スピリチュアルはそっとしておけ

「目に見えないけれど
 心も魂もある
 
 肉体に巡りがある限り
 肉体が成長をやめない限り、
 その肉体を通して
 目に見えぬ心や魂も
 同様に震え成長している」

と、思っている


基本的に
巡りが死ぬと
肉体は死ぬ

意思表示ができない
身動きができない
寝たきりの方でも

爪は伸びるし
髭は伸びる

それは手足など末端の細胞にまで
酸素や血液が巡るから

細胞が死ぬと壊死が起こり、
皮膚は黒く干からびたようになる

それがない限り
どんなに自発的に動けなくても
肉体は、人は、生きているのである


意思表示ができない状態とは
精神的に病んでしまった時にも言える

ひどいうつ状態では
身体が思うように動けなくなり
思考も上手く働かないが
生きている

何も考えられないようで
後になって整理がついたりする

その時々何を考えるとか
何を発するとか
思っているかが明らかでなくても
その時、思考は、心は、動いている

また、寝ている時でも
脳はその日の記憶の整理をして
夢を見たりする

何を発した
何を行動した
そういうものがなくても
肉体は、人は、生きていると言える


だから私たちは
意思疎通がはかれない人にも
「生きている人」として
尊厳を持って
最期まで接するべきだと
言われるのかもしれない


ただ、難しいのが
尊厳を持つというのは
どこまでを言うのか?

「こうして欲しいだろうな」
「あぁして欲しいだろうな」

それを察して行動するのは
思いやりであり
エゴであることを
私たちは忘れてはいけないんじゃないか

本人が「やってほしい」と頼んでいないことに関しては、それをサポート・ケアする者の意思を反映させている自覚を忘れてはいけないんじゃないか

正解はない
だけどやるべきこと
だから難しい

これは赤ちゃんのお世話をする大人にも言えるかもしれない


意思疎通がはかれない方に
尊厳を持って大切に接することは
自分の「こうだろうな」という
エゴベースのイメージありき

「見えないもの」を
自分の中の「分かるもの」と反映させて
その答えはないまま
「あるもの」へと確証させて
現実化させていく

答えが出ない時
人はスピリチュアル…
いわゆる「目に見えないもの、主に精神性に繋がるもの」を
味方につけるようになる


ちょっと話は変わって

私たちの文明がこのまま進んで
AIとコラボしたら
「死んだのにまだ意思表示ができる」
ということが起きてしまう気がする

chatGPTとか使ったら
もうこの世にいないのに
本人がまるでいるかのように
代弁するなんらか…とか生まれてしまう気がする

実際にSNSではbotと言った自動発信するものなどもあるから、
現実的に「もうある」とも言える

(ただbotは一方的なコミュニケーションだから、意思ではなく機械だと割り切れる)

まぁそこまでいかずとも
「肉体は動かなくても、心臓の鼓動や網膜の動きをセンサーで感知、これまでのデータをもとに、感情表現を実行する」
とか、そんなのはリアルに作れちゃいそうな気がする

その末に「肉体は死んだけれどAIとして生きる」とかは、全然ありえる未来だろう

倫理的にどうか、はさておき


そうなるともう
「あの人の肉体は死んでしまったけれど、心はここにある」みたいなものを冒涜しそうだし

「仏さま」という概念も辛くなる

心や魂や死や
過去世などは

目に見えないもの、
確かめられないもの、だと

潔く割り切るからこそ
思いを馳せる自由を与えられる、許されるものなのかもしれないなぁと思う


スピリチュアルを科学で解くとか
そういうものもありそうだけど
いささか野望な話しである

目に見えないものは
答えを出さず
自分の中で確証させるもの

目に見えないものは
実証できないフワフワした状態だからこそ
「アリ」になるもの

なんかそういうものなんだろうな、と思った

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