おばあちゃんが死んだ日
大好きなおばあちゃんが死んだ。
亡くなった、と書いたほうが良いのはわかっているのだけど
ある意味“死んだ”のほうが、いなくなった時の
衝撃を表しているような気がして使っている。
誰も息絶えた瞬間に立ち会えなかった
その時の私は遠距離恋愛をしている恋人のところでお世話になっていて、電話が来て急いで新幹線にのって地元に向かった。
兄と母は世の中を騒がしているコロナの感染対策で、病院でずっと見ていることができないので帰されたところだった。姉は仕事をしていた。
みんな最後、おばあちゃんには会えなかったのだ。
うちのおばあちゃんは兄弟姉妹で優劣をつけるのが嫌いなので
みんな平等に愛そうと、いつもきにかけていてくれるような優しい人。
だからこそ、誰にも会わなかったのかもしれないね。
あの時 誰が会えて、誰が会えなかったとか
そんな悲しい事にならないようにしたんじゃないかと。私はそう思っている。
息をしていないおばあちゃんはとても冷たかった。
怖いくらい皮膚も固くなっていて
いつものように手を握りたくても戸惑うくらい。
本当に怖かったんだ。
おばあちゃん。
あっという間に骨になってでてきた。
一時間とちょっとで。
さっきまで姿かたちあったのにな。
帰り道の車で空を見たときいつもより眩しさを感じた。
風を感じる体感も生きている。
スピードが早くて追いつけないけど
なんとか時間を捕まえて、足を取られないように頑張るしかないね。
すべて飛んでいるのは、それくらい目まぐるしいから。
また落ち着いたら改めて書きます。
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