの紺のスカートが見える。
白の開襟シャツを着た、おさげの女の子だ。
16か17歳くらい。弟が2人くらいいそう。
土の道に木の塀が続いていて、夕焼けが見える。
弟たちをとてもかわいがっていて、彼らが待っているから早く帰らなきゃと思っている。
もしかしたら年齢が離れているのかもしれない。
帰らなきゃと思いつつも、誰かに会いに行ったようだ。
いつもの『あの土手』が見えた。
『あの桜の木』の下で『あの男の子』と座り込んで、夕焼けを見ながら話している。
次に、幸せだったシーン。
以前に見えた結婚したときの映像が一瞬浮かんだが、すぐに夕食のシーンになる。
結婚後の夫婦二人での夕食だ。夕飯のメニューまで見える。(笑)
何気ないひと時でもすごく幸せで嬉しく感じている。
死のシーン。
少しボロボロになっている赤っぽい布団に寝ている自分がいた。
天井から、寝ている自分を見ているような視点だ。28歳。
寝ている横に、割烹着を着たおばさん?おばあさん?がいる。
この人が誰だかはわからない。
最期にそばにいてくれたことに感謝し、嬉しく感じている。
同時に、旦那様に会いたいと強く思い、涙が出てきた。
この人生で学んだことは、子供たちにすごく癒されたということ。
この子供たちとは、生徒たちのようだ。
そして、今度生まれてくるときは、戦争のない平和な世の中で、また彼(当時の旦那様)に会いたいと願っている。

退行催眠では、このくらいしかわからなかった。
これも私の妄想なのかもしれない。
過去世のベースとなるものは、すでに自分の中にあるわけだから、そこを軸に、後付けで創り出したものかもしれない。
それでも、何らかの強い思いがあって、今世、また出逢う人がいるのだということは、実際にあるのだと思う。
そして、その強い思いとは、何か大きな使命のようなことでもなく、ただ「もう一度会いたい」とか「今度こそは一緒に」という、意外とシンプルなものなのかもしれない。

過去世体験がもたらすもの

四半世紀以上も前の話だが、私には「彼とずっと一緒にいたい」という思いはあるものの、それは『結婚』とは結び付かなかった。
20代の私は「誰かと結婚して家庭を持ち、子供を何人か産んで母になり、死ぬまで家族を愛する」というモデルケースを、当然のように自分も生きていくと思っていたのに。
そして、まさに全身全霊で彼を想っていたのに。
それなのに、なぜか「この人と結婚したら絶対別れる」「絶対泣かされる!」「絶対捨てられる!」と自信たっぷりに思っていたのだ。
別に遊び人とか浮気性とか、そんなひどい人ではないのに、自分でもどうしてそんなふうに思うのか不思議だった。
それが、この過去世を知ることで納得できたのだ。そういうことか、と。
それ以来、その原因不明の思い込みはなくなった。

このように、足を引っ張っているような何らかの傷や間違った思い込みは、今世の体験だけに由来しているとは限らないのだろう。
それは、生まれてくるときに持ってきた過去の一部の記憶から来るものもあるのではないかと思うのだ。
そして、自分でも気付いていない何かを手放すために、『過去世』というものに導かれていくのではないかと。
それが本当に過去世なのか、アカシックレコードにアクセスして得た誰かの情報なのか、妄想なのか、この際そんなことは関係ないのかもしれない。
大事なのは、今後の自分の人生がより良い方へと向かうことなのだ。
『それによって自分がどう変わったか』ということだ。

私のこの体験が、誰かを勇気づけるような何らかの参考となってくれたら嬉しい。


最後までお読み頂きありがとうございました。




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