内田春菊さんのエッセイ漫画を読んで
私は日々、LINE漫画で無料で読めるものを読み漁っている、時々課金もする。今は内田春菊さんの「すとまとねことがんけんしん」という作品が好きで読み始めた。
これを読むまで知らなかったのだけれど、内田春菊さんは直腸がんで人工肛門(ストーマ)を造設されたオストメイトさん。この漫画はストーマのある生活、検診・検査のお話が淡々と描かれている闘病日記。そこに大体中間くらいで、今飼っている猫や昔飼っていた猫の話が入り込む。この話に猫要素は必要なのか?と思われるが、がん患者のめまぐるしい体調や心情とそれを煽るかのような検査→結果→行動の忙しなさは一口では語れないし、がん闘病しているとはいえ一人の普通の人間である。そういった日常と非日常の混在したカオスな雰囲気がよく現れている漫画で、話があっちこっちに飛んだり戻ったりする感覚がふわふわして、私は読んでいて気持ちがいい。
だけどこのカオスさ、なぜか出てくる猫の話(そして大体動物がひどい目に遭う話も多い)が、コメント欄では「読みづらい」と大変に不評。その中でも内田春菊さんの作品をよく読まれているであろう方のコメントには「内田春菊さんのエッセイに闘病と猫は付き物」と、慣れている様子。こういうものだ、と割り切って読める私のような人と、読みづらくて文句を言いたくなるくらい苦痛(またはいちゃもんつけたいだけ)の人がいるらしい。個性があるからこそ賛否両論となるんだろうし、人の中に何かしらの感情を生み出すという意味では、コメント欄の荒れっぷりを見るたびに才能あふれる漫画であるなぁと感心している。
この漫画の話の飛び方について、中でも目を引いたコメントが2つある。
・夢を見ているような話
・ADHDの頭の中みたい
このコメントを見て、私が読みづらくない理由がわかった。そうか、私の頭の中の展開と似ているんだ、と。
私のnoteも、大概読みづらいと思う。書いている時はそれなりに整頓しているつもりし、道筋の通りに書いているのだけれど、読み返してみると話のとっ散らかりっぷりにびっくりしてしまう。おそらくADHDの人(ならびに疑いの人)の頭の中の道筋自体、寄り道ありきの思考展開になっているせいなんだろうなと思う。
内田春菊さんがADHDかどうかは知らないけれど、こういった話のとっ散らかりっぷりを「別におかしくないけど?」と思うかどうかに、自分の脳や思考の癖について発見できるものだなぁと興味深く思った。
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