【怖い話】 禍話リライト 怪談手帖「やらいさん」
中学校時代の同級生だったAさんは、僕と同様、幽霊の類を見たことがないという人だった。とはいっても、僕と彼女とでは事情がだいぶ違っており、僕の方はさしたる理由もなく、ただ単にそういう感受性や感覚が皆無であやしいものに出会わないのに対し、Aさんの場合は、はっきりした理由があった。
——御利益を受けている。
彼女の一家が頼んでいる「神さまのようなもの」のおかげで、幽霊だとかお化けだとかから、「守られている」のだと。
当時の彼女は、霊感だ何だといった話題になったとき、そのように言っていた。
普通のお寺や神社との関わりとはどうやら違うものらしいとは何となくわかったが、呪いや民間信仰の類なのか、あるいはカルトじみた何かなのかは判断できず、また家庭の事情へ安易に踏み込むのはどうかという意識もあって、当時の僕たちはただ曖昧に相槌を打つしかできなかった。
そしてAさんも、それ以上ひけらかすようなことはせず、学生のつねでオカルト好きが多いなか、自身の神さまについてをのぞけば、彼女は理性的な物言いをする方だったし、ひょっとしたら面倒なオカルト話に巻き込まれないための方便ではないかとすら思われるほどだった。
ところが十年以上が経って、ひさしぶりに当時の同級生で集まったとき、引き際を見つけられず三次会まで残った僕を含む何人かは、
「誰かに吐き出したくなっちゃって……」という彼女から、「御利益」にまつわる顛末を聞くことになった。
「余寒くんも見えないんだよね」と複雑そうな顔で念押しされながら、怪談としての文章化と発表の許可をもらったのも、そのときのことだった。
「結論から言うとね」Aさんは言った。「わたしがお化けをまったく見なかったのは、ある人のおかげだったんだよね」
——人
その人物をAさんは「やらいさん」と呼んだ。
「うーん、本当はやないさんとかやまいさんとかだったかもしれないけど……」
——あのとき言っていた「神さま」ではないのかと、同級生のひとりがたずねると、
「神さまっていうのは、その人が拝んでたもの、かなぁ……?」といささか歯切れが悪い。
僕たちの訝しそうな眼に気づいたのだろう。
彼女は慌てて、
「やらいさんのことは、小学校からついこの間まで、ほとんど忘れてたんだよね……」そう言ってまた、
「別にこれ、スピリチュアルとか、宗教勧誘の前ふりじゃないからね。うち浄土真宗だし」と断わった。
彼女が言うには、小学校くらいの頃、家で心霊番組やお化けの出てくる話を見るたび、怖がるAさんに両親が、「うちには神さまがいる。神さまに頼んでいるから、お化けは見えない。大丈夫」という風に言い聞かせていたらしい。
実際、テレビや本のホラーは怖くても、Aさんが実生活で変なものを見たり感じたりするようなことはまったく無かった。そのため、そういうものはそもそもいないのではないか、というごく現実的な認識と混ざり合うようにして、両親の言う「神さま」が守っているから見ないのだろうという刷り込みに似た信仰も存在していたのだという。
「神さまのことはそうやって何となく信じてた。
やらいさんのことを思い出したのはつい最近なんだけど……」
Aさんは話をつづける。
「単身赴任していたお父さんが急に亡くなって、病院に行って、お葬式のいろいろがあって、整理のためにも、お父さんが暮していた家に行かないと、となったときね」
父はもっぱら年の節目に帰ってくるだけだったので、Aさんは父のひとり暮らしの家を知らなかった。
しかし、母とともに出向いたその家というのが……
「その家が、小学校にあがるまで住んでた一軒家だったんだよね」
そこは元々親戚筋の持ち家で、それもあってAさんが幼稚園の間は格安で借りていた。かなり古く、あちこちの壁に染みやひびの浮いているような家だったが、広くて頑丈だった。
結局仕事の都合で小学校にあがる前に引っ越したのだそうだが。
