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華々しい花たちの話を放流し。

4月〜5月になると、花たちが沢山咲き、葉が青々として道が賑やかだなぁ、と思うその移ろいが好きだ。

わたしは自分の家の庭がかなり好きなのだが、最近庭の一角に未央柳と白い紫陽花が咲き、とても良い場所だ、と思った。

良い場所の写真

未央柳(ビオウヤナギ)は玄宗大帝が楊貴妃と訪れた地にて、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて歌を詠んだことから、その故事にあやかり柳の葉に似た葉を持って、美しい花を咲かせるこの花を未央柳と名付けたことが由来で、楊貴妃とは直接は関係ない。

玄宗大帝と楊貴妃の逸話で言えば、花海棠という花があるのだが、うたたね状態の楊貴妃を見た玄宗大帝が、楊貴妃を海棠の花に例えたことがある逸話がある。

玄宗大帝、楊貴妃を花に例えすぎである。

「解語之花(かいごのはな)」という言葉があり、大帝が楊貴妃を指して言った言葉らしいのだが、「言葉のわかる花、物言う花」という意味らしい。大帝にとって楊貴妃は人ではないほど美しかったのだろうと想像する。
それが、自分を装飾としての花としての意味なのか、そうでないのかはわからないが、どちらかと言うと精霊とか、自然に対する美しさの意味で言っているんじゃないかな。というかわたしはそうであったら嬉しい。と思う。
比喩についていつも思うのが、比喩対象を軽んじていないか?ということで「犬みたいに食べて」とか「猿みたいに煩い」とか、犬や猿をまるで人より下に見ている感じがして嫌だ。犬みたいに美しい、猿みたいに美しい、ならわかるが。動物や植物はわたしたちが思っているより遥かに静かに聡く美しい。
……これは人間を軽んじている文章だ。

話は紫陽花に変わる。紫陽花は土のPH度で色が変わるため、そのイメージは人によって何色のものを多く見るか、で違いそうだ、と思っている。
といってもわたしの近所でもあらゆる色の紫陽花を見れるため、「何色でもあるのが紫陽花」というイメージの人もいるだろう。
うちの近所が花が多いこともあるかもしれない。

紫陽花の色は紫陽花に含まれているアントシアニン+土の成分で色が変わる。土中のアルミニウムを沢山吸収すると青色。たくさん吸収しなければ赤、そうでなければ紫やその中間色となっているらしい。

画像にある白紫陽花はアントシアニンを含んでいないのでPH度で影響を受けることはない。
これを初めて知ったとき、白い紫陽花はなんて美しいんだろう、と思った。人間は白い紫陽花にはなれない。生まれた場所、手に入れた言葉、経験、物語によって影響を受ける。

生まれと、生活と、何をどう吸収できるかで自分だけの色が決まる。わたしたちは移り気な人間だ。何にも影響されないうつくしい白にはれない。ただし、そうして色づいた花が美しいことも、わたしはまた、知っているのだ。 


最後にこの季節に出会った花々をおすそ分けしておく。

庭のタチアオイ


月見草
庭にいらっしゃった多分……ユリズイセン
サフランモドキかな?
ゼンテイカ……?ちょっと違う気がする 
Googleレンズ先生に頼ったけどお手上げ……
散歩中に見つけた南天の花


母方の祖母の家にてホタルブクロ


同じく母方の祖母の家にて
知らない花だったので帰って図鑑で調べる。千鳥草。


道にいらっしゃったバーベナ?


同じく道にてエリゲロンさん。

あと通ってる心療内科の花瓶に知らない花が活けていたから聞いたら「トルコキキョウ」だという。華やかで良い花だった。


花の名前を言うとよく「よく知っていますね」と言われる。それに関しては祖母の影響が大きいだろう。祖母が教えてくれた。そして祖母は良い花の図鑑を持っているから、わたしはそれが大好きだ。
家の庭は、祖母と祖父が作った。この前祖父と祖母の散歩に連れ添った際、「素敵な庭でわたしはこの庭が好きだ」というと祖母と祖父ははにかみながら、そして嬉しそうに、仕事しながら花をちょくちょく買って頑張ったんよ〜!と話してくれた。
祖母は認知症になり、祖父は去年から鬱気味になった。家族で代わる代わる、その介護をしている。姉が祖母は昔は美しい人だった、と零したことがある。
今だって美しい、とわたしは思っている。なんなら、祖父と祖母がこの家族の中で一番美しい人だ。たくさんの土と栄養を吸収し、咲いているその人たちに畏怖と畏敬の念を持って接している。わたしが例え過去の祖母や祖父を知らなくても、覚えてなくても、このひとたちは美しいひとだ。
そう思いながらいつも散歩をして空と花と、人を見るのであった。



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