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泣いて 泣いて 泣きやんだら

ネット上で近年「お焚き上げ」という
言葉が散見されるようになった。
「お焚き上げ」とは文字通り
神社や寺などで、故人の遺品や
捨てるには忍びない物品を
感謝の気持ちを込めて焼却する
儀式である。



ただし、ネット上で
扱われる「お焚き上げ」というものは
過去の出来事を綴った文章や、
日の目を見なかった作品などを
投稿し、「供養」するという様な
意味合いを持つという解釈のようだ。



わたしもこうして、
過去の話を書き綴っている点では
「お焚き上げ」相応の
儀式を行っているに他ならない。
が、あえて宣言してここでひとつの
「お焚き上げ」をしたい。



あれほど好きだった
初代愛車ジムニーを、
何故手放すことになったのか。



前述の通り、
複雑な家庭で育ったわたしは
普通の家で育った人に
強く憧れを抱いていた。
あくまで一個人として考える
普通の家というのは
両親が仲良く、子供に過度の
暴力を振るわず、幼少期から
周りの大人に気を遣うことなく
のびのびと育つ環境の意である。



とはいえ、この件以降に
出会った方々の中には
更に想像を絶するような
環境に身を置きながら、
穏やかに過ごされている方もいた。
そういった方々と出会う度に
自身の器の小ささを
何度も実感させられたが、
それは何年も経ってからの話である。



当時はよく、負の感情に
振り回されていた。



「普通の家で育った人と過ごせば、
きっと自分も、普通の家で
育った人みたいに、
穏やかになれるんじゃないか」
あまりに稚拙な考えで
慚愧に耐えないが、
当時の心情はそんなところであった。



そんな邪な気持ちで
人と付き合おうと思ったのが
間違いであった。「普通の家で育った人」
と付き合ったものの、問題が発生する。
楽しく過ごしているはずが
ふと、自分はこんなに幸せな気持ちに
なっていいものなのだろうか、と
疑心暗鬼になった。
「普通の家で育った人」は
わたしなんかより
「普通の家で育った人」と
過ごす方が幸せなのではないか、と
一人で思い悩んだ。



今こうして自己を客観視し
ある程度文章化しているが、
上手く言い表す言葉も
持ち併せていなかったわたしは
当時の相手が傷つくようなことを
沢山言い、沢山した。
嫌いになってもらうほうが楽だった。



仕事を替え、行方をくらまし、
一時はホテルで過ごすこともあった。
そんな時、あの青いジムニーは
在住市内及び近郊地域では目立ちすぎた。



「○○にいるんだろ?」
連絡が入るが無視を決め込んだ。
恐らく、相手としては
心配してのことだったかもしれないが
わたしはとにかく、離れることに
必死であった。



もう、愛車を手放すしかない。



そう決め、何度も泣いたのは
クルマに対してか。自分に対してか。
相手に対する罪悪感故か。



多くの方に迷惑をかけたことを、
当時の周囲の関係者に謝罪したい。



ただし、本作のタイトルを
高橋真梨子氏の「ごめんね…」に
しなかったのは
そこまでの思…
おや、誰か来たようだ。



クルマにまつわる話には、
願わくば楽しい思い出や
嬉しい思い出がセットであって欲しい。
しかし、残念ながら
負の感情を掻き立てられる出来事も
付帯してくることがあり
山あり谷あり、を実感する。
人生のトランスミッションは
オートマチック、というわけにはいかない。
時には2速、3速…トップギア。
バックに入れることもあるだろう。



もしかしたら順風満帆でも
つまらないかもしれない、なんて
ささやかな強がりを携えて
今日もわたしはクルマのエンジンをかける。

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