雑記2024.1.29.

珍しく、書く気力がなかった。



12月半ばから、怒涛だった。
上司が急逝したり
保護猫を家族に迎えたり
息子が人生初の受験を迎えたり。
1月1日には仕事中に能登半島地震にて
人生初の断水を経験した。
いち、個人としては
震源地に近い方々が受けた被害とは
比較にならないくらい
小さい環境の変化であったが、
地震そのもの、よりも
地震によりもたらされた
諸々の問題に頭を抱えた。
被災地の方々に少しでも早く、
穏やかな日々が戻るようにと
心から願っている。



普段、noteは
記憶を辿りながら、
1ヶ月の間に言葉の端切れを
縫い合わせながら書くような形で、
制作していたが
───時には言葉が多く浮かんだ時に
まとめてしまうこともあるが───




先月末から、今月は
悲しくなるくらい
言葉が出てこなかった。
文章を書く仕事でも、
なんだか思考がクリアではない、
少し霧がかった脳みそに
必死にフォグランプをつけて
言葉を辿っていたような感覚であった。



自家用車で職場へ向かう時や、
仕事の移動中のクルマの中で
わたしはよく自分のプレイリストの
音楽をかける。
また、自宅で作業をする時も
必ずと言っていいほど
音楽をかけている。
音楽が響く、その空間が
なんだか自分の身体の
一部のように感じて
それが心地良かった。
音楽の鳴り響く空気を、
呼吸にて取り入れる時
「ふう」と、落ち着いた。
ちょうど、イメージとしては
新世紀エヴァンゲリオンの
エヴァにパイロットが
搭乗した際に
エントリープラグの中に満たされる
L.C.L、のような。



しかし、自分自身が忙しい時や
周囲の流れに
ついていけなくなった時は、
「自分の世界」に入るのが
怖くなってしまうことがある。
プレイリストは、あくまでも
自分の好みが詰まっているものであり
どうしても趣向が偏る傾向にある。
ニュートラルな状態ではない時に
延々と聞いていると、
そのまま引きずられて
帰ってこられなくなりそうで。



上記の時期も、そのような感覚に
陥ることがあり
そんな時はラジオをかけた。



ラジオが不思議なのは、
リクエストによる楽曲などが
流れることもあるが、
人と人との会話が流れることによって
外部の空気を取り入れているような
感覚に陥っていく。
私一個人の感覚かもしれないが。
朝だろうが、昼だろうが
夜だろうが、
時と場所を考えず
あえて人を召喚しなくても
場の空気を換気できるのは、
ラジオの佳処である。



午前中の訪問に向かいながら聞く
松任谷由実のYuming Chord、
仕事を終えて
ほどほどの疲労感に包まれて聞く
ユキ・ラインハートのA・O・R、
大抵夜中の作業が乗っている時に聞く
福山雅治のジェットストリーム、
午後の訪問の帰りに聞く
川上洋平のおと、をかし、
たまにくる日曜休みの昼下がりに聞く
山下達郎のサンデーソングブック...etc.



…書いていて思った。



結局、ラジオも大概自分の好みである。


ぬくもりのガラスケースにいられない
Radioのボリュームを ちょっとあげて
ゆううつなシュールdays こえるわ

JUDY AND MARY「RADIO」



ああ、今夜は、ジェットストリームだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?