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ガラパゴス化

最近、チャールズ・ダーウィンが訪れ、名著「種の起源」の題材となったガラパゴス諸島について記載された、書物・記事をたて続けに目にしました。大陸から離れていたために、生物が独自の進化を遂げたガラパゴス諸島を私たちがより身近に感じられるようになったのは、「ガラケー」に代表されるような、ビジネス用語「ガラパゴス化」という流行語によることは間違いありません。
 この「ガラパゴス化」という言葉ですが、元々いい意味では定義されていませんでした。ある制約、長年培われた風習の下、日本国内もしくはある地域に対して、どんどん最適化(という名の特殊化)されたために、それらの地域を超えて広がることがなく、やがて外からやってきた何者かに駆逐されてしまうという、負け組の代名詞とでも表現すればよいでしょうか。さらには、昨今は特殊に進化したという意味ではなく、世の中の進化に取り残されたという本来とは違った意味あいとして(というか最近はそういう解釈に変わってきてしまっている?)使っている人も、著名人含めて多く見受けられます。

しかし、実際のガラパゴス諸島に住んでいる生物は、外来種の襲撃を受けにくいという利点があったにせよ、独自の進化を遂げてガラパゴス諸島で暮らすのに最適な姿になっているわけです。生きるための成長、進化を怠ってはいないですし、様々な気候変動、環境変化に対応してきましたし、今後も対応していくでしょう。決して、自分勝手におかしな変化をしているわけではありません。すなわち、本当の「ガラパゴス化」は、進化がないわけではないことはもちろん、決して悪いことではなく、そこに生きつづけるために懸命に進化してきた姿といえると思います。

日本に当てはめられる「ガラパゴス化」にしても、どこまで広げたいのかがある程度定まっていた(世界普及とかではなく)のであれば、その世界で自分たちが生き延びるために進化できたのであれば、それは決して失敗ではないと胸を張って言えるのではないでしょうか。少なくとも、グローバル化とかいいながら、後追い、後追いしていることよりもずっと素晴らしいことだと思います。変化、進化が止まってしまったら、それは「ガラパゴス化」ではなく、単なる「思考停止、行動停止」です。変化の激しい今、変化に対応しないと生き延びることは出来ません。どこまで広げるかの目標を持ち、進化しようとしていればガラパゴス化万歳です。そうでないとガラパゴス諸島で生き延びている生物にとても失礼なことになると思います。

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