朝顔と日本
子供が学校から持ってきた朝顔が
現在進行形でハダニにやられている
青々した葉から侵食され
どんどん枯れていく
次第に枯れた葉しかなくなり
それらにも執拗に付くハダニ
ハダニが湧く原因は日照りと乾燥が原因のようで
毎日水のスプレーをかけて撃退しているが
ミクロな敵はしぶとい
朝に水をかけても
夕にはまた増殖している
現在8月中旬
大量に朝顔が咲いたのは7月
おそらく朝顔の花が咲くピークは終わったのでしょう
これから朝顔は自然な形で
どんどん枯れていく
元々それが朝顔の寿命なのだと思われる
だけどこうして最期に
ハダニという病気のようなものに遭遇してしまうと
今の朝顔の状態は
寿命なのか
罹患による寿命の縮小なのか
ちょっとわからなくなっている園芸初心者の私
寿命であるのなら、そっとしたい
外であれば当たり前のように浴びれる
その程度の水をあげたい
(枯れた茎は学校で観察をするそうなので
捨てずに取っておくようにも言われている)
ただしハダニによる病気が原因で
枯れていく進行が早いのならば
ハダニを撃退してあげたい
なるべく本来の寿命な形での生き方を応援したくなる
寿命か、病気か、
どっちなんだろうと疑問に思いながら
そうして毎日
スプレーで葉に水をかけている
しかしハダニもこの世に生きていて
そこに朝顔がいて
日照りが続いているのなら
ハダニが湧くことも
自然界では当たり前の光景なんだよな
むしろ私という一人の人間が
朝顔だけを贔屓していること自体、
自然界にとっては不自然なんだろうとも思えてくる
プランターの中の自然界、とはいえ
あと、毎日見ていて少し悲しくなることがある
それは
根元の方からは少しずつ
新しい茎と葉が出てきていること
まだ現在進行形で朝顔は生きているということ
枯れゆく道のりにいながらも
新陳代謝をしている
まだまだ頑張っていること、を思い知らされる
だけどきっともう蕾はできないし
花は咲かせられないし
種はできない
ただ、葉があり
青々としたものが誕生していく、のみ
なんで今から新しい葉ができるんだろう?
葉があればひとまず光合成ができるよな…
だからこれは花を咲かせたり
種を作るためというより
単に命をながらえる役割の葉なのか?
園芸初心者なので役割がわからない…
不思議だけど
いっそのこと枯れていけばいいのに
もがいているようにも見えて、
勝手に切なくなっている
毎日見ていると
この朝顔の移り行く姿は
人の一生にも見えてくる
老衰していく高齢者
かと思いきや大病にかかる高齢者
自然な形での死、延命治療、
などなどと考えてしまう
毎日そんな妄想を続けていると
今度は日本と国民としての
長い道のりにも見えてくる
(いきなり重い)
ハダニが青々とした生命力に惹かれ
そこに寄生するのなら、わかる
だけど枯れた葉に
なおもしつこく寄生するハダニには
正直引いてしまう
「そんな姿になった者にまで、お前は付くの…?」と
そんなハダニは日本の中に潜む
「金を搾取するなんらか」に見えてくる
それは悪徳業者だったり
政府だったり
金を巻き上げ搾取できるところから
トコトン取ろうとする人たちの姿に見えてくる
こんな奴らに搾取されるくらいなら
いっそのこと一思いに
搾取される葉が消えたらいいのに!
そう思ってもそう思っても
健気に葉は生い茂っていく
それを見届ける傍観者は、
(朝顔でなら私、国なら国民は)、
「どんなに環境がひどくても命は続くのか」
「なんて素晴らしいんだ」と
特に手をかけなくても生まれてくる者に
無責任に歓迎をしては
喜んでしまう
全体的に酷い有様であるこの環境に着手をせずとも
命が生まれるこの仕組みに
「ラッキー」とすら思ってしまう
そうして勝手に
新しい希望に胸を膨らませる
「終わらない」ことの喜び
なんだかこれまでと変わらない方向に戻れそうな
これから改めて理想的な方向に向かえそうな
そんなハッピーエンドの予感を勝手に抱く
そんなところも日本に似ていて、ひどい
今の日本はひどいひどいと
SNSで悪口を言いながらも
選挙の投票数は伸びない
国に住まう私たちは
文句は言えるけれど
具体的に何か大きく変える動きはしない
その時々で辛いことが起きて
「こんな日本は…!」
「日本死ね!」と憤慨しても
皆それぞれライフステージが変われば
喉元過ぎて、熱さも忘れる
おそらくこの葉と茎からは
花も種もできない
新たに生命が誕生することは
新たなスタートの予感だとしても
「一旦リセットする」ための
生命誕生だとしたら?
朝顔を見ていたらそう思えてきた
これから生まれてくる日本の子どもたちが
私たち日本に何かをしてくれる力があるのだと
どうしてそう思ってしまうんだろう?
どうして手放しで喜べてしまうんだろう?
だって、
今は昔と、
時代も環境も違う
私たちが、
上の世代が、
一斉に向かった方向性や
活力を湧かせた時期に
ピークはあった
そしておそらく
もうピークは過ぎている
これからの時代
これまでと同じようになるとは限らないのだ
私たちと同じようなことを
子どもたちが頑張って取り組む
その可能性はあるのか?
どうしてそれを我々は
子どもたちが日本に生まれたというだけで
「この国のために、
また国のピークに向かわせられるよう、
是非とも頑張ってね」などと
身勝手に期待をしてしまうんだ
人として生まれて
生きる身体機能を持っていて
生殖機能を持っているのは
これから先まだこの国を
どんどん盛り上げていくためではないだろう
「国のために、一周回って、何もしない」
そんなことをするために
生命を誕生させる世代が現れていても
とっくにおかしくないんじゃないかと思えてきた
「今の若者は感性は良いが、実行力がない」
尊敬する人がそんな話をしていた
その実行力の無さは、
果たして本当に悪いものなのだろうか?
今の日本の状態は
現状にテコ入れしようとしても
もうどうにもならないお手上げ状態なのではないか
だったらいっそのこと
もう何もしない
枯れさせて
壊して
早めに次に向かう方がいい
そういう流れがあってもおかしくない
今生まれている命は
破壊と再生を担うために
その働きをする世代なのだとしたら
実行力をなくしてきたり
無気力さを備えているのは
今を生きるにあたって
非常に合理的なんじゃないか?
今これは書きながら整理しているので
文章としてチグハグだけど
なんだか朝顔を見ていたら
そういうことを思った
私はこの夏
朝顔が今後どうなっていくのか
引き続き観察する
そして日本がどうなっていくのかも
ベランダで一人勝手に
妄想しようと思う
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