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【怖い話】 禍話リライト 「書き物の先生」

これは、子どもの習い事が、かろうじてまだ一種のステイタスだった昭和の話だ。
当時高校生のヒグチさんには、中学生の弟がいた。
弟はよく「オカモトさんの家に行ってくる」と、どこかに出かけていく。
ヒグチさんは、「オカモトさんの家」が何なのか知らなかったが、おそらく習い事だろうと思っていた。つまり、自宅で書道教室やピアノ教室を開いている家だ、と。
もちろん、友だちの家かもしれない。単純に「オカモトさん」という呼び方が、友だちというより目上の相手に思えたので、そう理解していた、というだけのことだ。いずれにしても、両親は知っているはずだった。
だが、ある日曜日、家にいた父親がたずねた。
「おまえよくオカモトさんの家に行くって言うけど、それどこだ? 家には来たことない友だちだな」
「あれっ、習い事じゃないの?」とヒグチさん。
「え、誰も知らないの?」と母。
弟以外の三人が目を見合わせる。
家族の誰も「オカモトさんの家」について知らなかったのだ。
ところが当の弟は、家族の混乱を気にするでもなく、質問にも答えず、さっさと出かけてしまう。そんな弟の態度に少し違和感を覚えた。
「友だちじゃないのか?」
「習い事かと思ったけど」
「いや、知らない知らない。そんなの行かせてないよ」
「オカモトさんって誰?」
その後、家族の情報を突き合わせてわかったのは、

  • 「オカモトさんの家」に行き出したのは、2、3ヶ月前から。

  • 日曜日の午前中に一時間くらい行って帰ってくる。

という程度のことだった。
携帯電話が普及する以前のことだから、連絡を取ることもできない。
「いつも一時間くらいで帰ってくるから」と父親は笑って言ったが、表情は堅い。
「帰ってきたらちゃんと聞かないとなあ」と心配そうだ。

一時間ほどして、弟は、何事もなかったように帰ってきた。
昼食時に父親が代表して質問することになり、
「オカモトさんって、どこに住んでるんだっけ?」と何気なく聞いた。
「裏の通りを曲って三軒目の……」と弟が答えたのは、ごく近所の家だった。
はじめは「うんうん」とうなずいていた母親が怪訝な表情になり、
「裏の通りを曲って三軒目……。そこって、空家じゃない?」と口を挟んだ。
弟以外の三人がまた顔を見合わせる。
和やかな昼食が急に恐い雰囲気になったが、気にしないふりをして、
「それはいいけど、オカモトさんのところで、おまえは何をしてるんだっけ……?」と父親が訊く。
弟は、昼食の生姜焼きをほうばりながら
「書き物」と答える。
「書き物……?」と父が変な顔をした。
書き物……今時聞き慣れない言葉だ。
「書き物って習字とかじゃなくて……」
「うん、書き物」とつづけて白米に箸を伸ばす。
当たり前のようにそう言った。様子にも特段変わったところはなく、昼食後はいつものようにゲームをしている。
ふいに父親がヒグチさんをつかまえて、
「これから、その空家に行ってみない?」と言った。

