見出し画像

【怖い話】 禍話リライト 「黒い着物」

いわゆる実話怪談や体験談の中には、これは本当は、もっと長い物語のほんのさわりの部分なのではないかという予感を与えてくれるものがある。
この黒い着物の話もそのひとつだ。ただし、この話に関しては——あくまでわたしの受けた印象にすぎないが——もしすべてが語られていれば、本来は、いわゆる「感染系」の話(聞いた者に影響を及ぼす怪談)なのかもしれないと思わせる要素がある。
だが、幸いにも、この話が感染したという噂は聞かない。それはひょっとすると何か重要な細部が欠落しているせいなのかもしれないし、あるいは誰が語るかが問題なのかもしれない。
もちろん感染しないならしないで、それ以上の背景を詮索すべきではないのだろう。
だが、いずれにしても、何らかの「影響」がありえることを、あらかじめ注意喚起しておきたい。


当時高校生のヤマダさんが、小学校の夏休み自然合宿にボランティアとして参加したときの話だ。
夏休みの一日を利用して、小学生と、父母やボランティアらが山の中の施設に泊まり込んで開催するイベントだ。
夜の催しのひとつとして怪談会が開かれたが、これが一向に盛り上がらなかった。
怪談会を言い出した父兄のひとりが流れで担当者を任されたが、言い出しっぺのわりにその手のセンスに欠けた人だったらしく、用意した怪談はどれも不発に終わった。話はどれも、「紙がない」とか、どこかで聞いたことがあるお馴染みのものばかりで、決めゼリフで怖がらせるといった技も特になく、肝心の怖いセリフでつっかえてしまうあり様だった。
何人かの生徒は、退屈して小学生同士でふざけ合いをはじめていた。見るに見かねた他の父兄が語りを引き継いだが、弛緩した空気を変えるほどの力はない。
「え、次話す人、誰もいないの?」とニッタさんがそこで口を挟んだ。生徒の父親のひとりで、年は三十代半ばというくらいだろうか。面倒見がよく、ヤマダさんも合宿の間、何度か世話になったおじさんだ。
「じゃあ、あの話をしようかな……」と、ニッタさんが少し困った顔で言う。「怖い話っていうか、これ、俺にとって怖いってだけなんだけどさあ」
つまり、自分の体験談なのだろうか。
それならちょっとおもしろそうかも、とヤマダさんは少し興味を引かれた。
「ぜんぶ夢の話だから、別に怖くはないと思うけどさ……」
ゆっくり喋ってはいるが、言葉に詰まることもなく、すらすらと語る。
これは随分と語り慣れているんじゃないか、という印象を受けた。

——よく見る夢があるんだ。

六畳くらいの古い和室があって、部屋の真ん中に敷かれた布団の中に、俺の妹——実際には俺には妹なんていないんだけど——が寝かされているんだ。部屋の奥には襖があって、反対側には障子があって、障子の向こうは外廊下に面している。それは俺の記憶にあるどんな部屋とも違うんだけど、夢の中ではよく知っている場所らしい。
きっと、これは時代も昔の話ってことになっているんだろうな。妹も俺も着物を着ているんだ。布団に寝かされている妹は、頭には氷枕を乗せて、病気で熱があって伏せっているような感じだ。
俺は妹のことをすごく心配していて——実際にはいない妹なんだけど——、「大丈夫か? 大丈夫か?」と声をかけながら看病している。額に手を当てると、頭がすごく熱くなっていて、慌てて氷枕を変えたり、水を運んできたり。
そのうち、妹がぶつぶつ何かを言うんだ。最初は、言葉じゃなくて「うー」とか「あー」とかうめいているだけなんだけど、それがだんだんと意味のある言葉に変わってくる。ぼそぼそとうわ言で何かを必死に伝えようとしているんだけど、どうしても小さな声で聞き取れない。何を言ってるんだろうと、耳を近づけると……
「……お兄ちゃん、捨てて……あれを捨てて……」
そんな感じで、とにかく何かを捨てろと言う。
「……何を捨てればいいんだ?」と聞くと、
「箪笥の中に……箪笥の中に……」と妹が部屋の一角を指差す。
すると、その指の先に箪笥がいつの間にか立っている。さっきまでそこには何も無かったはずなんだけど、まあ夢の中だからな。布団の向こう側の、襖をふさぐような場所に、子どもの背丈を少し越えるくらいの大きな桐箪笥が置かれている。
「お兄ちゃん、箪笥の中に黒い着物が一式あるからそれを捨てて……お願い……
お兄ちゃん、箪笥の中に黒い着物が一式あるからそれを捨てて」妹は小さな声で何度も繰り返す。
だから俺は……箪笥の中身をかき回すんだけど、一段目を見ても二段目を見ても、抽斗に入っているのは普通の着物ばかりで、黒い着物なんてどこにも無い。
「黒い着物……が無い……」
「もっとちゃんと探して……あるはずだから……」と熱にうかされた妹が繰り返す。
「無い、無い」絶望的な声で俺が言うと、
「あるはずだよ。こんなことになる前は、そこにあったんだから……」
絶対に見つけないとと、焦って何度も抽斗をかき回しているうちに、ふいに部屋の反対側の障子の向こうから誰かの声が聞こえてくる。
それは嫌な感じのしわがれた中年の男の声で、絶対に他のところでは聞き覚えがないけれど、はっきりと今でも思い出せるくらい特徴的な声なんだ。
そいつは障子の向こう側に立って喋っている。
「……大丈夫だよ……黒い着物なら、ほら、お父さんがもう着てるから……大丈夫だよ」
決して障子を開けようとせず、影だけが向こうに透けて見える。障子の向こうで影がぼんやりと左右に動く。
——あれは、父親じゃなくて、父親のフリをしている別のやつだ。
なぜか、俺にはそれがわかっている。
「……大丈夫……黒い着物なら、お父さんが着ているから……これは……怖いものじゃないんだ……」
俺は障子の向こうをにらみつける。
妹は怯えて「どうしよう……」と言う。
「あれはお父さんじゃないよ」
あれが偽物だってことは妹にもわかっているみたいだ。
「……黒い着物は、お父さんが着ているから……そんなに避けなくても大丈夫だ……」
俺は障子に手をかける。このまま開けて正体を暴いてやろうか。
でもそこで迷いが生まれる。
このまま障子を開いていいのだろうか。そもそも障子の向こうにいるあれはいったい何ものなのか……。本当に人間なのか。
迷って妹の方を見ると、
「お兄ちゃんに任せるよ」と妹が言う。「開けるの? 開けないの?」
どうしよう……。
このまま障子を開けてもいいものだろうか。
「開けるの? 開けないの?」
開けようか、開けまいか。
「……大丈夫だよ」
またあの嫌な声が……


