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アドラー心理学から学ぶ〜子育てと娘との関係〜

アドラー心理学で有名な著書と言ったら『嫌われる勇気』ですよね。
私も10年以上前ですかね、ニューヨークで暮らしている時に英語に疲れて、日本語の本を読んでみたくなり、つい購入してしまったのが『嫌われる勇気』です。当時、すごく流行っていましたしね…。

そして、このアドラー心理学が一過性の流行りではなく、今現在も多くの人に影響を与えていると思うのです。実際にYoutubeやSNSを見ていても、アドラー心理学の解説や『嫌われる勇気』の書評はよくみかけます。

私も改めて『嫌われる勇気』を復習して、感じたことを、主に子供との関係目線で書いてみようと思います。

「馬を水辺に連れていく」ところまでの努力はするでしょう。しかし、そこまで水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。

この言葉と似た考えをもともと持っていました。しかし、子供ができてからはより一層、この言葉を思い返します。
子供はかなりきまぐれですし、私の娘2人も例外ではないです。
今でも、晩ごはんを作っても食べてくれない、習い事のプールに行っても、駄々をこねて、プールに入ってくれないことがあります。
でも、この言葉がいつも私の心にあります。
娘に料理を作って、テーブルに並べるところまでは、私は努力します。ただし、娘がその料理を食べるか、食べないか、残すか、残さないかは、娘の課題だと思うんです。
もちろん、「残さないように食べなー」とか「食べないと大きくなれないよー」みたいな声がけはしますが、必要以上に言わないようにしています。
やっぱり、目の前にある料理をどうするか?は娘の課題であり、娘の意思だと思うんです。

もちろん、料理を残す、出された料理を食べないのは、行儀が悪いなどの別目線の問題もありますが、最低限の礼儀だけあれば、大人になって困ることもないでしょうし、徐々に行儀や礼儀は学んでいくと思うんです。

だからこそ、やっぱりこの言葉にある「水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。」が自分の娘にも言えることなのかなと考えています。

「他者の課題を切り捨てよ」

もちろん娘の課題を完全に切り捨てることはできません。
ただし、私の場合、人の気持ちを敏感に感じ取ってしまうクセがあります。(だからこそ社交不安なのかもしれませんが…)
つい先日も上の娘がインフルエンザになりましたし、下の娘の皮膚炎に悩まされました。
こんな時につい、娘の気持ちを考えすぎて、自分まで余計に辛くなってしまうことがあります。
親であれば当たり前の心境なのかもしれませんが…あまり考えすぎてもよくありませんよね。

その時にこの言葉「他者の課題を切り捨てよ」をよく思い出します。
まぁ、私の場合、ちょっとした感動する映画で号泣しちゃうくらい、感情移入しちゃいすぎなのが問題なのですが…。
娘の問題は、娘の課題。自分の問題は、自分の課題と、良い意味で分ける必要があるんですね。

少し前に、車に乗っているときに、ラジオの質問コーナーでこんな質問があったのを覚えています。

質問者:自分の娘が、明らかにダメな男と結婚しようとしている。もし結婚しても失敗すると思うんだが、どうやったら、結婚を断念してもらえるか?

みたいな相談だったと思います。そして、その質問に答えた回答者の答えが以下。

回答者:娘さんにも失敗する権利がある。失敗して学ぶこともあるだろうし、明らかに失敗するとわかっていても、娘さんの失敗する権利まで奪わないで。

というもの。この回答には、結構心に刺さるものがありましたね。

自分もそうですが、世の中の親は、子供が失敗しないように、習い事や塾に通わせたり、注意したり、声がけしたりますが、失敗する権利があるというのは、確かにと思い直したことを覚えています。

「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるのか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。

子供を育てていると、「子供へは無償の愛を捧げられる」という言葉が本当によくわかるし、実感できます。
何をやっていても我が子は可愛いですし、常に気になります。
多くの親御さんは、同じ気持ちなんでしょうね。

私の仕事仲間の男性は、自身の子供ができるまでは、子供が嫌いだったという人も、我が子にはデレデレのようです。
そんなものなんですよね。

ただ、子供の遊びにいつまでも付き合っていられないのが、大人というもの。
公園に遊びに連れて行っても、ごっこ遊びに付き合っても、ずっと一緒に遊び続けることは至難の業です。

この言葉にあるように、子供から「なにかを与えてくれるか?」はまったく期待もしていないですし、子供の存在だけで毎日癒やされているようなものです。

また子供に「なにを与えられるのか?」という問いには、一番は、一緒に遊んであげること、一緒に居てあげることなんだと思うんです。これがホントに難しい。できる限り一緒に遊んであげたいし、一緒に居てあげたいんですが、子供の遊びは無限で、いつまでも付き合いきれないというのが本音。

個人的には、親がしんどくならない程度に、一緒に遊べる範囲で遊ぶ。
ただし、仕事や家事もあるし、子供をお風呂に入れたり、寝かせたりと次のステップに進んでもらわないといけないので、余裕がないときは、我が家ではYoutube Kidsを観せて、娘二人がじっとしている環境を作るようにしています。
もちろん、ずっと見せっぱなしはよくないのは重々承知。

その間に、家事をしたり、次の支度をしたりするのが、我が家のルーティンになっているのです。

子供に何を与えられるか?はホントに難しいですし、自分も与えられるているかは手探り状態ですが、手探りでも、常に意識することが大切なんじゃないかなと思うんです。

以上です。

アドラー心理学はホントに奥深いですし、生きていく上でも子育てをしていく上でも参考にしたい考えが多いので、自分も改めて読み返そうかなと思っています。
まだ読んでいない方は、ぜひ一度読んでみてはどうでしょうか…。