○○○

言われた場所は家の近所で、改めて見てみれば、ヒグチさんにも見覚えのある家だった。
近くで見れば、空家なのはすぐにわかった。廃墟というほど崩れてはいないが、カーテンもなく、荒れた庭や、錆びて封鎖された郵便受けの様子を見れば、少なくとも半年以上は誰も住んでないように見える。当然ながら正面玄関には鍵がかけられており、ガチャガチャと回しても開きそうにない。
「鍵がかかってるよ」
「こっちに、人の通った跡が……」と父親が裏に回る。
「開いてるぞ」
裏の勝手口の鍵が開いているのを見つけた。当然ながら電気は通っていない。日中で家の中も多少は明るいが、家から持参した懐中電灯が役立った。
恐る恐る照らしてみるが、一階はどこも埃だらけで、人が使っている様子はない。空家ではあったが、少しは家具が残されているようで、ぽつんとテーブルや椅子などが置かれている。中途半端に家具が残っている状態だった。
一階をざっと一通り見た後、二階に上がると、
「ここじゃないか?」と奥の部屋を指して、父親が言う。
広めの和室に木製の黒い長机が置かれ、両脇に古びた座布団が敷かれている。その部屋だけは埃も少なく、最近人が足を踏み入れた気配があった。
「ん?  何か落ちてる」
部屋の隅にゴミ箱が置かれており、そこに丸めた和紙がいくつか入っていた。
ヒグチさんは紙を広げる。「何て書いてあるんだろう」
父親も横から懐中電灯で照らして首をひねっている。
おそらく日本語の文字だというのはわかったが、いわゆるミミズがのたくったような下手くそな筆跡で、何が書いてあるのかは一向にわからない。おそらく筆で書かれたものを、シャープペンシルで写しているのだが、元の字が草書体のような古い書体な上、元の字を知らない人間が形だけを真似して書いているせいで、余計に解読困難になってしまったという印象だ。
「これが書き物?」
「これはいよいよおかしいな……」と父親が一枚持ち帰った。

家に帰った後、恐る恐る父は、ゲーム中の弟をつかまえて
「ちょっと、書き物について聞いていいかな?」と声をかけた。
「うん」と弟が、ゲームの画面を見ながら答える。
「3組のスズキとか、二年のタカハシ先輩もやってるよ」と何人か同じ中学校の生徒をあげる。
「書き物ってこういうのか?」と父が紙片を突き出した。
弟がうなずく。
弟があの空家に通っていることは、これでほぼ確定した。
「これって何を書いてるんだ?」
「えー、全然わかんないけど、オカモトさんが書いてみろって」
「オカモトさんってどういう人なんだっけ?」
「……先生」
「先生ってどんな人だ?」
弟がゲームから目を離し、横に立つ父親を見上げる。困惑といらだちの入り混じった表情だ。
「先生は先生だけど」
「いや、そういうことじゃなくて、性別とか年齢とか……」
「女の人だけど、年齢はよくわからない。何? なんでそんなこと聞くの?」と明からさまに不愉快そうになる。
「いや、いいんだ。とにかく、勉強がおろそかにならないようにな」とよくわからない小言のようなことを言って、その場はそれきりになったが、父は明らかに怖がっていた。
どうすればいいのかわからないのはヒグチさんも同様だ。
「これは誰に相談すればいいんだ。警察? お祓い?」
父とヒグチさんは「書き物」の紙片を見つめる。
「あの家、誰もいなかったしなあ……」
これは、そもそも人間の仕業なのか。
ふたりが頭を抱えていたところに訪問客があった。近所に住んでいる母の友人のサトウさんが遊びに来ることになっていたのだ。
来客ならとりあえず場所を移すかと思って、父が紙をもって右往左往しているところに、サトウさんが挨拶に入ってきた。
「こんにちは」とお辞儀をして、手土産などを渡しながら、
「あら、どうしたの? だめよそんなもの持ち歩いて」
まるで、それが何なのかを知っているような口ぶりだ。
「え?」と驚く父にサトウさんが言う。
「縁起でもない」
書に詳しい人だったらしいサトウさんは、和紙を指差しながら
「それ戒名でしょ? 全部は読めないけど、ほらこの字……」と説明してくれた。
「戒名って、あの死んだ人につける名前……」
「ええ、どなたかの戒名でしょ? お葬式?」
その場は「いやーすいません」とごまかしたが、戒名を持ち帰ったと知った父は、
「うわー気持ち悪い」と言いながら、すぐに灰皿で燃やしてしまった。