「それでどうしよう……ってところでいつも目が覚めるんだ」とニッタさんが夢の話を締めくくる。
「夢の話だから」と謙遜していたが、不吉な雰囲気のある話で、子どもたちも静かに聞き入っていた。中にはひどく怯えた表情の子もいる。
「いや、何だかまったくわからない夢なんだけどね。俺には妹なんていないし、箪笥も黒い着物も知らないし。俺の親父もあんな声じゃないしさ。君たちにはぜんぜん怖くなかったと思うんだけど……」ニッタさんは、さっきまでの真剣な様子とは打って変わって、ざっくばらんに語りかけた。
子どもが口々に「怖い」と感想を伝える。
「えっ、怖かった……? まあ怖かったなら良かったけどな」

そこで怪談会はお開きとなった。
子どもたちは消灯時間となり、引率者だけで別の部屋に集まってささやかな慰労の懇親会が開かれた。
これで今年の合宿もほとんど終わり。後は明朝解散して帰宅するだけだ。
開放感に包まれながら、大人はビール、未成年はジュースとお菓子で乾杯する。
黒い着物か。
なんだか奇妙な話だったな。
そう思って何気なくニッタさんの方を眺めた時に、ふっと目が合った。すぐに目をそらしたが、その視線の感じに違和感を覚える。じっと見つめる感じというか、どこか警戒するような様子でニッタさんは周囲に目を光らせていた。
何を警戒しているんだろうか。
気になって、懇親会の間、ちらちらと何度かそちらに視線を向けたが、やはり何度も目が合った。ニッタさんは喋りながら、それとなく周囲の様子を探っているように見える。
トイレに立ったあと、戻り際に、
「ねえヤマダくん」と、ニッタさんに声をかけられた。
「まだしばらくここにいるよね?」
「ええ」とヤマダさんはうなずく。
若いから夜は強いだろうという理屈で、高校生のヤマダさんは夜の見回りを任されていた。
「眠くなっちゃったから、もうそろそろ寝ようと思うんだけど、誰か変なことを言っている人がいたら教えてくれないか? その時は起こしてくれていいから」
「変なこと?」
変なこととは何だろうか。
「見て、様子がおかしいなと思ったら教えてくれればいいよ」
ニッタさんは、開いた右手を顔の前に立てて、「お願い」と頼んだ。
何だかよくわからなかったが、ヤマダさんは引き受けた。

