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柳をめぐるタイムトラベル

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中野市の杞柳産業に関わっていた方と、そのご家族の方にインタビューをしています。
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記事一覧

柳をめぐるタイムトラベル#6〈杞柳の歴史は水害の歴史 その3 ー水害常襲地の今昔ー〉

柳をめぐるタイムトラベル#5〈杞柳の歴史は水害の歴史 その2 ー杞柳からエノキタケへー〉に続…

柳をめぐるタイムトラベル#5〈杞柳の歴史は水害の歴史 その2 ー杞柳からエノキタケへ…

〈杞柳の歴史は水害の歴史 その1 ー郷道政之丞さんが遺したものー〉に続いて、郷道さんの子ど…

柳をめぐるタイムトラベル#4〈杞柳の歴史は水害の歴史 その1 ー中野市新保の郷道政之…

柳をめぐるタイムトラベルのシリーズ#4〜6は、中野市新保の郷道哲章さんにお話をお聞きしまし…

柳をめぐるタイムトラベル#3ー「編む」愉しみ。記憶と指先を通してー

2024年2月8日、中野市人権センターの事業推進にて開催された『籐のフルーツかごづくり講座』に…

柳のまちのタイムトラベル#2〜りんご、杞柳、エノキタケ〜

中野市で手編みの靴下や手紡ぎ糸などを制作している吉家公代さん。次女の杏子さんのご紹介で、…

柳をめぐるタイムトラベル#1ー徳竹行李店の思い出ー

はじめに 本企画「柳をめぐるタイムトラベル」は、中野市の杞柳産業(註1)に関わっていた方…

柳をめぐるタイムトラベルー長野県中野市、杞柳産業のその後ー

序 中野市の杞柳産業とは 江戸期から20世紀半ばまで、日本人の暮らしに寄り添い、広く使われていた日用品があった。土から育てた柳を加工し、素朴な道具と人の手で編み上げたかごである(1)。 私が暮らす長野県中野市には、40年ほど前まで杞柳(以下柳)を栽培・加工する人や、柳を用いて行李やかごなどを制作する人がいた。柳の栽培は明治期に導入され、信濃川に隣接する延徳地区の水害地対策として、加工は農家の冬仕事として普及し、一産業として地域経済を潤わせた。しかし、昭和40年代(1965