「押印についてのQ&A」について(専門家?的視点で)

「押印についてのQ&A」という内閣府、法務省、経済産業省の連名で「押印は不要」という内容の文書です。これは、専門家にとっては今まで当然のこととされてきたものをあえて説明したものです。それを専門家的?少々斜めから見てみたいと思います。

まず、この文章の名義人は内閣府、法務省、経済産業省と三つの機関がかかわっているので、どこかにこの名義人の色が出ているので、まずどこをどの機関がメインで書いているのか読み解いてみたいと思います。
まず、この文書でどこがどの機関が言いそうなことかと考えて整理します。問1については、おそらく内閣府か経済産業省だと思います。「契約書に押印をしなくても、法律違反にならないか。」という問いを立てている時点で、法務省ではないと考えます。法務省が書いていれば、「契約書に押印しない場合の法的な効果は?」という問い立てになると思います。契約書はそもそも当事者間の話しという区分が大前提なのでなので法律違反云々という問いの立て方はしないだろうと想像するのです。よって、法務省以外と考えます。
問2から、問4までは押印のある文書の民事訴訟での証明力を詳細に解説したものなので、明らかに法務省といえます。(正直、専門家的目線からすると、分かっていることではあるので、ふんふんと読み流しますが、この文章を専門家あてに書いているはずはないから、これでわかるのかな?という感があります。)問3の最後はおそらく「テレワーク推進」とあるのでおそらく内閣府ではないかと思います。
問5は、最後の一文は少なくとも経済産業省だと思います。理由は、もちろん3Dプリンターという技術的なワードが出てくるからです。仮に法務省であれば、3Dプリンターでなくとも、印影の複製は可能であることは暗黙知と思われるので、書き方は「印影を複製することは可能であるとの指摘もある」と具体的な方法を特定せずに書くか、それとも蛇足の話なので書かない(法人の実印を管轄しているので、何も書かない方が確率は大きいと思います。)
問6はPDF、メールといろいろデジタルの記載があるので、経済産業省だと思います。
ということで、これから専門家的な視点で勝手に書いてみました。

問1については、説明を求められたら、同じ答えは返しますが、「契約書に押印をしなくても法律違反にならないか?」が厄介な問いの立て方になっています。ここで、「契約書に当事者の押印は必須ではない」といいたいのですが、契約書に押印をしないと法律違反になってしまう契約書があります。(契約書とは直接書いてありませんが)不動産業者(宅建業者)が不動産の取引に使う契約書には宅建士をして記名押印をしないと法律違反になります。(宅建業法第37条)その意味では、「契約書に押印をしなくても法律違反にならないか?」という問いの立て方が少々不思議な感じがします。

問2は、唐突にこれを言われても、という感じがします。専門家的には、押印のある文書について民事訴訟法にしか定めがないということは常識で、コメントするところはないのですが、契約書だけでなく、広い意味で押印を言えば、自筆証書遺言については押印が必要になったり、処方箋などの書面についても押印が必要です。
ちなみに、後半のところで、「民訴法第228条第4項は、、、何も規定していない」とあるのですが、ここで、証明したい事実との関係とか、内容の真実性はまでは何も言っていないということだといっていますが、そもそも、文書が成立したことを推定しても、証拠になるかどうかはわからない、という意味では自由心証主義の話を出してもいいのかと思います。
最後に、「ならば文書が出てきたら成立を争えば、OKということ?」と勘違いすることを防ぐために、過料の制裁がある。と釘を刺しています。

問3では、問2を逆の面から言っているのですが、「文書の真正な成立は、相手方がこれを争わない場合には、基本的に問題とならない」ということを理解するには、民事訴訟で当事者が問題にしなければ裁判所とししては相手にしませんよというのが大前提です。専門家では常識レベルです。ちなみにこの最後の段落では、テレワーク推進の文脈で書かれているので、ここは内閣府が入っていると考えます。ここは単純に証明方法の問題だから、印がなくてもいいのでは?という話ですが、実務上は印鑑がないと、そちらで勝手に作ったのでは?案では?と言い抜けられかねません。本当は、何かアクションをした、だから、意思ははっきりしているといえることが必要であって、ツールは紙に印鑑でなくてもいいのでは?ということです。

問4は、「印鑑が押してさえさればそれでいいのか?」について説明しています。印鑑が押してあれば、その印鑑の形が本人のものと一緒なら、登録した印鑑は、登録されている人が管理しているので、その登録されている人が押した(もしくはその指示で押した)だろうということが推定されるということです。これを二段の推定、一段目には本人の印鑑、二段目は印鑑を管理しているのが本人ということから本人以外が押すことはないだろうという推定です。しかし、印鑑は、物体なので持ち出せば本人以外のだれでも押せるし、本人であっても内容が分からずに押すことすらあります。(他の書面と間違えて押すことすらもあり得ます。)今までもお話しているのですが、書面に真実の意思が示されているから書面が正しいという効果を認めるのであって、どこまで行ってもその人の意思がどうなのか?というところが問題なのです。それに契約の成立には何か方式が必要なのではなく、目くばせでもテレパシーでも意思の合致があれば成立するので、逆をいうと印があるからといって、それだけで契約が成立したと認められることはないということです。
「なお、、、」以下の話は、仮に印があっても、何を証明するかによるので、異なるので、印があるから契約したという証明が楽になったとしても、証明の対象によっては印があっても意味がない場合があるということです。例えば、この印は勝手に使われていることを証明するために同じ形の印を使っている書面を出してくれば、かえって印鑑があるから怪しいということになってしまいます。署名ばかりする人であれば、ここだけ印が押してあるのはおかしい、ということになってきます。また、この印が押してあるものに限ってなぜか内容が偽造されているという場合に至っては、印が押してある方が信用できないということになります。
この「なお」以下の部分は、実は、今まで、実印があれば、もうそれで認めてしまっていた、通してしまっていた、逆に実印が押してあっても、真実の意思が反映されていないかもしれないという疑いを排除してきたという法律実務が問題だったのでは?と言いたげではないかとも邪推してしまいます。もっとも、実務上はそうでもしないと回らないという現状はありますが、やはりその扱いが逆に運用の硬直化を生んでしまったのではないかと思うところです。

