島日和<ひょうたん島後記>

       3-2024   池田良


窓辺いっぱいに、様々なプリズムが吊り下げられて、キラキラ輝いている。
部屋の中は虹の洪水。木漏れ日のように揺れて降り注ぐ、虹のシャワー。

「素晴らしいでしょ、しかもデジタルアートじゃない。だから光の音が聞こえますよ」
そう言って、くるりさんは笑った。
僕には光の音は聞こえないけれど。でも、その、虹の輝きのゆらめきが、音楽のようにリズムを刻んでいる。
僕も部屋の天井に好きなものを色々吊り下げているが、こんなに力強い雰囲気を作り上げてはいない。
「素敵ですねえ。どうして思い付いたの?こんなデコレーションを」
「それはね、思い出したの。子供の頃に読んだ物語にそんなお話が出てきたなあって。あれは何の物語だったかしら」

暖かい春の風が部屋の中に吹き込んできて、プリズムをカラカラと揺らしていく。
春一番はもうとっくにどこかへ駆け抜けて行ってしまったけれど、今日のこの風も、花の匂いをたっぷり吸い込んだ、南からの薫風だ。部屋中に、虹色の光シャワーをまき散らして。
「プリズムは光を分散させて見せてくれるけれど、空気を分解して、色々な要素を目に見えるようにしてくれるものって、どこかにないかしら」
虹シャワーに体中を濡らしながら、うっとり僕がそんなことをつぶやくと、くるりさんはクククと笑って、目をほそめ、斜めに僕を見ながら秘密めいた声をひそめる。
「ないこともないですよ。あんまりいつでも自由に行ける所でもないけど。・・・ほら、電力中央研究所の奥に閉鎖された原子力施設があるでしょ。あの地下に大気中の宇宙線やニュートリノなんかを捕獲する巨大水槽があるんですって。まわりの壁面全部に球体の鏡がはめ込まれていて、それはそれは美しい所らしいですよ。今度行ってみます?」
「ああそれは是非行ってみたいけれど、誰でも簡単に入れる所なのかしら」
「大丈夫ですよ。個人のものではないから。つまり、という事は、皆のものなんだから。皆が中を見学できるはずでしょ?」

そしてある日、僕とくるりさんは、小さなバックの中に、おやつのカヌレとお茶のポットを持って、電力中央研究所へ出かけて行った。
もちろん、正面からではなくて、横の裏木戸から。
「この入り口はいつでも開いているんですよ。皆がこっそり利用できるように。だってここは、個人のものではないんだから」
くるりさんはいつもの長いスカートをひらひらさせて、楽しそうにスキップ歩き。

わざと手入れのされていない、原生林のように美しい雑木林の奥に、廃墟のような原子力関連施設がひっそりと佇んでいる。
その横手の壁に、奇妙に真新しい小さなアルミ製の扉が光っていて、くるりさんはどこから情報を仕入れたのか、何でも知っているふうで、その取っ手をカチカチ回して扉を開け、中に入ると、突き当りのエレベーターに、僕の手を取って乗り込んだ。
「さあ、ここから、千メートル下へ降りていくんですよ。でもね、あっという間です。このエレベーターは、世界最速の小部屋って言われているんです」
乗り込んでしまえばその速さは分からない。けれど、確かに、僕は途中でぐらりとめまいがして、ちょっと気分が悪くなった。しかしそれに気が付いた時には、もうエレベーターは到着していたのだ。
そして、降り立ったその先にあった三つ目の扉は、大きくて重々しい、重厚な造りのものだった。
力持ちのくるりさんは最大限の力を込めて、その扉を押し開く。

一歩その中に入ったとたん、光がシャワーのように降りそそいだ。
そこは巨人の国の熱帯雨林のような、巨大な華やかさ。
大きくて優美な花が満を持したように艶やかに花開き、色とりどりの美しい鳥が飛び立ち、まぶしく煌めく水が川のように空中を流れていく。
まるで閉じ込められていた箱が今開いて、すべてのものが一斉に喜々として世界へ旅立っていくように。
そして、その中央に、満々と水をたたえた巨大な水槽があった。
目には見えないほどにも透明な水が、壁面にびっしり埋め込まれた球体の鏡に反射して、かすかにきらめいている。

それから僕たちは、そこに浮かべられた小さなボートに乗って、ほの明るい水槽湖をゆったりと周遊した。
水槽湖の下を覗き込むと、底なしの暗さ。
そこには、満天の星が輝く果てのない宇宙が広がっていた。
そして、ふと見上げた頭上にも、地下空間の天井ではなく、どこまでも深い、宇宙空間が広がり、恐いほどにぎっしりと、無数の星が瞬いていた。