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6 課外活動のネズミ

 ところで僕は高校生だ。
 来年には大学受験も控えているし、こうやって毎日授業も受けている。しかし、六人の少女の中からフィアンセを選べなどという指令も受けている。
 果たして僕の本分はなんなのだろう、などと考えていると午後の座学が終わった。そういえば、部活などはどうすべきだろう。前の学校では入学したタイミングでいい感じに友達を作るのに失敗したため、何も誘われず帰宅部で通したが、別になりたくて帰宅部になったわけではない。と思いつつ、大学受験を考えれば、もうこの時期から部活やサークルなど考えなくていいかな、という感じだ。
 放課後、帰ろうかと思ったところでチラリと月夜を見ると、なんだか色々な部活の勧誘を受けている。友達多いな。なんかムカつくし、見なかったことにして帰ろう。
 と、廊下に出た時に僕は声をかけられた。
「あの……怜様」
 過剰な敬称をつけて僕を呼ぶ少女は、ブラウスにニットベストという地味な格好でもその長所は決して隠されることはない。いや、むしろその地味な格好はそのアンバランスさこそが眼福と言うべきかもしれなくて、僕は視線をどこにやっていいかわからなかった。
 栞のおっぱいは、今日もすごい!
「ああ、ええと、こちらを見てはくれないのですね。そりゃあそうですよね! 怜様の大切な時間をわたくしごときが奪うなど、強盗と寸分違わない愚行に他なりません! わかっております、すぐに姿を消しますね! なんならそこの窓から今すぐにでも――」
 彼女は突然廊下の窓を開け、そして足をかけた。いや……ええ!
「待って! 行かないで!」
「ああ、おやめください、怜様! そ、そこは」
「ダメだ! 早まるんじゃないない!」
 僕は彼女の体にしがみつきひっぱった。両手にとても柔らかな感触を覚えた。両手にとても柔らかな感触を覚えた。もう一度言う。両手にとても柔らかな感触を覚えた。ぎゅうと両手に力をこめて、栞と一緒に廊下で倒れた。
 ところで、ここで最近ネットで見たニュースの話をしよう。そのニュースでは目の前で倒れた女性がいたとしたらすぐにAEDを使えるかどうかの意識調査を男性にしたというもので、実に六割近い男性が利用をためらうというものだった。AEDとは心臓に異常がある時に電気ショックを与えて、正常な機能を回復させる装置で、通常は胸部を露出させないと使うことができない。それは男性として躊躇するのも理解できるし、女性側からしても知らない男性に胸部を露出させられるのは避けたいに違いない。しかし緊急時、それをしなければ命に関わる場面において、使えば助かるかもしれないAEDを躊躇うのはよくない傾向だ、そんな風にニュースは締めくくられていた。もっともだと思う。もし女性の命に関わる場面に出会ったとして、女性に何か恥ずかしい思いをさせる処置が必要だとする。仮にそれをしたことで自分が非難されたり、訴えられたりすることがあったとしても、僕は助けるべきなのだ。だってその場で助けられる命があるのであれば、それをみすみす見逃すのは王沢のすることではない――
「あ、あの……ごめんなさい、怜様。大変恐縮なのですが、離していただけますか」
 ちなみに今の姿勢を描写するとすれば、仰向けに倒れた僕の上に栞が仰向けに寝ており、その巨乳を僕が両手で鷲掴みにしているという構図である。
「ご、ごめん、すぐに離すよ! でも、もう早まっちゃだめだ!」
「怜様……ここは一階です」
「ああ、うん。そうだったね。早まったも何もないよね」
 僕たちは立ち上がり、お尻を払った。
「ふふ、怜様って、面白いです」
「そ、そうかな」
「はっ、失礼しました。わたくしごときが怜様をそんな風に」
「だ、大丈夫だから! ……なにか話したいことでもあったんじゃないの?」
「え、ええ。実は……別のクラスだとお話しする機会がありませんので。よければこのあと、お話いたしませんか?」
 栞に連れられ廊下を歩いた。歩くたびに揺れるそれを、僕は見ないように努力した。
「ところで怜様は、何か部活とか入られますか? 以前の学校などは何をされたいたのでしょう」
「いや、帰宅部だよ。まぁ、僕は王沢だから? みんな僕を部活に勧誘するのを遠慮するのさ!」
「さ、さすがです!」
 目がめっちゃ泳いでるけど、そのさすがですは皮肉じゃないよね?