問5は「認印ではどうなのか?」というお話です。今までの回答でも、登録されている印が書面に押されていることによって、純粋かつ直接な法律上の特別な効果はないことが示されています。ここでは、その一方で、登録されていない印鑑だと本当にその人が管理している印鑑かはわかりにくいということになるということを言っています。逆に認印では証明が不便という程度の意味合いということを言っています。
もし、ある印が非常に特殊な形であれば、かえって実印よりも管理が徹底できていることになり、本人が押したことをより強く推定することができるのです。実印でもその他の認印が押してあっても文書が真実の意思のもとに作られたものかの証明のプロセスは、本人の印鑑と推定されるのであれば本人が押しただろう、だから本人の意思で文書を作ったのだろうという点では同じです。そう考えると、その「本人の印鑑」であるという証明は信用度が大きいか小さいかはさておき、自分が宣言してこれですと言っても、他人が証明してもよいわけです。その意味では、実印でなくても、第三者がこれはこの人の印鑑だと証言できてそれをほかの人に信用してもらえれさえすればよいのです。このように、第三者がその印鑑が正しいと証言する方式をとって合意の正しさを確保しているのが、最近の電子契約の一部のツールになります。その証言する第三者が嘘をつくというメリットやモチベーションがなければ、その第三者が嘘をつく理由がありませんので第三者の証言で立派に証明できるわけです。
もっとも実印でなくとも本人の印鑑を証明する方法は実務的にはあると思います。例えば公証役場で「公証人の前で「これが私の印鑑です」と言いました」と公正証書を作ってそれを印鑑とセットで示しても実印の代わりにはなり得ます。(ただ、この方法は裁判上認められるかは未知数ですが、サインであれば実際にサイン証明という形で利用されています。)また、ものすごく特殊な図柄でかつ一回一回印影がが変わる印鑑に認証装置と蓋をつけておいて本人以外は絶対に蓋が外せない、すなわち印が押せない印ができたら、その印が押してあるなら本人が押したことの強力な証明になるでしょう。
このような認印を証明する手段は考えつくのですが、この問5では、技術が発達してだれでも同じ印がつくれるようになるんだし、そんな意味のない印は不要ではないかと締めくくっています。
そもそも印が必要かという点では私も同意見ですが、回答の仕方が少々もやっとする人がいるのではないかと思ってしまいますので、おそらく、「なお・・・」以下の記述を見るととにかく「印は不要」という結論にしたいのかなと感じるところです。
認印の話だけではなく、文書が真実に意思を表したもので内容が正しいといえるためには印だけでは不十分ということも逆に言っているのではないかと思います。

問6では、文書が真実に意思を表したもので内容が正しいことを証明する方法は何があるかについて回答しています。そもそも文書でないと契約が成立するものではありませんし、合意が法律上の契約成立の条件なので文書が合意を必ずしもそのまま示すものでもありません。それであれば、方法はともかく合意の形が示せていればよい、ということになるわけです。ここの例はオーソドックスですが、例えば合意の場面を録画しておくことでもよいですし、だれか証人を立てるということでもよいかと思います。もともと、私個人としては、メールでも両者にデータが残るので、どちらかが改ざんしたら、少なくとも改ざんしたことが分かるのでそれで良いのでは?(証明するとしてもいつはそんなに労力は変わらないので)と、言い続けていたので、正直目新しいところはありませんでした。おそらく、今までは、紙などの文書に登録した印を押して保存しておくという方法が一番手軽で確実だったので、その方法がスタンダードになり、特に専門家はお手軽なのでその方法にこだわってしまっていたというのが実情だと考えています。基本から考えて方法を時代に応じて変化させていき、その変化を啓発していって社会をリードしていくのが真の専門家ではないかと思うところです。

この押印に関するQ&Aの内容は、専門家にとって当然の事柄を説明しているので、一般の人向けなのかと思うと、文章が一見普通の人にはわかりにくい部分がある、すなわち、少し専門的に書かれているということから、この文章の宛先が一般の人なのか、専門家なのかすごくぼやけているなという印象でした。ただ、よくよく考えてみると、単純にお役所として出す文章は正確な表現するという指向性で作られただけではなく、もしかしたら、今まで「実印と印鑑証明」があれば、それで問題なしと通してきて、かえってそれにこだわってしまっていた専門家や実務への警鐘ととらえることもできるのではないかと思うところです。改めて、専門家は時代に応じて変化していく必要があると思うところです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?