100年耐用の残滓

◆遺伝子の割合

 子を成したとき、その子に引き継がれる自分の遺伝子の割合は50%。つまり半分は自分に似て、もう半分はパートナーに似る。何人か兄弟を生めば、どの子が両親のどっち似であるとか傾向が出るだろう。

 仮に子が親になり、孫が見れるとして、その孫が引き継ぐ自分の要素は25%。孫に自分の似ているところがあると喜ぶかもしれない(似てなくても関われる機会があるなら嬉しいか)。


 では孫が子を産むと、その曾孫の遺伝子の割合は12.5%となる。ここまで来ると少し怪しい。自分が曾祖父母にどれだけ似ているかを考えてみるとよい。そもそも全員把握しているだろうか。

 12.5%近い人間は、別に家族でなくても何となくそこら辺に居そうではないだろうか。親子でも仲良くするのが難しい家庭もたくさんあるのだから、逆に遺伝的に遠くても何となくフィーリングが合って仲良くなる関係もあるだろう。


 要するに、曾孫クラスになると、遺伝子の影響度はかなり小さいと思ってしまう。曾孫の子どもはもはや他人である。

 この世代を、昨今の晩婚化(と核家族と少子高齢化)に当てはめて見ると、20代後半~30代前半で1人目の子どもが生まれるサイクルとなる。とすると、孫が見れるのは50~60代、曾孫が見れるのは80代~100代ぐらいになるだろうか。


 医療が進歩すれば曾々孫も見れる、という話ではなく、自分の遺伝的影響の範囲がいつまでの範囲かという話。

 曾々孫が引き継ぐ自分の要素は6.25%であり、その歳月は100年近くになる。仮に自分の要素が一人当たり6.25%残るといったら、嬉しいだろうか。


 私は曾々祖父母のことなど知らないし、脈々と受け継がれる血というものを、自分の代で先祖に感謝することもない。

 自分を構成する生得的な6.25%は、環境による適応によって、少なく発揮されたり大きく発揮されてたりするだろうが、自分の成果や失敗をその6.25%に転嫁することはない。


 仮に生まれてきたことに意味があるとすれば、先祖の遺伝子を残すことではなく、社会貢献(具体的には自由市場経済)に巻き込まれていることだろう。



◆プロダクトの残滓

 さて、子どもを作ることが社会のためになるとして、子ではないかたちでの社会貢献や、引き継がれるものはあるだろうか。

 それは会社かもしれないし、製品かもしれないし、研究成果かもしれないし、思想かもしれない。自分のプロダクトが生き残る可能性は、子孫とどちらが上だろうか。


 機関車やスマートフォンのように、広い範囲の社会を変える発明を作ることは容易ではない。そういったレベルではなく、例えば一部の顧客であったり、一部の界隈で噂される程度のものだったら、作れるかもしれない。

 自分の作ったものが、誰かの役に立つとか、心に残るとか、そういった思いを託して生み出されるとき、それは何年持てば良いのだろう。


 100年、妥当ではないだろうか。


 仮に子どもを成せないなら、ある領域で100年耐用する何かを作ることを考えたらどうだろう。両方できるのがベストかもしれないが、片方だけでもまあ良いだろう。私はそう考えることにした。

 今はまだ100年耐用できるものは作れていない。だから目標は、100年耐えうるものを未来に投げかけることだ。


 果たして今行っていることは、100年先の何かに繋がるかと考える生き方をするわけだ。そうすると、今の状況が妥当かどうかが見えてくる。



余談


◇恋愛の諦め

 一年前、愛は他者肯定と書いた気がする。基本線は異なっていないが、もう少し今しっくりくる言葉で言うなら「贈与」である。

 愛は取引ではない。リターンではなく、与えることに喜びを得られるかどうかが分かれ道だ。


 筆者が気づいたのは、誰かを好きになるとき、それは理想の投影であり、望み通りの行動を相手に期待していたということだ。

 しかし、それは相手にとっては望むことではない。それは自分が相手にとって望まれる振る舞いをしたときで分かる。


 私が容姿を求めるとして、相手は共感機能や身長や年収を求める。互いに生殖本能からアクセスできる利点のみを捉え、相手の人間性そのものは負荷となる。

 その関係性に互いの意識は存在が許されるだろうか。


 私の幸せは相手の幸せではなく、相手の幸せは自分の幸せではない。これは恋愛に限った話ではなく、私の取り巻く人間関係なら頻繁に起こることである。

 恋愛だけはそうでなくてあってほしいというのは摂理に反するわけだ。だから私は人間をビジネス以外で捉えるのを止めてしまった。すべては経済的な社交辞令に過ぎない。


 平均的な人が他人との繋がりで求めるリターンは、私にとってはコストでしかない。だから私は繋がりではなく、記録(データ)として存在することを望む。

 遺伝子は私のものではなく、脈々と続く血統のものであり、私ではない。私が私として存在する物理的残滓はここに残さねばならない。

 我記す故に我有り

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