「この学園でも特にやりたいことがあるわけじゃないから、また帰宅部かなぁ」
「……あの、部活ではないのですが、この後よければお付き合いいただけないでしょうか。せっかくなので、ご紹介したいものがございまして……あ、ダメですか? そうですよね、わたくしのお誘いなど」
「ダメじゃないよ! 行くよ」
「ええ? 来てくださるのですか!」
 彼女は一体僕のこと、なんだと思っているのだろう。

 大都学園は正確に言うと、大都学園大学附属高等学校である。
 多くの学生が様々な進路に進むが、だいたい三分の一がそのままエスカレーターで大都学園大学に上がる。大学は施設は充実しているが、規模は小さいらしい。少数精鋭ということだろうか。
 そしてこの学園の最大と言っていい魅力が、大学と高校で敷地を同じくしているということである。大学との交流が盛んなため、やる気がある生徒にとっては非常に学びがいがある。
 栞が連れて行ってくれたのは、主に大学生が使う別棟だった。主に理系が集まる実験棟と呼ばれる施設に僕たちは向かった。
「わたくしは別のクラスですから、このままだと怜様にアピールする機会がないので……。無理やり呼ぶ形になってしまって、大変申し訳なく思います」
「いいんだよ。僕だってみんなのことを知っていきたいんだからさ」
「そのみんなに、わたくしは含まれていますでしょうか?」
「当たり前さ」
 隣を一緒に歩くだけで揺れるそれに気を取られる。
 逆になんで自分が外されると思うか疑問だ。
 彼女が扉を開けると、ややもわっとした匂いが広がる部屋がそこにはあった。そして壁には細かい棚がぎっしりと並び、そこには虫籠のようなケージが敷き詰められていた。
「実はここで、わたくしはアルバイトをさせていただいています。ここにいるネズミさんたちを、飼育、管理しております」
 一面でうごめく、大きくて白いネズミ。よく実験で使われるときくラットというやつだろうか。いっぴきいっぴきを見れば可愛くもあるが、これだけ集まっていると正直異様さが際立つ。さらに言えば、もわっとした匂いはおそらくこのネズミたちの糞尿だと思われるので、あまり清々しいとは言えない。
「これだけの数だし、大変な仕事を任されてるんだな」
「いえいえ、生き物の世話が好きなので、楽しいですよ! お小遣い稼ぎにもなりますし」
「なんだか意外だな。栞はお父さんが政治家だし、多分裕福でしょ。それなのに、アルバイトするんだね」
「自分で使うお金は、自分でなんとかしないと気持ち悪いですからね。バイトしようかなとお父様に相談したときも、お父様は快諾してくださいました」
「……やっぱり、僕のフィアンセ候補になるっていうのも、お父さんと相談して決めたの?」
「ええ、もちろんです。お父様からこう言う話があるんだと聞いて、やってみないかとのことでしたので……あの……そんなの、ダメですよね」
 栞は下を向き、声のトーンを落として言った。
「わたくし、なんにも自分が無いみたいで。人に言われたことをするばっかりなんです。自分一人では何も決められないから……」
 彼女はいつも、そうやって自分を追い詰めてしまう。
 でもはっきり言えば、僕にはそれが理解できなかった。
「自分でバイトしようかなって決めて、バイトを始めたんじゃないの?」
「え……ええ、そうですけど」
「栞は十分自分で決められてるよ」
 飼育するのが好きだから、学内にあるバイトを探し出し、親に交渉してそれを始めるだなんてことは、僕からすれば十分行動力と決断力があるように見えるのだけど。
「逆に僕の方が怪しいもんだね。このフィアンセ探しだって豪一郎が勝手に始めたもので、はっきり言えば事故にあったような感覚だよ」
 なんていうのは、贅沢すぎるだろう。これだけ魅力的な女の子を集めてもらっておいて、そのゲームに参加を決めておきながら文句を言うなんてことは。
「きっとさ、みんなそうなんだよ。自分で決めることも、流れで決まることもあるんだ。そのどっちもさ、悪いことじゃ無いだろう」
 多分、何がどう決まったとしても関係ない。そのバランスがあるだけで、それも潮の満ち引きみたいにうつろうものだ。良かったか悪かったかどうか決まるのは、その後の自分の行動にかかっている。
「高校二年生で結婚相手を決めるなんて、僕が思ったことじゃないけどさ。でもそれを人生の正解にしようと思ってるよ。あのとき振り返れば、それをやってよかったなって思いたいからね」
「……怜様、結婚してください」
「いや急だなおい」
「ああ、ごめんなさい取り乱しましたわたくしごときが何を言い出すのでしょうか! そんなことより見てください。わたくしの可愛いお友達を!」
 彼女は順番にケージを指して教えてくれる。
「クラスのみんなにはあまりわかってもらえませんが、みんな違ってとっても可愛いんです。この子はシロっていって、とっても食いしん坊さん。こっちはネズ実ちゃんで、わたくしがくるといっつも笑顔を見せてくれるんです。この子はモルモッ太で、運動大好きでいつ見ても走ってるんですよ!」
 僕から見れば、本当に全部同じような白いネズミだ。これだけ飼育し、これだけ名前をつけて判別している彼女に驚きを禁じ得ない。ただ、僕がここに呼ばれた理由は何?