父の住居へ向かう途中の道で、「あれ、これって……」となったAさんがそのことを告げると、
憔悴した母は「言ってなかったかなあ……」と少し驚いたような顔をした。
「ちょうどお父さんの今度の転勤先が昔住んでた辺りに近くて、そのとき他にいいアパートがなかったから——」
件の親戚に相談したところ、ちょうど少し前に住人が引っ越して空家だったということもあり、再びその家を紹介された。それで今度は父ひとりでその家に暮らしていたのだ。
「まあ遺品の整理とかそういう後始末も大変だったんだけど……
家に着いて、中に入ったときに、わたしいっぺんに思い出したんだよね」
——その家によく来ていた、やらいさんのことを。
白っぽい服を着て、髪に少しパーマをかけた人好きのしそうな太った中年女性。それが玄関先に少し猫背で立っている姿。居間で両親と何事か熱心に話し込んでいた姿。自分に笑いかけながら、きんちゃくから飴玉を渡してきた姿。部屋のあちこちを俯いて手を合わせながらゆっくりと歩き回っていた姿。
……そんな姿が家に入るとともに脳裏に一気に甦ってきた。
「住んでいたのは五歳くらいまでだったはずなんだけど……、覚えているものだなぁって」
いささかクラクラとするくらい劇的に、その家での記憶、そこに来ていた女性のことを思い出したAさんは、母に彼女のことを問い質した。
「あの人は、うちの恩人よ。ほら、神さまの話ってよくしたでしょ。それをくれたのは、あの人だったから……
あんたが大きくなってから神さまの話もあまりしなくなったから、話してなかったけどねえ」
母はそう言って、どういう事情でやらいさんが家に来ていたか——まだ幼なかったAさんが把握していなかった当時のことを教えてくれた。
何でも親戚筋に紹介されたその家に越してから、妙なことが続いたのだそうだ。
両親が天井や壁の中から妙な音を聞く。窓の外を飛ぶ妙な光や顔のような何かを見る。寝ているときに頻繁に金縛りに遭う。幼ないAさんが原因不明の高熱に見舞われ、夢遊病のように起き出してあちこち歩き回る。
慌てて親戚に問い合わせたが、予想されたようないわくつきということはなく、近隣で何か大きな人死があったというわけでもない。親戚も紹介した手前、責任を感じたのか、いろいろと他に考えられる可能性をひとつひとつ調べたもののすべて空振りで、一緒になって悩む始末だった。
そうして困り果てた親戚が、どこかから連れてきたのがやらいさんであった。
「家で起きるあやしい物事の専門家」というような、それ自体があやしい触れこみであったが、Aさんの両親は藁をも掴む気持ちで頼ったそうだ。
数日してやってきたやらいさんは、前述したようなごく普通の中年のおばさんであった。装いが普通であるばかりではなく、それらしい道具も何も持ってきておらず、飴などを入れた小さなきんちゃく袋ひとつきりで、数珠すら携えていなかったという。
やらいさんの理屈も独特だった。
——祭壇とか神棚とか御神体とか、そういうものは自分の信じる神さまにはいらない。むしろ、無闇とかたちや場所を作ってはいけない。思い浮かべるかたちがなくても、居場所を決めなくても、正しく拝みさえすれば、心の中という最もしっかりしたねぐらに神さまは居てくれる。
……おおむねそのような主張だった。
やらいさんは、両親の相談を一通り聞くと、ふたつ返事で家のことを請け負った。
彼女は健康上の理由でいいかげん引退を考えており、これは最後のひと仕事のつもりでやるという。
報酬として提示されたのも、雀の涙のような金額で、
「タダより高いものはないから安心代として」と笑っており、かえってもっと巧妙な詐欺に発展するのではないかと、密かに両親は心配していたくらいだった。
ともあれ、すがる藁と選んだからには、と思いきって、「お任せします」と頼んだそうだ。