○○○

「これは、本当にまじめに聞かないと」と父親がさらに弟に問いただしたところ、最初のきっかけは、やはり二ヶ月ほど前のことだったそうだ。
学校からの帰りが少し遅くなった日、夕暮れの薄闇に沈む街路で、薄暗がりにまぎれて、ふいに自分を呼ぶ声が聞こえた。見れば、あの家の前で見知らぬ女性が手招きしている。それで、家に招かれたのが最初だった。
家に入ると、和紙を渡され、先生の前で、見よう見まねで書き物をした。
先生は「習い事」じゃなくて「手習い」のような難しい言葉を使っていたらしいが、
「こういうのは決まった時間にやった方がいい。いつもは日曜日のこの時間にみんなでやってるから」と言われ、それ以来通っている。
それを聞いて父親はなおさらゾッとした。
「やってるのは書き物だけか?」
「うん、いつもみんなで書いてる」
「何を書いてるのかは……」
「それはみんなわからないって」と弟は笑った。
「あの家に行くと、いつも眠くなっちゃって、あんまり覚えてない。もっとまじめにやらなきゃいけないかなあと思うんだけど」
「そうか……」と父は腕を組む。
これまでの経緯から、下手に反対すると反発しそうな気配があったため、父はひとつの策を講じた。
「おまえにはあまり言ってなかったけど、お父さん今、経済的に厳しくてな……。月謝が払えないんだ」
もちろん口から出まかせの嘘だ。
「だから、オカモトさん、おまえだけ無料でやってくれてるんだよ」
どうしてそんな理屈が通じたのかはわからないが、弟は目を丸くして、
「えっ! タダでやってくれてたのか……」と驚く。
ひょっとすると、月謝が必要ないはずはないことには自分でも薄々気になっていたのかもしれない。
「だからな……」と父は神妙な顔で付け加える。
「このままつづけるのは先生に申し訳ないと思わないか? おまえも中学生なんだからその辺考えてあげないと」
「うん……」と弟はうなずいた。
「だからオカモトさんのところに行くのは、もうこれっきりにしてほしいんだ。先生にはこっちで言っておくから」
よくこんな嘘が通用したなと思ったが、「先生に申し訳ない」という理屈は受け入れやすいものだったらしく、弟はすんなり提案を受け入れた。次の週からは、弟が日曜日に出かけることはなくなった。
母親にも事情は説明し、
「えー、何だか気持ち悪いねえ」と言い合いながらも、ヒグチさん一家は内心ではホッとしていた。

それから一月も経たない頃のことだ。
地域で弟と年齢の近い児童が亡くなった。名前を聞いて、ヒグチさんはドキッとした。
二年生のスズキくん。弟が、一緒にオカモトさんの家に行っていたと言った生徒の名前だった。
死因などはわからないし、もちろんただの偶然かもしれない。
葬儀には近所の人は呼ばれず、家族だけで内輪で開くという。両親によれば、
「あれは、何か事情があるんじゃないか」ということだった。

後に、母が近所で噂を聞く機会があったらしい。
「ほんとにねえ……」と、事が事だけにお互い言葉少なに会話する。
「元気な子だったらしいんだけど、難しい年頃ねえ」
相手の方は、どうも事情を少し知っている様子だった。
「問題なんてぜんぜんなさそうに見えたらしいんだけど」
自殺をほのめかす言い方だ。
「自分の戒名を用意していたなんて……」

○○○

蛇足だが、リライト制作者の解釈を少しだけ記す。
以前、この話を口頭で喋ったおりに、「自分の戒名を書かされていたのか」と解釈をした人がいた。これもありえなくはないが、別の可能性として、筆写していたのはどこかの誰かの戒名だったのだが、最後にはそれが自分の戒名になってしまったという解釈もありえるのではないかと思う。
後者の方が嫌だなと思ったので書き残しておく。


この記事は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」で放送された怪談をリライトしたものです。

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/736451141

2022/06/25放送分「元祖!禍話 第九夜」30:59-

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