「それでですね、この子を見てください! チューペットです」
 栞は一つのケージを棚から取り上げ、テーブルの上にのせた。
「どうでしょうか!」
 目を爛々と輝かせ、栞はこっちを見ている。いや、どうでしょうかと言われても。ダメだ。僕には他のラットとの違いが見出せない……。
 しかし何も言わないのはダメだ。何か特徴を探すのだ!
「……とっても美人だね」
「オスです」
 オスですか。
「ううん、伝わると思ったのですが。実はね、このまえ苺ちゃんと盛り上がったのです。チューペットが怜様にそっくりじゃないかって。それで、わたくしがあまり怜様とどう近づけばいいかわからないと彼女に相談したら、チューペットを紹介したら喜ぶんじゃないかと、今日すぐにでもお誘いするべきだと強く勧められまして」
 なんだよそのアドバイスは。
 しかし確かに僕と似ているラットがどんなものかは気になりはするのだが。どんなものだろう、と見るとケージの中を走り回るラットがそこにいた。僕に似ていると言われても、他のラットと判別がつかないのでなんとも言えないが……。
「どうでしょうか!」
「……ううむ」
 どうしても言葉に詰まってしまう。
「……お気に召しませんでしたか。そうですよね、ダメですよね。……そもそもわたくしはラットが好きだから気がつきませんでしたが、ひょっとすると似ているラットがいると言われて喜ぶ男性なんていないのかもしれません。どうして気づかなかったのでしょう! そうなんです。わたくしは人の心がわからない愚か者なのです。どうか愚鈍な雌犬と罵ってくださいっ!」
「そんなこと言えるか!」
「ああー」
 彼女は泣き崩れるようにテーブルに突っ伏した。
 こんなことを言っては失礼かもしれないが、ここまでくるとコミカルで面白いな。
 僕は改めてケージの中でちょこまかと走り回るラットを見てみる。怖がっているのか、せわしなくケージの中で動いており、口の周りには食べかすのようなものがついていた。まるで犬が体温調節でもするみたいに、ダラダラとよだれを垂らしている。
 ……これが僕に似ている……だと?
「ところでさ、このラット……チューペットだっけ? どこが僕に似ているの? 専門家の意見を聞かせてよ」
「それはですね!」すぐさま栞は起き上がった。「特にこの切れ長の目ですね。そもそも似てると思った時点では、怜様に関しては写真でしか知らなかったものですから、当然容姿が似ていると思ったわけです。とても爽やかで、格好良くて、写真の中の怜様にぴったりだと私は思いました! 苺様も、そっくりだと言ってくださいましたよ!」
 苺もラットの見分けがつくのか……。
「でも正直にいえば、なんだかこのラットは口の周りとか食べかすだらけで、ちょっとだらしないねぇ」
「あれ? そうですねぇ。どうしたのでしょう。普段のチューペットはとても綺麗好きさんなんですが」
 栞は蓋を開けて手を伸ばした。ラットはそれから大慌てで逃げ出した。尋常じゃない恐れ方だった。
「あれれ? 今日はちょっと人見知りちゃんですねーチューペット」
 なんとなく、ピンときた。
 僕は、その栞の手首を掴んだ。
「……な、なんですか急に、怜様。まだ私は、その、心の準備が、待ってください待ってください! 今できました!」
「いやなんの心の準備だよ!」
「あれ、今のは私への求愛では?」
 目をつぶり、微かに唇をすぼめる。そして、体を近づけてきた。
「いやいやいや、そんな心の準備はしなくていいから!」
「……で、でも、一華様とは、してましたよね?」
 確かに、自己紹介の時に一華は僕にキスをしてきた。しかしそれは不意をつかれただけで、僕からやったみたいな表現はやめて欲しい。
「え、あ、あの。あ、やっぱり嫌ですよね。ごめんなさいごめんなさい舞い上がってしまっておかしなことを言い出してしまいました。ああ何やってるんでしょうわたくし、本当におかしいのです不潔な女なのです」
 取り乱す栞は微笑ましく感じるのだが。
「そ、そういうわけじゃないんだけど」
「じゃあ、いったいどういうわけなのですか! わたくしはもう、怜様になにかされるとすればそれは覚悟しているというのに」
 こんな態度を取ったら嫌われるのも当然だ。しかし僕は、まだこんな状態で君に思い入れをつくるわけにはいかない。
「ごめんっ!」
 僕は栞からケージを奪い取り、ひとり部屋を後にした。

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