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君の青いジムニーで京都へ行こう

※画像は免許とりたてのわたしと妹です

「そうだ、京都行こう」。 
JR東海が1993年に
キャッチフレーズとして用い 、
世間一般に周知して久しいが 
わたしが運転免許を取得した翌年の秋、 
同様のフレーズを友人に言われた。 


当時からワーカホリック気質で 
なかなか連休のなかった私達は 
ゆっくりカフェで夕刻の時間を過ごしていた。 

「そうだ、京都行こう。」

「あー、いいね、いこいこ。で、いついく?」

「今から。よくない?」 

某予備校教師顔負けである。 
だがしかし、 
フットワークの軽さもその頃からである。 

「じゃ、いこか。」 

最低限の荷物を持って乗り込むは、 
ジムニーJB23W・5MT、 
当時のわたしの愛車である。 
中古で買ったその愛車は 
スカスカ、という形容詞しか似合わないくらい 
軽いクラッチで 
代々の持ち主の〝手垢〟がついた 
やや癖のあるミッションだった。 


ギリギリ10代。
なんせ時間はあるが金のない2人、 
ジムニーはそれを象徴するかのように 
カーナビも、ETCもなく 
CDと、今では過去の産物になってしまった
「MD」を再生する 
青色電飾のデッキだけがついていた。 


京都行きを提案してきたのは友人だが、
彼女は「AT限定免許」である。 
必然的に全行程の運転はわたしになるが、 
北陸三県以外に 
愛車で行くことが初めてだったこともあり、 
不安よりも興奮のほうが上回っていた。 
これを人は〝若気の至り〟と言うのだろう。 


繰り返し申し上げるが、 
時間はあっても金がない。 
下道の王道ルート、 
8号線をひたすら進むことにした。 
石川県サイドの8号線は
当然走り慣れていたが、
夜になるにつれ、天気が崩れ 
段々と道が蛇行するようになってきた。 
車内BGMは当初、 
1990年代J-POPをかけていたが 
友人がうとうとしだしてから 
そっとユーロビートの 
オムニバスアルバムに切り替えた。 


SPEEDY SPEED BOYで 
気分は完全に頭文字Dのソレである。 
ウェットコンディションの路面に 
中古のタイヤそのままで 
やや滑っているのを感じながら、
2速と3速、4速を切り替える。 
2速で引っ張りがちなわたしの運転に、
660ccターボの可愛らしいエンジンが 
およそ似つかわしくない音を立てる。 
悪路走破生をウリにしている 
ジムニーご本人としても、 
こんな扱われ方は 
想像していなかったのではないだろうか。 


1号線との合流地が分からなくて 
夜な夜なガソスタで店員さんを探したり、
友人が途中のコンビニで酒を買って 
1人酒盛りしだしたり、
工場夜景を見つけて友人を放置して 
クルマを降りたりと
ツッコミしかない旅路ではあったが、 
深夜に京都の看板にありついた時は
達成感に溢れていた。 


再三申し上げるが、 
時間はあっても金がない。 
なんとか駅周辺まで辿り着き、 
ネットカフェで一夜を過ごした。 


翌日は幸いなことに天気は晴天、 
聞きかじった知識で 
嵐山がいいらしい、なんて言って 
歩いている通行人を呼び止め 
道を聞きながら嵐山へ向かった。 
混雑した道で不慣れな県外ナンバー車、 
もちろんクラクションを鳴らされたりはしたが 
〝若気の至り〟は無敵である。 


食べたもの、行った店、 
景色を眺めたポジションは 
一切記憶にない。 
ただ、2人でひたすら
爆笑していたのは覚えている。 


ひとしきり京都を周り、帰路に着く頃
流石に疲れた私達は 
どちらともなく、言った。 


「帰りは、高速で帰ろ…」

忘れられない京都旅行となった。 


中学校時代の同級生であり 
気の置けない間柄の彼女は 
わたし同様、若くして母親になり 
お互いあと数年で子どもが成人する。 
時々、一緒にお茶を飲みながらこう言う。 


「また2人で京都行きたいなぁ」

「今度はリッチにいこうよ」

今ならカーナビも、ETCもついて 
排気量が倍以上あるクルマで行ける。 


だが、あの頃の〝若気の至り〟で得た 
ツインターボの高回転域を 
超えることはないだろう。

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