“ぼくたち”の範囲を広げる感覚が身体知として理解でない
今日はネットショップで購入してもらった「ひな人形」を発送した。
お届け先は京都府。
分かるのは名前と住んでいる場所だけ。
どんな人なのかは分からない。
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最近読んだ本の中で『“ぼくたち”の範囲を広げる』という表現がでてきた。
頭では言っている内容を理解できる。
だが、身体知としてイマイチ理解できない自分がいる。
今回のひな人形でいえば、
作ってあげたという感覚はなくて、購入してもらった感覚だ。
お客さんが“ぼくたち”の内側にはいない。
お金の奴隷になっている人ほど“ぼくたち”の範囲はせまいらしい…
おそらく僕の範囲はせまい。家族くらいしか内側にいない。
範囲がせまいのは自分が社会の一員だと感じることが少ないからだろう。
自分のやっていることが、社会の誰かの為になっていると感じることがない。
意識を変えれば範囲が広がる感覚を味わえるのだろうか…
お金の奴隷にはなりたくない…
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