ホラー論~見えない恐怖~

どうもATARUです。
今回は見えない恐怖について話します。
見えないというのは、つまり、透明な状態です。
ホラー映画の演出方法や設定としてよく出てきますので、自分なりにどんな効果があるのか、何が怖いのかを考えてみます。
**この記事自体先が見えず書いてて自分がちょっと怖いです

透明化されちゃ手が出せない

映画の設定としてたまに出てくる【透明化】。
ホラーかどうかはひとまず置いとくとして、『プレデター』なんかは透明化できる有名なキャラですね。(あれは装置を使ってます)
『インビジブル』も人が透明になって殺人をするというなんとも恐ろしい話ですね。
ただ、透明になるってのは結局のところテクノロジーの力なので、どちらかというとSFに近い作品として扱われる。(透明マント、石ころ帽子参照w)

〇〇を通すと姿を現す

鉄板なのは、実際には姿は見えないが、カメラや鏡を通すと姿が見えるというやつです。最近だと、スマホのカメラ越しでは霊が写ってるのに、実際には居ない・・なんてのを見ました。

例を挙げるとキリがありませんが、『着信アリ』もケータイには霊の姿が写っているが現実には見えないみたいなシーンがありましたね。あとよくあるのは、鏡や窓に映っているのに振り返ってもだれもいない。ありきたり過ぎて予測できちゃいますよね。なのでさらにその裏をかいて、もう一度鏡や窓を見たときに・・・なんて演出も最近では割と普通ですよね。
あとは、何かの撮影をしていて、監督やディレクターにはモニター越しに幽霊が見えるが、現場にいる人には見えてなくて、しかも無線の調子が急に悪くなって・・・とかもよく見ます。

このように、だいたいパターン化されてしまってます。が、この設定が重要なホラー映画もたくさんあります。
特に幽霊を題材としてるホラー作品は、ほとんどの人が幽霊は目ではっきり確認できないものとして自覚してるため、目の前にただ現れるより、何か媒体を通して見えてしまったほうがよりリアルな恐怖を感じるのです。

ただ現れるのは怪物?いいえ、それも手法です。

では、『呪怨』などでもお馴染みの幽霊が普通に見えてしまっているのは怖くないのか、というとそれも違います。
序盤から目の前にいきなり現れるのは正直ホラー作品としてはもったいないです。
「何もいない」⇒「見間違え?」⇒「いや、何かいる・・?」⇒「やっぱりいる!」が王道ですが、この順序をあえて変えるのも怖いんです。
「やっぱりいる!」⇒「見間違え?」⇒「何もいない」⇒「やっぱりいる!」なんて怖いじゃないですか。
この曖昧な感じがじわじわと恐怖になるのです。

あなたには見えないの・・・?

あと、たいてい、この【見える見えない問題】は一緒にいる人がキーです。
一緒にいる人とずらしてきます。
友人Aには見えてるけど、主人公には見えない。一緒に廃墟に来たカメラマンには見えてるけど、レポーターには見えない。
これもある意味さきほど述べた、媒体越しだと見えるパターンを人にしたようなものです。
電話の向こう側から声が聞こえるけど・・・とかもそうですね。

暗闇や霧の中など、ぼんやりした世界に人は恐怖を感じることがあります。
はっきりしていない世界では、木が人に見えたり、誰かが近くにいるように感じたり、悪い方向に考えてしまいます。

なぜそれが怖いのか

長くなりましたが、なぜその見えないのが怖いのかをまとめてみました。
・幽霊は目ではっきり確認できないものだから、媒体を通して見えてしまったほうがリアルな恐怖を感じる
・見えてる/見えてないを曖昧にすることで、次どうなるかを予測しづらくし、恐怖を与える
・暗闇や霧の中などで不安を感じるのと同じで、はっきりしていないものほど、その正体がわからず、悪い方向に考えてしまう

正直深堀りするにはもう少し時間がかかりそうですが、
見えないものほど怖いものはない!と言っても過言ではありません。
見えなかったものが見えちゃうのも怖いんですがね。。。
見えるはずのないものが見えちゃうも怖いです。(これは本当に怖い)

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