その日からやらいさんは数日おきにやってきて、家の中を拝んで回った。Aさんの記憶にある姿も大半はこのときのもので、白い服で手を合わせながら家の中を一周するような歩くやらいさんの後ろを、よくおもしろがって着いて行っていたようだ。
「わたしは結構人見知りする子どもだったんだけど……なんでだろう? やらいさんには懐いてたんだよね」
やらいさんはそのとき、うるさがるでもなく、Aさんに飴を与えて、させるがままにしていた。敷居の少し高いところで、やらいさんが毎回大げさなくらい足を上げていた癖まで、芋蔓を引いたように思い出せた。
そんなやらいさんは、お母さんの話では、「本物」だったらしい。
どういう理屈かはわからないが、やらいさんが家に来るようになってから、異音や金縛り、一番懸念していたAさんの熱や夢遊病などは、すべて治まっていき、一月も経つ頃には、何も起きなくなっていた。
感謝を述べる両親に、少しやつれたように見えるやらいさんは、
——もう少しで済む。おそらく次で終わり、というようなことを告げた。
ただ同時に難しい顔になって、
——思っていたよりも厄介なものだったから加減ができない。神さまの力が強すぎて、今後今まで悩まされてきたものが、逆にいっさい見えなくなってしまうかもしれない、というようなことを警告してきた。
「それはいわば、あの世との縁をひとつ切るようなもので、五感ではない五感をひとつ覆い隠すようなものだ——」
思い出しながらつぶやく母を見て、Aさんも、「この言い回しには覚えがあるな」と感じた。
結局ご両親は、幽霊が見えなくなってもかまわない、日常生活に支障がなければ、とやらいさんに合意し、仕上げまでお願いしたという。
「で、その最後にやらいさんが来た日のことを、かなりはっきり——何というか、ひとつづきに——思い出せたんだよね。それまでのやらいさんのことは切れ切れのイメージだったんだけど、その日だけは……」
いつものように家の中をゆっくりと一歩ずつ歩いていくやらいさんの猫背。居間で待たされている両親を置いて、Aさんはそれを追っている。やらいさんの背中はいつもと違って、瘧にかかったように細かく震えていた。肌の色も心なしか青くなっているように思える。
それでも合わせた手とうつむいた顔だけはしっかりとしたままだった。
一歩一歩踏みしめながら、やがて、いつもやらいさんが終点としている、あまり使われていない客間に至った。
……心配が募り、Aさんはその後ろを着いていく。
「部屋の中までは来ないように」といういつもの言いつけを守って、恐る恐る入り口から見ている。
やらいさんは部屋の真ん中、ひろびろとした壁を前に立ち、手と手を擦り合わせている。その背の震えがガタガタガタガタガタガタと激しくなっていく様子まで鮮明に思い出せる。
やがて、手を合わせたままゆるゆると顔を上げると、後ろ姿のやらいさんが顔を上げたところでピタリと固まったのがわかった。震えが止まっている。そして……
何の前触れもなく消えた。
ふっという余韻すらなく、プツリと断ち切ったように。
まるで映像の編集でカットして繋ぎ合わせたみたいに。
Aさんが瞬きをした次の瞬間、彼女は消え失せていた。
……同時に声が響いた。
「見ぬふりせよ」
ひどく録音環境の悪い音を加工して無理矢理音量を上げたようなザラザラガビガビとしたノイズ混じりの粗い声。テレビの昔の番組で聞くような時代錯誤な古めかしい言い回し。感情の起伏のないひどく平坦な女性の声。
それは、やらいさんの声だった。
親しんだあのやわらかい口調とは似ても似つかない。それなのにはっきり同じだとわかる。
……そんな声だった。
凍りついたように立ち尽してどれだけ経っただろう。やがて異変に気づいた両親が恐る恐るやってきて、
「え? え?」と困惑した様子で呼びかけたり探したりし始めて
「……それっきりだったんだよね」Aさんは言った。
結局やらいさんは仕上げの途中、もしくはそれが終わるとともに、帰ってしまった、いなくなってしまったということになった。あれこれ調べてみたが、親戚も誰も住所などの所在を知らず、連絡先として渡されていた電話番号も「現在使われておりません」とむなしく告げるだけだった。
