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団地から<団地>へ ―ソーシャル・キャピタルのプラットフォームとして―

1. はじめに 

 アメリカの社会学者ロバート・D・パットナムは、我々が生活している諸社会における「信頼」や「ネットワーク」、「規範」などの社会的仕組み、すなわち「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」について論じた。社会関係資本は人々の間の連帯を生み、社会諸活動が円滑、効率的に行うことができるという意味で非常に有益であるが、パットナムは『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』(2001=2006)の中で、アメリカ社会はこの社会関係資本が貧しくなっていると説いた。
 翻って我が国日本を見てみると、NHK放送文化研究所が毎年調査している人間関係の項では、[親戚]、[近隣]、[職場]、[友人]と、どの関係をとっても年々<全面的付き合いが良い>という回答が減少し、<部分的付き合いが良い>、<形式的付き合いが良い>という回答が増加していることを鑑みると、社会関係資本が充実している/する可能性があるとは言いにくい。そこで本レポートは、日本における社会関係資本が最も充実していた時代と言える、高度経済成長期において活発に建設された住宅団地(以下、団地)をソーシャル・キャピタルの新たなプラットフォームとして捉えなおすことを目的としたレポートである。著者は21年間草加市に在住しているが、草加市にはかつて「東洋最大規模」と称された草加松原団地が(順次建て替え作業中であるが)存在している。そこで今回は着目する団地を、この草加松原団地に限って論じたい。
 また本論の構成として、まず草加松原団地の歴史と現在を確認したい。その上で、そこから見えてくる可能性と、しかしそれを考える上での課題をそれぞれ考察していきたい。

2. 草加松原団地 ―東洋最大のマンモス団地―

 そもそも団地は、1960年代から始める高度経済成長による都市への人口流入、またそれによる住宅不足を解消するために全国各地に建設されたものである。都市近郊に建設され、全国では例えば千葉県松戸市の常盤平団地(1960年入居開始、以下同じ)、大阪府下の千里ニュータウン(1962年)や泉北ニュータウン(1967年)、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン(1968年)などの大規模団地が建設された。1970年代以降でも、東京多摩ニュータウン(1971年)、横浜の港北ニュータウン(1983年)と大都市近郊で大規模な団地が建設された。これは子育て層を中心に、都市人口のスプロール現象をもたらした。しかし、バブル経済の崩壊や、団地の老朽化・建築基準の緩和に伴い、順次再開発されているという現状がある。 このような団地史の多分に漏れず草加松原団地も同様の変遷を辿っている。昭和39年、1964年に完成した草加松原団地は総敷地面積60ヘクタール、5,926戸で、当時は「東洋一のマンモス団地」と称されていた。また完成と同年に獨協学園の大学建設計画に際して東武鉄道が誘致したことで獨協大学が開学している。草加松原団地は駅の西口に存在している/いたが、東口方面には、日光街道の宿場町の面影を今に残す歴史ある場所として、松原遊歩道がある。これは「千本松原」とも称される松並木で、社団法人日本ウォーキング協会により選定された「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれ、草加市のシンボルとも言える存在になっている。また松原遊歩道に近接された災害時の防災設備を備えた綾瀬川左岸広場は休日にはお祭りやイベントにも使用されている。これらの理由により松原団地は草加市随一の生活・文化等の一大拠点となったのである。現在の松原団地も、先述の通り老朽化に伴い(筆者の幼少期の記憶でも大分寂れていた記憶がある)、建て替え事業の対象となっている。UR(都市行政法人都市再生機構)、草加市、民間事業、獨協大学連携の下、順次調和とゆとりを持った建て替え事業と都市建設が行われている。また建て替え事業後のUR賃貸住宅は「コンフォール松原」と名を改めている。 簡単に振り返ったが、以上が草加松原団地及びその周辺のその歴史と現在である。これを念頭にまずは次項でもはや無くなりつつある団地における可能性を考察したい。

3. 社会関係資本のプラットフォームとしての<団地>

 さて、団地における社会的ネットワークの類型を岡村(2020)は3つに区分している。一つ目は、各住戸それぞれの内部で閉鎖的な言わば「ハコ」として完成したネットワーク[I型]、二つ目は、各住戸内だけでなく団地内の住居者との交流が存在している言わば「ムラ」として形成された[II型]、三つ目に住戸内及び団地内のネットワークに加え、近隣の団地外のネットワークによって形成された人間関係[III型]である。(図 参照)これらの類型は無論時代背景や場所によって類型が混在するため、必ずしも明確に分けることはできないということを前提としておく。
その上で、団地にはしばしば「閉鎖的」「孤立」などネガティヴなイメージが伴うが、それはI型によるものであるだろう。これは独立性やプライバシーを確保した「ハコ」的居住空間の集まりであるからと言える。II型は「団地族」という言葉や、久保寺健彦著作の小説で、団地から一生出ないように生活を試みる主人公を描いた『みなさん、さようなら』、あるいはアイドルグループ「嵐」出演の映画で、八塩団地内で暮らす高校生たちの恋愛・家庭・学校などの様々な過程を追った『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』などに示されるように「団地内⇄団地外」という団地内のローカルなネットワーク対団地外の開かれたネットワークという構造がある。そしてIII型は「ハコ」であり「ムラ」であるが、同時に団地外、近隣とのつながりも有したネットワークである。

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 以上に見てきた団地居住者と社会的ネットワークの3類型の中において、注目しなければならないのはIII型であろう。団地のある部分を拠点として、団地内外へと放射状に拡散されるネットワークこそ、このレポートで考察するところの「ソーシャル・キャピタルのプラットフォーム」としての団地になり得るだろう。このようなIII型の団地のことを以後、I型、II型の団地と区別するために<団地>と記述する。このような<団地>の可能性は、草加松原には存在しているのだろうか。これを次項で見ていく。

