周りに合わせたツケ

最近、インスタのプライベートアカウントを再開させて
リアルで会う友人4〜5人だけのフォローの中で過ごして
なんの説教じみたこともない好きなものだけ集めて眺めている

そうすると公私のメリハリがついて精神的に落ち着く

自意識過剰なほどの“見られているという意識“が減って
のびのびと過ごすことができる


あぁ今後どうしていこう
何かを残したい、作りたいな
そう思った時、何が私にはあるかなぁと考えた

だけどすぐに思いつかない
自信を持って「私だけの、これだ!」というものが、私にはない

私らしさが溢れる、私らしいものに、早く出会いたい
もしかしたらもう出会っているのかもしれないし
他者の方がわかっているかもしれない

だけど私には透明で見えない

多分当たり前すぎて見えない、見えなくてつらい

「ほら、その吐いてる二酸化炭素の雰囲気だよ」
と言われているのと同じくらい、捉えられない、だけどある、それがつらい


今の私なら何ができるかな、と考えた時に思い浮かべるものは、すでに巷で流行っているもの
どんな雰囲気で出そうかなと思うものも、巷にありふれた素敵な雰囲気や感じを思い浮かべてしまう

そうじゃないのに
別にそれだったとしても
真っ先にそれを思い浮かべなくてもいいのに

あぁ自分は本当に
“人に受け入れられるもの“というのを中心に
選んだり作ったり活動をしてきたんだなと思った

嫌われたくない、迷惑をかけたくない
その一心でみんなの中に紛れることを選択してきた40年弱
そのツケが回っている

そうやって人に貢献してきたつもりだけど
私自身が今困っているんじゃあ
今までの行動って価値があったのかしら、と疑問にも思う

落ち込んではいないけれど
なんだかなぁと損した気分になっている

そういうことに、早めに気づけてよかったとは思う


今後もっとどんどん心を自分に引きこもらせて
周りじゃなくて自分を見るようにしたい

尖った自分をウェルカムしたいなって思う

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