金のかからない信仰-家でお経よむ⑦、光明真言の活用


活用編つづきます。

前回記事、自己嫌悪の堂々巡りの遮断には懺悔文と似ていますが、もやもや気分には光明真言です。


もやもやとは、なんか気分悪い時、よからぬことを考えている時、ああ、もうなんだかなぁな時など広範です。
真言だけでなく前文も唱えます。

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光明真言

となえたてまつる光明真言は

大日普門の万徳を二十三字にあつめたり

おのれをむなしゅうして一心にとなえ奉れば

みほとけの光明に照らされて

三妄まよいの霧おのずからはれ

浄心の玉明らかにして

真如の月まどかならん

おん あぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだら まに はんどま じんばら
はらばりたや うん

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真言の箇所は以下の意味です(Wikipediaより)。

不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
光明を 放ち給え

光明真言は一切の罪障を除滅するそうです。
ありがたや。

さて、上記の功徳・ご利益は別に意識的に行うことがあります。
懺悔文の活用にも共通しますが、唱えることにより、思考の停止と置き換え(リセット)です。

前文の光明、霧晴れる、浄心の玉、真如の月、まどかをイメージし、
ガチで真言を唱えます。
仏教本を多く読むと、不空や蓮華といった日常では使わない用語とその意味、価値もすりこまれますので、単に『ありがたい真言、〇〇なるご利益のある真言』をやみくもに唱えること以上に意味深いと思っています。

そして、重要なのは、リセットすると決めること、光明に照らされると決めることです。

後者は、信じるとも言います。信仰です。


なお、思考遮断だけなら円周率を唱えてもよいのでしょうが、どうせなら意味があってありがたい方がよく。(円周率も重要かつ深遠ですが)

また、慣れてくると何も考えなくても、よそ事考えても諳んじてしまい、全校朝会で校歌を歌うキッズのように脳内でキャッキャ、おふざけ、まじだりい発言が始まりますから、唱える時はガチが望ましいです。


以上です。いいことありますように。

闇属性のくせに光明は好きな私でした。

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