酒癖の悪い人でもいるのかなと思ったが、その後も、羽目を外すような人は現われない。ほとんどが大人ばかりだったし、皆静かに会話を楽しんでいるだけだ。
ぽつぽつと寝室に引き上げる人たちも出てきた頃だ。
サトウさんという二十代くらいの母親が、隣の人に何かを耳打ちしている。
「そうかな……。まあそうかもね」と声をかけられた人は、少し困惑したように答えた。
つづけて、サトウさんは反対側の隣の人にも何かを囁く。
「うーん、まあそうかなぁ」
どうも周囲の人々に声をかけて回っているようだ。
今度はヤマダさんが肩を叩かれる番だった。
「ねえ、さっきのニッタさんの話なんだけど……」と耳打ちされた。
二時間以上も前の話を今さら蒸し返すのかと訝しむと、サトウさんは微笑みながら、
「黒い着物って、あれ、喪服のことよね」と秘密めかして囁いた。
喪服……。
確かにそうかもしれないが、なぜそんなことをおもしろそうに言うのだろうか。
よくわからないまま「はあ、そうですかね」と気のない返事をすると、今度は反対側の誰かの肩を叩いて、やはり同じように耳打ちする。
「喪服よね……」
全員に言っているのだろうか。なぜそんなことを触れ回るのだろう。
そこでようやくヤマダさんは気がついた。ひょっとしてこれが「変なこと」か。
確信はなかったが、念のため報告に行くことにした。
予告通り、ニッタさんは布団をかぶって静かに寝息を立てている。起こすのは忍びなかったが、肩をゆらして、
「すいません」と声をかけた。
「ああ」とニッタさんが薄く目を開けた。
「あの、サトウさんの奥さんが、ちょっとおかしくて、さっきの話は喪服のことじゃないかって言って回ってるんですけど……」と報告する。
「えー、サトウさんかぁ」とニッタさんは横になったまま言った。
「教えてくれてありがとう」とだけ言って、再び布団にくるまってしまう。

次の朝。
合宿はつつがなく終了し、引率のボランティアも午前中で解散となった。施設の入口で、仕事を終えた心地良い疲労感にひたっていると、
「ヤマダくん、この後ヒマ?」とニッタさんに声をかけられた。
「もし良かったら、帰りに手伝ってほしいんだけど」
「いいですよ」と返事をする。
まだ片付けでも残っているのだろうか。
「これからサトウさんの家に行く」
「サトウさん?」
ニッタさんは「ああ」とうなずいただけで、ろくに説明はしてくれない。
ひょっとして昨夜のことだろうか。
よくわからないままサトウさん宅まで同乗した。
「ちょっとドアのところで待ってて」
そう言って、ニッタさんは、ヤマダさんを玄関に残し、インターフォンを鳴らす。若い男女が顔を出した。男性の方は合宿には来ていなかったが、おそらく夫だろう。
「あら、こんにちは」
「お邪魔しまーす」と何だか陽気な調子でやりとりし、家に入って行った。
しばらくすると、ニッタさんとサトウさん夫婦がいくつものゴミ袋に服を山のように詰めて戻ってきた。
「結構ありましたね」とニッタさんが、一緒に戻ってきたサトウさん夫婦に声をかける。まるで古服回収業者にでもなったような調子だ。
サトウさん夫婦の言っていることはひどく奇妙だった。
「うちでもなんでかわからないんだけど、いつの間にか黒い服ばっかりになってて」
「そうなの。なんで黒い服ばっかりこんなに集まったのかねぇ」
「まあよくあることですよ。これはこちらで回収しておくんで大丈夫です」とニッタさんは話を合わせた。
「本当にありがとうございます」とサトウさんたちが頭を下げる。
「ほら、ヤマダくんも持って」と袋を渡された。
言われるままに袋を車に積む。すべて積み終えると、ニッタさんが車を出し、サトウさん宅を去った。
「あの人たちには、これが黒い服に見えてるんですか……?」
ゴミ袋に詰められた大量の服。
白いTシャツ、茶色のカーディガン、紺色のジーンズ。いろいろな服があったが、黒い服は一着もない。
「ああ……」とニッタさんは無表情のまま肯定した。
合宿には行ってない夫までが幻覚を見ているという。
「これどうするんですか?」
「俺の責任だから、ゴミの日に出しておくよ。とりあえず家まで運ぶのを手伝ってほしい」
ニッタさんの家まで服を一通り運び込んだ後、ヤマダさんも自分の家まで送ってもらった。
車が家を去る前、何かもう少しだけ聞いておこうと思って、
「あの、前にもこんなことがあったんですか?」とヤマダさんはたずねた。
ニッタさんは、奇妙な表情に顔を歪め、
「ああ」と言った。
「こうすればいいって知らなかったもんだからさぁ」
悲しそうにそれだけを言うと、ニッタさんの車は去って行った。


この記事は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」で放送された怪談をリライトしたものです。

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/736451141

2022/06/25放送分「元祖!禍話 第九夜」1:15:20-

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?