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結局のところは、それぞれの「性愛」。

また、恋愛をテーマにする企画を始めてみた。
企画してみると、変わらず話したかったという人の数は減らないし人気だ。
ただ、「性愛」と直球にしたときの反応の変わりようと専門的な話は一切できないから、イベントとして恋愛というやさしい逃げ方にしている。

性愛は、本能に基づく性的な愛情、愛着や愛欲、肉体的接触を指す。 (ウィキペディアより抜粋)

ここで私にとってわかりやすいのは、肉体的接触。分かりづらいのは、本能に基づくというところ。
別に自分がやりたいようにするとかされる的なものがないわけではないけれど、意思決定は自分でしてるから、本能に翻弄されるなんてことはない。

でもなんで、"本能に翻弄される"かつ"好きかどうかは別"ってのが機能的にできるんだ?!という学生時代の彼への問から、性愛への興味関心は始まっている。

結局それが許せるか許せないかも、自分の意思決定でしかないし、相手にダメ出しというよりかは機能的な違いなだけで。まず受け入れてから、一緒に楽しんでいけるのか無理なのかを判断してきただけで、個人によりすぎるしあの人はこうだったということでしかないのだが。

でもなんか性愛って気になる。
例えば「一緒にいたい」というそれだけでも、その先に触れたいとかそれ以上とかきっと人によって色んな枝葉があるように思える。

言葉はきっとめちゃくちゃ伝えるのには有効だけど、解釈という名のもとに擦り合わせも必要。
もしかしたら、行動として一緒にいることで表現してたつもりでも、そこに言葉や触れるなどのその先がなければ"ただ一緒にいただけ"にもなる。

言葉も行動もあってのコミュニケーションなんだなってすごく思う…ことが増えた。
あのいつかの突発的なキュンはもう来ないけれど、生きてく上で私にとっては必要で大切な人がどんな人なのかっていうのは、年々明らかにはなっていってる。

果たして、ここと性愛が結びつくかどうかはまだ少し曖昧さは残るけれど。欲求不満のようなものはないし、きっと私が満たしたいそれは今のところ間に合っているみたい。

でも男と女という性別で済んできたことが、そうもいかなくなってる今だから。
性愛について、聞いてみたくなるというよりも日常で話せることにもっとしていきたい。もはや単純にそれだけ。基本的に他人に興味ないのに企画をやりたいとなる矛盾だらけの私ではあるけれど、根源はそれだけな気もしている。