Kapspergerキタローネ曲集第3巻に入っている2つの歌曲の編曲
KapspergerのLibro Terzo d'Intavolatura di Chitarone (Roma 1626) には歌曲にディミニューションを施した編曲が2つ含まれている。
1つは、Jacob Arcadeltの4声マドリガーレAncidetemi pur grievi martiri (Il primo libro de' madrigali a 4 voci. Venice: Antonio Gardano, 1539)、
もう1つは、Carlo Gesualdoの5声マドリガーレCome esser può ch’io viva (Madrigali a cinque voci, libro primo. Ferrara: Vittorio Baldini, 1594) である。
後者は3ページで収まっているけど、前者は6ページにわたっている。
後者のGesualdoの歌曲はスコアの形で書かれているけど、Kapspergerの編曲ではバッソ・セグエンテをしているものの冒頭のバッソがないところはテノールをオクターヴ下げたりしている。
基本となるタクトゥスの単位が違うけど、キタローネの達人なら多少テンポを落とすくらいで歌曲と合わせられるかもしれない。
でも前者のArcadeltはそうではなく、アッラ・ブレーヴェが書かれているから基本のタクトゥスがより大きな音符になって、歌曲もかなりの速さで進んでいく。
そのテンポでKapspergerが書いているディミニューションを弾くのは、さすがに当時の達人でも無理ではないだろうか、それとも弾けたのだろうか。
リコーダーを吹いていた時も歌曲にディミニューションを施した教則本(ほとんどがリコーダー用ではないけど)を山のように練習したけど、これって歌曲と合わせることを意図していたんだろうか?ヴァイオリンやコルネットならできるんだろうか?と思うようなディミニューションが結構あった。
この2つの編曲はキタローネ用だけど、後者はともかく前者は歌と合わせるという意図があったのかなかったのか、合わせるとしても歌がどのくらいまでテンポを落とすことが許容されるのかなどなど、色々考えてしまう。