めんどくさいファンとなった自分の嫉妬、からの考察

これはインスタで人と繋がって触れ合うのは好きだけれど、その思いを自分の中で拗らせてしまうSNS下手くそ人間の嘆きである


インスタでサービスをしている人の中には、ビジネスアカウントを持っている人が多いと思う
私もその一人である

私はビジネスとプライベートの使い分けができるほど器用ではないので、公私混同したビジネスアカウントとしてこれまでインスタを楽しんでいた(ビジネスのやり方としては多分怒られてしまうやつ)

このアカウントで出会うフォロワーさんは、ビジネス・サービスを通して知り合うことが多い
その中には「もうサービス云々よりも、その人のファンになってしまった、その人の人柄が好き、この人がどんなサービスをやっててもいい、今後もその人の人生を応援したい」という気持ちを私が抱いてしまうことが多い

そう思えるくらい素敵な人柄な人たちと出会えたのは幸せである

しかしそうなると厄介なのは私のその後の内面である


今度はその方の行うサービスやその告知よりも、その方の人柄やその人らしさにつながるもの…要はプライベートの方が見たくなってしまう

さらりと流れるプライベートを見ては「わ!こんなカフェ行くんだ、似合う!」「旅行行ったんだ、楽しそうで嬉しい」と、まるで推しを愛でるような気持ちになる
(まんまとファン化ビジネス戦略にハマっている、お気軽な客である)

しかし一方でサービス告知が流れてくると「あぁまた告知か」と思ってしまう

その人はサービスをしているのだから、サービスのことやビジネスを拡大したい意図の見える行動が表現されるのは当たり前なんだけど、サービスよりもその方を見たい私からしたら(誠勝手なんだけれども)見ていて萎えてしまう

「なんか前はこんなんじゃなかったのになぁ」とか思っちゃって…
いやはやとんだウルセェ古参ぶった批評家野郎だ!

金も落とさず、
覗き見しては、
勝手に捻くれる

書いていて自分が気持ち悪くなってきた!


単純に私はもうその方のサービスのターゲット層ではなくなったという証拠であり、一生懸命サービスをしているその人からしたら私なんて面倒な存在なので、私がすんなり去れば解決なのである

でもその人自身のことは好きだからフォローも外したくないし見守り続けたい

だけど好きだから私は勝手に理想を抱いてしまって、その方の行動に心の中でジャッジメントをしてしまう

負のスパイラル


こういう厄介な野郎は、好きとか、応援とか、推しとか、そういう綺麗な言葉で自分の言葉を正当化しているからこそ相手を責めるんだろう

一生懸命やっている人を、やってもいない外野が文句の心を抱くなんて、ただの迷惑でしかないのにな


あぁ、人から(ひっそり)責められるのって悪いことをした時だけじゃないんだなぁ

これはいわゆる妬みや嫉妬の一種でもあるんだろうなぁ


人と人が入り混じると、それだけで勝手にカオスが完成するんだなぁ

SNSってその縮図だなぁ

自分の行動を省みてしみじみ思った



まだこの気持ちに気づいたのは最近であり、なるべくなら迷惑をかけないよう処理を自分の中でしていきたいなと思っているので、何か続きがあったら残してみようと思う

あー、やだやだ



追記(長くなります)


妬みが生まれたってことは、自分の中で「もっとこうしたらいいのに→私ならもっとこうやれるのに→私はこんなことやりたい!なのにあの人が先にそれに近いことをしている!」という思いがあるってことだ

私はそれらアカウントさんを見て何を思うのか?

あぁそうか、ビジネスアカウントでイキイキと活躍していることだ

私は今インスタでのビジネスにやる気がないけれど、吹っ切れていないんだ
まだやってみたいことがあったり、こうしてみようかな、という気持ちが消えていない

吹っ切れるため
または再起動するため
もう少し何かやってみてもいいんだろうな、と思えた

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