人が死ぬ時はいつか?
どうも、生と死をさまよい続ける男です。
(毎度書き出しが定まらないさだまさしです。)
突然ですが。
私がこの後車に轢かれて死んだとしましょう。
体という形は恐らく火葬されて消えるでしょう。
肉体的、実像的にもたらされる「死」ですが
果たしてそれ本当に死んだのでしょうか?
私が思う本当に人が死ぬ時ってのは
きっと誰かに忘れ去られた時だと思うんです。
ね? ヒルルクもそう言ってるし。
だから僕に関わった全ての人間の思考の中に
僕という存在が居続ける限りは死んでないんじゃね?
って思ったんですけど、どうでしょうか??
マイケル・ジャクソンが死んでも皆は覚えている。
300年前のジャン=ジャック・ルソーですら
僕達はその名前を知っている。覚えている。
なぜでしょう。
A,彼らの意思が形として記憶として残っているから
じゃないでしょうか????
つまりですね、
仮に僕がこの後死んでしまっても
この記事を読んだ貴方の中では生きてるんです。
一片の記憶として、質量として残りたいんです。
僕が目立ちたい理由もきっと心のどこかで
一生死なずに生きていたい。
って思い馳せて、虚像に恋焦がれているのかも。
皆、死にたくなければ今すぐ形を残せ!
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