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⑬家族が頼りの生活の中で

お久しぶりです。
アイコン背景画像変更しました。
統一しました。


約1年の時を得てぼくは
精神科病棟を退院しました。

それからは【デイケア】という
場所に通い始めます。
基本的な生活を送る場所です。
すぐには元の外世界にはぼくは
戻れなかったから。

まず家に帰ってきた時の
印象が 変 なのだ。

想像しにくいかもしれないけど
家には床にいろんな物が
置かれている。
病院のように片付けられた
きれいな場所ではない。
古い家だから段差もある。

だから 変 だと感じる。

ぼくは基本的なやり方、
服の着方とか忘れた人間
だったから戸惑いがあった。

そして異常に家が狭く感じる。
自分が住んでた家なのに
1年も外に出ず、空けると
こんな感覚になるらしい。

まだ感情は無感情だったから
変と思うだけで。
一緒にいる家族もまだ家族と
思ってなかった。

誰かといる。

そんな感覚。
それでもぼくは自分から
せっせっと動かないから
その誰かは側に必要だった。

今、思うと。
家族はどんな
気持ちだったんだろう?

自分達のことを忘れた
何も感じてないぼくに
どう思ったんだろう?

聞いたことがないけど
家族は主治医やデイケアの
勉強会に積極的に
参加してくれてたらしい。

当時とは違う今の主治医と
話したんだけど。

世話をせず、
見放す家族もいるらしい。

だからぼくは
ありがたいと強く思う。

きっと母だから受け入れられた
耐えることができたのだと
ぼくは思う。

今でも母とは考え方が違ったり
ケンカやこのやろ〜と
思うこともある。

だけど。
それでも。

やはり見捨てずに
いてくれたことに感謝している。
ありがとう。


話しを戻すけど。
退院したぼくを
家の中の生活のことは
母が教えてくれた。

お風呂の水やお湯の出し方も。
教えてくれた。
病院とやり方は違うからね。

それにこのときは体重も
40kg→60kg代に
増えたからお風呂も
入れるようになった。

お風呂って体重が少なすぎると
力が出なくて入れないんだ。
体力がけっこういるんだよ。
それに入れても
疲れやすいんだ。

それ以外に覚えていることは。
必ずお布団が敷いて
あったこと。

たぶんよくぼくが眠るのと
逆にまた眠らなくならない
ようにと配慮して
くれてたんだと思う。

薬も母から渡された。

そして。
生活の時間は病院のときと
だいたい同じ時間だった。
ぼくの体内時計が
狂わないように
家族が合わせてくれた。

ぼくはその布団を
眠るものと認識して
よく眠った。

大変だったと思う。
普段の家族の生活から
ご飯を食べる時間とか
1時間くらい早い時間
だったから。

ほんとに感謝しかない。

入院していたときは
看護師や主治医、
ケアワーカーさんがいる。
つまり、管理してくれる
人がいる。

でも家にはそういう人は
いない。

頼りは家族だけだった。
あとは自分の意思だ。

まだ最初は意思がなかったから
ん〜〜、ぼんやりしている感覚
だったから。
家族が頼りになる。

それだけでは
家族に負担がかかる。

だから自分の意思を
戻すためにデイケアに通い、
他の人と交流し、
外の生活に慣れる訓練をする。

人が怖い気持ちを改善
してゆくんだ。

ここからぼくの
ほんとの再生、
立ち直りの訓練が
はじまる。



             つづく

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