平和的で穏やかな幸せは長く続かない

「平和的で穏やかな幸せって、長く続かないよね」と尊敬するセラピストさんと話していた

確かに、そういうもんな気がする

人が成長していくのであれば「課題、苦悩、乗り越え、許容や諦め」が人生のほとんどを占めるであろうし、平和的な幸せとはその後に訪れる副産物なのかもしれない

要は、"平和的で穏やかな"幸せとは人生のオマケなのである


「課題、苦悩、乗り越え、許容や諦め」
これらは体感的には辛い
しかし成長していることそのものでもある

人生の景色が目まぐるしく変わっていくこと、自分は止まらないでいることの証、自分はいかようにも変わっていけること、一人の人間でありながら様々なことを人生において体験できる可能性を秘めていること…

もしかしたらこの【変質していくこと】自体が、魂にとっては幸せなのではないか?

だとしたら、幸せになるために生きるとか、幸せを追い求めるって言葉は、なんだかチグハグに感じてしまう

幸せはなるものではなく、なっているもの
幸せは追い求めるものではなく、今すでにあるもの

【平和的で穏やかな幸せはオマケ、辛く険しく乗り越えていくこの繰り返しそのものが実は幸せなのだ】と今一度幸福の定義を書き換える

そうすると「やるしかねぇな」と思える
もう自分から逃げられないなと思える

全てはもう用意されていたのに、自分が好き嫌いをしてはそれらを手に取っていなかっただけだと気づく

一気に足腰と丹田に力が入り、人生に本腰入れて挑もうと思える

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