それからは、本当にAさん一家には何も起こらなくなったのだそうだ。あれだけ頻発していた金縛りや異音、幻覚のようなものはどれも完全に鳴りを潜めてしまった。転勤でその家を引っ越したその日まで一家は平和に暮らすことができたし、それからもいわゆる心霊現象や怪異といったものとは無縁の日々を過した。
両親は「本物だったんだ」と確信し、ただ感謝した。Aさんも学生になって、何度か心霊スポットと呼ばれる場所に行く機会があったが、そのいずれでも何も見えなかったし、何も起こらなかった。
「ただ……」言葉もなく聞いていた僕たちの顔から、やはり疑念を見てとったのだろう。
Aさんはつづけた。
その後二十年近く経ってから、ひとりでその家に暮らすことになっていたAさんの父の死……
父の死は脳溢血だったらしく、そのこと自体は男やもめの生活と仕事への打ち込みすぎがたたったものらしく、不審な点はなかった。しかし……
「お父さんが死んでたのって、あの客間だったんだよね。
それで、その、壁に——顔が出ててさ……」
父の倒れていた正面の壁には、当時と同じように大きな染みが浮いていたのだが、それがどう見ても人の顔になっていたというのだ。
人好きのしそうなふくよかな表情。
三分の一ほどは布巾か何かで消そうとしたような跡があったが……
それは、巨大なやらいさんの顔だった。
壁を印画紙にしてそれを焼き付けたのかのように。
「こんなの、いつから……」と母が小さく横でつぶやくのを、Aさんは呆然と聞いていた。
……その後、親戚の人々へもう一度やらいさんのことを確認したところ、彼らの方は、あのときやらいさんの噂を調べて呼んできたのは、Aさんの両親だと認識していたことがわかった。
Aさんの母とは、当然ながら押し問答になったが、結局のところ、互いが互いの呼んだものと思い込んでおり、どこから呼んだどういう人なのか、誰も知らないということが判明しただけだった。
「やらいさんのことを思い出してからさ。
瞬きして、いなくなった瞬間のあの感じ——
あれがずっと忘れられなくてさ。何かの錯覚だって思うんだけど……
あのとき聞こえた声だって……。み、見ぬふりせよって……
……これ、これってさ、これで終わった話なんだよね?」
——それに答えられる者は誰もいなかった。
メモ
Aさんにくだくだと言うわけにはいかなかった明らかな蛇足ではあるが、二点ほど、僕(怪談を収集している余寒さん)の感想を書き留めておきたい。
この不可解な一言に近い事例としては、江戸時代の『怪談老の杖』という本に紹介されている有名なエピソードがある。武家屋敷に現われた正体不明の一つ目の子どもが、悪戯を人に見咎められたときに「黙っていよ」と発したという。ある意味そこだけで完結している不気味なエピソードで、シチュエーションはまったく違うが、何か今回の体験談に近い忌しさを感じさせる。
もうひとつ。やらいさんの名前——これを聞いてすぐ思い浮かぶのは「鬼やらい」だろう。追儺とも言われ、節分の豆まきと関連づけて語られることも多い、鬼を追い払う儀式や行事の呼び方だ。かの人が、家の中を歩き回っていたというのは鬼追いの光景に重ねられないことはない。
しかし、それなら、やらいさんはなぜ家の外ではなく内側を終点にしたのだろうか……
追儺において鬼を追う役柄が時代をくだるごとに、やがて追い払っていた鬼そのものと混同されてしまったという事実もいささか気味悪く混同されてしまったという事実もいささか気味悪く符合してくる。
ただ、そもそもが名前の聞き間違いだと考えれば、いずれもただのこじつけであり、どこまで行こうが僕の考えにすぎないのでこれ以上は掘り下げないでおく。
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