4年間自己内観・自己啓発をして変わらなかったこと

もう4年ほど、自己内観だとか自己啓発的なことをやってきた

私という人間を、時間をかけて、お金をかけて、仕事を辞めて環境まで変えて、一体どういうものなのかを見つけてきた

私は他人を見ては羨む事が多かった
あの人はあれができてすごいな
この人はこんなところが美しいな
それに比べて自分はなんてことなんだろう

自分の巻き起こしてしまう上手くいかない事柄について悩み、自分の生きづらい部分がなんなのかを細かく知ることで、そこを改善して、生きやすくしたかった

スピリチュアルだとか
自己肯定感や
HSPや
ADHDや
そう言ったものは私の悩みがなんであるか、私という人間がどういうものであるかを表現して、自分で理解し、人に伝えたり時には共有するにはとても便利な学びであった

でもこれは、理解と学びでしかない
私は生きやすくなりたい
大袈裟に言えば、生き方を変えたい、私を変えたかった

どうやったら私を変えることができるのか?
その答えは「私という人間は死ぬまで変わることはできない」だった


昨日、私は美容院に行って、雑誌をチラリと読んだ
うかたまという季刊雑誌で、今回は特集に食養生が載っており、これは手に入れて繰り返し読みたいなと思う内容だったので、購入目的で本屋さんに行った

うかたまは料理雑誌コーナーで見つけることができた

ふと見渡すと、お弁当や時短料理、子供が好きな給食メニューなど、私が常日頃悩んでいることを救ってくれるようなタイトルのついた料理本がたくさんあった

私はレシピの本を買っては、ほとんど読まずに処分することが多かった
断捨離をするたびに料理本は出てくる

断捨離をしてから久しぶりのこととはいえ、今回もポーッと見惚れては立ち読みをしてしまい「私は、4年前から何も変わっていないのか?」と、その時我に返った


でも、何も変わっていないわけではない
私は“今どうしてこんなにたくさんの雑誌が気になっているのか“を言語化することができるぞ!

「料理に悩んでいる」という大きなカテゴリーではなく、悩みの細分化ができる

・時短料理→台所にいる時間を短縮して別のことをしたい、やりたいことがある
・子供が好きなメニュー→子どもにご飯を残されてショックな私の気持ちを半減したい
・ホットクックレシピ→家にあるホットクックをせっかくなので使いたい

「料理」という入り口から、様々な悩みにぶち当たってしまい、解決法の異なる本に魅了されているという現象が起きているのだ!


と、まぁ私はこの4年のおかげで“自分というもの自体とそこから生み出される悩みの傾向“を知ることができた

4年かけて…傾向…

そう、私は4年かけても、ずっと私の悩みを解決させられていないのだ


それはなぜかと言ったら

・やりたいことが多い                       
・人に私の世話焼きを無下にされる(今回でいえばご飯を残される)と傷つく
・今あるものをできるだけ使いたいと思う

という、私の本質があり、おそらくこの本質自体は変化することがないから


本質、根っこ、根源的なもの、中枢で、核心的な部分


よく人は変えられないから自分が変わるしかない、などというが、私は自分すら変えることも難しいのではないかと思う

変えられるものは何かと言えば「自分に対する見方」「自分の思い描く理想や思い込み」「自分の行動」である


自分そのもの、いわば自分の本質は変えられない

だけど自分の見方を変え、自分の感じていること・感じやすいことを明らかにして、自分の描いている理想を現実的なものとし、自分の行動を変えていく、

ということはできる

本質という


変わらない自分が、変わらない悩みを抱き続けたとしても、よく見たらちょっとレベルアップしている

だけど人から見たら「また料理で悩んでるの?」と、大きく変わりはない

たぶん人って、きっと、ずっとそんな感じ

それは進歩がないのではなく、そこに関してとても敏感にセンサーが反応する部分であり、細かく磨いていきたいものがあるというだけな気がする

だから人は大きく変わらなくていい、小さくレベルアップしていけばいい、自分は自分だけのなんらかの専門となっていたらいい

他のことは他人がやればいい
そう思えてきた


私は、私として、変わりたかったけれど、それを諦めることにした
私は、このまま私であることを、許すことにした

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