4. 「野ばら会」から「さかえーる」へ ―「サード・プレイス」の構築―

 本項では、草加松原団地に入居が開始した10年後に発足し、恐らく地域最年長であろうボランティア団体、「野ばら会」を紹介したい。この団体は結成当初、高齢者福祉施設へ寄付するおむつの縫製を主な活動としてきたが、発足後30年を過ぎた頃には会員者自身の高齢化が目立ってきたため、ボランティアを縫製業から高齢者が「ふらっと立ち寄っておしゃべりができる場所」を作ろうとコミニティ・カフェ、「ふれあい喫茶 おやすみ処」(以下、ふれあい喫茶)を2005年に始めた。このふれあい喫茶はURから団地商店街の空き店舗を借り受けて開設した。木曜日と日曜日以外の週5日、10時から16時までの時間を開店時間として100円で日本茶やコーヒー、紅茶を提供していた。年間の利用者数は2007年度が3,284人、2008年度が3,391人であったという。また利用客は高齢者が多いため、安心・安全の確保を目的に緊急時の連絡先を控えたり、NPOスタッフによる介護相談などを行なっていた。(松本・宮澤 2012)
 しかし先述のようにURによる建て替え事業が順次遂行されていくと、店舗を出していた団地商店街も最開発地区にあったため、2016年12月にはふれあい喫茶は一度休止することになった。そして2018年、団地の外に場所を変えて再開したのである。この「野ばら会」再開の場所は、草加市社会福祉協議会が空き家を借り上げた草加市栄町の一軒家であり、「さかえーる」と呼ばれている。これは、社協と市民団体が中心となり、住民の交流と情報交換を目的とした施設である。各曜日によって活動するボランティア団体がローテーションで使用し、「野ばら会」は水曜日に活動を続けている。(岡村 2020)
 さて、この野ばら会が目的とした地域住民との交流・情報交換を目的としたネットワーク構築のコミュニティ・カフェはまさしく家庭でも学校・職場でもない「第三の場所(サード・プレイス)」(オルデンバーク)と言えるのではないか。さらにこの野ばら会のコミュニティ・カフェで注目することはそれが単に団地内の人々のみに開かれているということではない。団地外の人々にも開かれているということだ。これこそ前項で名付けた社会関係資本を発展させる<団地>なのではないだろうか。
 また、社協が空き家を借り上げたことにも我々は着目しなければならないだろう。2017年度の草加市の調査では、市内には少なくとも1,249軒の戸建住宅の空き家が確認されている。すなわち、これを活用すれば、この「第三の場所」を草加市中に広げられるようになるのではないだろうか。広義の意味で草加市全体が<団地>になるという可能性もある。

5. 今後と課題

 しかし明るい話題ばかりではない。やはりこのコミュニティの存続の問題がある。団地建て替えにおける問題に取り組んだ増永らの研究によると、この問題は①戻り入居時の家賃の高額化、②建て替え後の居住空間の貧困化、③コミュニティの破壊、④事業における居住者不参加、の四つの問題点が参加されており、事実コンフォール松原においてもそれは指摘されている。(詳細は松本・宮澤 (2012)を参照されたい。)また他にも居住者の高齢化も問題点として指摘され得る。実際に開智高校の、開本嘉仁・佐藤竜也が行なった調査によれば、コンフォール松原の約3,600世帯のうち767世帯が高齢者で、46%が75歳以上であるという。このような状態と、今までの<団地>の担い手が高齢者であることを鑑みると、やはり<団地>が社会関係資本の培養地になる可能性は前途有望であると簡単に言い切ってしまうことは暴論かもしれない。また時局を考えると、新型コロナウイルスの影響によりそもそも我々は人と接触することが賛成される世の中では無くなってしまっていることが伺える。しかしそれでも<団地>の可能性を探り一草加市民として、あるいは一社会学を学ぶ者としてこれを今後の課題としていきたい。

6. 参考文献

Putnam, Robert D. 2000 “Bowling Along: The Collapse and Revival of American Community” =2006 柴内康文, 『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』,柏書房
NHK放送文化研究所 2020 『現代日本人の意識構造[第九版]』, NHK出版
増永理彦 2008 『団地再生―公共団地に住み続ける』, クリエイツかもがわ
堤幸彦 2002 『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』, ジェイ・ストーム
久保寺健彦 2010 『みなさん、さようなら』, 幻冬舎文庫
岡村圭子 2020 『団地へのまなざし―ローカル・ネットワークの構築に向けて』, 新泉社
松本由宇貴・宮澤仁 2012 「草加松原団地における建替えにともなう高齢者の社会関係の変化と居場所づくりの取組み(特集: 多様化する福祉)」, 『お茶の水地理』51:44-57
開本嘉仁・佐藤竜也 「高校生のつくる地域の歴史 草加松原団地歴史史料館」(最終アクセス2020/07/26),
https://sites.google.com/kaichigakuen.ed.jp/matubaradannchi2018kenkyuu/#h.p_GL-pkeqR5Q-P
一般社団法人 日本ウォーキング協会 「歩きたくなる道500選」(最終アクセス 2020/07/26),http://www.walking.or.jp/tournament/select500/
草加市 「草加今昔 松原団地」(最終アクセス 2020/07/26),
http://www.city.soka.saitama.jp/cont/s1002/010/020/030/010/20.html
社会福祉法人 草加市社会福祉協議会 「【地域福祉】地域の居場所 さかえーる」(最終アクセス 2020/07/26),http://www.soka-shakyo.jp/area/area_sakaeeru.html



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